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葛井寺_辛国神社_津堂城山古墳_道明寺16

小山 善光寺の縁起
当寺は天正年間まで津堂城山古墳の後円部外側に接する小字名、善光寺屋敷址といわれる位置にあったが、天正年間織田信長軍の河内小山攻めの折、小山城と共に戦火をうけて堂宇焼失後、西誉宗珍によって慶長年間(江戸時代初期)になって現在地に移築再建されたものである。
この寺は南面山無量壽院善光寺と称し、歴史上でも有名な本田善光の伝説を持っている。
その内容としては、推古天皇の御代、本田善光が信州に帰国の途中、難波の堀江で立派な仏像(一光三尊仏)を拾い、これを負うて帰国のみぎり、小山の里を訪れ小堂で宿泊したが、住職の隆聖法師がその仏像を所望したけれども一体しかなく、そのため三日三晩にわたり二人で熱心に供養勤行をつとめたところ三日目の晩一光三尊仏が二体になったので一体を河内におまつりし一体を善光が信濃でおまつりして共に善光寺として諸人の帰依する精舎となって今日に至った。



小山善光寺を後にして、昼食場所の城山古墳へ向かう。

画像は藤井寺小山郵便局。



郵便局を過ぎてすぐ、右手に産土神社(うぶすなじんじゃ)の社標が建つ。


小山産土神社
創建
室町時代、現本殿の蟇股(カエルマタ・桃山様式)は、当時の儘の蟇股を残しております。
蟇股は藤井寺市内では、最古の物であり神仏習合社の証でもあります。
又、元禄五年「寺社数改帳」に志紀郡小山村の守護神、小山牛頭天王と隣接する、お寺天王山「清圓寺」が記載され、神社神紋、清圓寺仏紋も同じく五仏に唐花と成っております。
清圓寺の屋根等をご覧下さい。
尚、祀り事は、大正後期まで清圓寺住職により行われておりました。
明治維新(神仏判然令)後、明治十二年以降の本殿、御神鏡裏には河内小山坐・進雄(スサノオ)神社鏡と記されおります。
その後、昭和十七年寄進石碑に産土神社(生まれた土地の神)と神社前にありますが、神社庁記載には、戦後の昭和二十七年頃に産土神社としております。

本殿 疫病神・魔除等
本尊 牛頭天王(仏像神・江戸後期作)
   進雄(スサノオ)尊(御神鏡・釜等)
現在は素戔嗚尊命(神社庁記載)

金刀比羅社 水の神
本尊 本来は、十一面観音菩薩を本地仏として右側に不動明王・左側に毘沙門天の2体の脇侍仏でありますが、当神社、金比羅社内は、同じく3社宮となっておりますが、明治三十二年以降より現在の大物主の尊の御紙垂と両脇舎内は紙垂のみと成っております。

稲荷社 農耕の神 現在は商売繁盛の神としても崇められております。
本尊 稲田姫(仏像神・江戸後期作)



拝殿。

つづく。



8月7日(水)05:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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