京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)31 |
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| 東福寺北大門。桃山時代。京都府指定文化財。
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| 東福寺仁王門。重文。但し、仁王さんはご不在―笑。 以前、この仁王門の向こうに幼稚園があったが、閉園されたらしい。
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| 退耕庵。「戌辰役殉難士菩提所」の石柱が立つ。
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| 退耕庵(たいこうあん)
臨済宗東福寺の塔頭寺院である。貞和二年(一三四六)東福寺第四三世住持性海霊見(しょうかいれいけん)によって創建され、応仁の乱の災火により一時荒廃したが、慶長四年(一五九九)安国寺恵瓊(あんこくじえけい)によって再興された。 客殿は、再興寺に恵瓊によって建てられたもので、豊臣秀吉の没後、客殿の中にある茶室作夢軒で、恵瓊、石田三成、宇喜多秀家らが、関が原の戦いの謀議を行ったと伝えられている。 庭園は、書院をはさんで南北二庭からなり、南庭は美しい杉苔に覆われた枯山水庭園で、北庭は池泉式庭園となっている。 地蔵堂に安置する高さ約二メートルの地蔵菩薩像は、体内に小野小町に寄せられた多数の艶書を収めていたことから「玉章(たまずさ)地蔵」の名で知られている。なお、慶応四年(一八六八)の鳥羽伏見の戦いの際には、東福寺に長州藩の陣が置かれていたことから、当庵はその戦いの殉難者の菩提所となっている。 京都市
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| 「經王地蔵」と彫られていた。
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2月28日(日)20:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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