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2021年5月5日を表示

鄧麗君 南海姑娘

鄧麗君 南海姑娘を視聴してみよう。
テレサ・テン
南海姑娘

鄧麗君 南海姑娘
1.❤♫ 鄧麗君 - 南海姑娘 (1972)
2.【修復版】鄧麗君 南海姑娘 1977.7.31 鄧麗君專輯 MV
3.邓丽君 南海姑娘
4.鄧麗君 南海姑娘
5.邓丽君 Teresa Teng - 南海姑娘 Nan Hai Gu Niang (Original Music Audio)


【参考】
鄧麗君 Teresa Teng
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc63C66072AAC8/1/
鄧麗君 路邊的野花不要採
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc5cNB5B0BFDE7/1/



5月5日(水)17:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.15木津川源流2(新田辺から木津へ)

前方に一際目立つ建物が見える。
(株)シー・ディー・イー。
金属プレス・板金の会社らしい。



その建物の丁度中央あたり、木津川の堤に石碑が立っていた。
「山本の渡し船着場跡」と彫られていた。



河川管理境界が掲げられている。
「←遠藤川 京都府 / 木津川 国土交通省→」。



この日は快晴で青い空と白い雲がどこまでも続く。
日陰がないので、直射日光を浴び暑いが、風が吹くので凌ぎやすい。



「木津・泉大橋まで8.6km」を示す道標。

つづく。



5月5日(水)05:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.14木津川源流2(新田辺から木津へ)

「ふ船休み」と呼ばれる船の形をした休憩所。
この休憩所も「飯岡の渡し場跡」のすぐ近くにある。
飯岡の渡し船をデザインしたものかどうかは不明だが、おそらくはそうだろう。
付近は小さな公園になっている。

自転車道では唯一の休憩ポイントとなっているようだがトイレはない。



再び歩き出す。
三川合流点から16.0kmを表す標石。



この道標は「木津・泉大橋まで9.2km」と表示していた。
この日のゴールは泉大橋から先にある木津駅。
泉大橋から木津駅までの距離は約700m。



「府道 京都八幡木津自転車道線案内図」。
現在地は玉水橋。
この地図では次のチェツクポイントは開橋(ひらきばし)となっている。



嵐山と木津への距離を表しているサイクリング案内。
これによると「←嵐山約35km 木津約10km→」。
また次のトイレは「精華町立むくのきセンタートイレ約3km 約9分」となっている。
“約9分”は自転車で走行した場合の時間。

つづく。



5月5日(水)05:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.13木津川源流2(新田辺から木津へ)

コンクリート製の標石。
三川の合流点から15.0kmと表示。



車通行止のゲート。
右側に石碑らしきが立っている。



石碑「飯岡(いのおか)の渡し場跡」。
下記、京田辺市観光協会のサイトによると、
飯岡の渡し場跡

『昭和四十九年三月建立 田辺町文化財保護委員会 玉水橋下流、飯岡の入口付近の木津川べりに千貫岩という大きな岩が露出している。
ここから対岸の玉水に渡った。この渡し場は、月の名所でも有名である。
玉水橋から堤防を北に入っていくと豊田翁の碑に隣接してある。』



「飯岡の渡し場跡」の石碑に隣接している「豊田翁の碑」。
左の石柱には「水路開掘 祖贈従五位豊田義憲翁旧跡」と彫られている。
同じく、京田辺市観光協会のサイトによると、
豊田翁の碑

『飯岡は木津川の千貫岬に大岩があるため、村人は旱天に悩み、洪水に苦しんでいた。
豊田武兵衛はこれを憂い、宝暦13(1763)年に用水路計画に着手した。
千貫岩は安永元(1772)年に打ち抜かれ、ここに万年樋が完成。
残る工事は平坦部だけとなったが、永年の工事で私財を使い果たし、また幾多の妨害を受け八幡伝法院に身を寄せることを余儀なくされた。
村人は万年樋に水を流すため、残っているわずかの工事を完成させ、武兵衛に帰村を乞うたが彼は固持して受けず、寛政6(1794)年に伝法院の一室で77歳の生涯を閉じた。
天保3(1832)年になって万年樋の上に碑が建てられた。』



傍らに日本遺産の案内板が立っていた。
「玉露の郷 飯岡」。
飯岡は手摘み玉露の産地。

つづく。



5月5日(水)05:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.12木津川源流2(新田辺から木津へ)

自転車道は自転車と歩行者の専用道路。

画像は一般車通行止のゲート。



河川管理境界が掲げられていた。
「←木津川 国土交通省 / 普賢寺川 京都府→」。
木津川の左岸に沿って上流へ歩く。



これは三川(桂川・宇治川・木津川)が合流して淀川となる地点からの距離を表している。
合流点から14.6km。



銘板には14.6kmと刻まれていた。


暫く歩くと15.0kmの表示と立派な標石が立っていた。

つづく。



5月5日(水)05:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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