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京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)26

やがて大和大路通は泉涌寺道と出合って三叉路となり、ここ東山泉小中学校西学舎の南側の道で終わる。
「京の古道を歩く」(著)増田潔 光村推古書院によると、江戸時代の地誌「山城名跡巡行志」からの引用で、昔の街道(大和大路)は一町東にあるとしている。
国文学研究資料館

泉涌寺道を西へ歩き左折(南)。ほどなく左手に瀧尾神社の鳥居を見る。

瀧尾(たきのお)神社

 瀧尾神社の創建、由緒ははっきりしないが、天正14年(1586)10月、豊臣秀吉の方広寺大仏殿建立に伴い、当地に移ってきたと伝える。また、当社は、泉涌寺の僧の守るところであったともいわれる。
 京の豪商下村家は、当社を崇敬すること篤く、元文3年(1738)以降、数度にわたって社殿の修復を行ってきた。現在の社殿も下村家の援助により、天保10年(1839)から翌11年にかけて造営されたものである。
 本殿は、「北山貴船奥院御社」旧殿を移建、一部改築したもので、その前に幣殿、拝所、東西廊が並び、これらの建物がそれぞれ屋根を錯綜させながら、変化に富んだ空間を構成して独特の社殿景観を形成している。また、各社殿に施された豊富な彫刻装飾は、京都市内では珍しい。
 当社は、本殿、拝殿、絵馬舎、手水舎など一連の社殿が境内にまとまって現存し、江戸時代後期の中規模神社の形態を知るうえで貴重であり、昭和59年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。
    京都市



拝殿。


絵馬堂に奉納されていた額。
「嘉永二年 己酉 正月吉日 松榮講」、「油小路通山田 石川屋儀兵衛」の銘がある。



こちらの店舗の絵には暖簾に大丸の印が入っている。


案内はなかったが、大丸京都店のビルと見られる。

瀧尾神社と大丸



2月26日(金)20:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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