山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2014年3月を表示

雨山城と土丸城16

この日、駅からの平地歩きが多いとみて、登山靴を履いてこなかったが、この山は登山靴が必要。


真新しい丁石。あと一町。


分岐。左は「西ハイキングコース」方向。(画像)


山頂は右の東屋が見える方向へ。


東屋を通り越して少し下ると眺望が得られる場所があった。


3月25日(火)20:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城15

「住民の森」の立て看板。


このような番号を付した道標を登山道でいくつか見たが、番号が揃っておらず失われたようだ。


頂上直下、最後の急登。


「二町」の丁石。


登山道がやや平坦となって鳥居を潜る。


3月25日(火)20:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城14

カラスザンショウの幹。トゲがイボ状になっている。


「六町」の丁石。


このあたりから羊歯類が見られるようになる。登山道に小石が混ざり少し歩きにくい。


九十九折に登る。


山頂が近いようだ。馬場跡分岐を見送る。


3月24日(月)22:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城13

倒れかけた丁石。ここでは“丁”ではなく“町”の漢字が使われている。


棒切れを杖代わりに使われているお二方。


右に池を見る。


左に自然林、右に植林を見て登る。


成合は熊取町成合(なりあい)を指す。


3月24日(月)22:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城12

雨山城址へ800mと表示された道標。


奥山雨山自然公園の案内板。


ハイキングコースは、これから登る雨山城址コースの他、もみじの広場コース、東ハイキングコース、西ハイキングコースなどいくつかのコースがあった。


暫く休憩した後、雨山山頂を目指して登る。阪和道の高架下を潜ったあたりが、雨山への取り付き。(画像)


鉄道線路の枕木を再利用している。


3月24日(月)20:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城11

分岐で雨山への近道を歩こうとしたが、ロープが掛けてあり畑に続く道で雨山への近道ではなかった。


クロガネモチの実。


畑に植えてあった梅の花。今が見頃。


阪和道の高架下に近づいてきた。場所は熊取町と泉佐野市の市町境くらい。


K氏が雨山登山口に一番乗り。


3月24日(月)20:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城10

これは、ヤギ。座りこんでいるので、最初、子牛のように見えた。


大阪体育大学の真新しい学舎。


成合口のバス停を過ぎてすぐ、車道を横断。正面に雨山城、左右に畑を見ながら歩く。


エンドウとネギ。


これは、ソラマメらしい。ピーナッツという人もいたが、後でネット検索したら、ソラマメに見える。


3月21日(金)21:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城9

やがて三叉路に出合う。出合ったのは府道62号でこれを左(南)方向に歩く。このあたりの住所は熊取町朝代。交番が見えた。


暫く歩くとY字型の分岐となり、府道62号と分かれ左側の旧道を歩く。


この頃になると、雨山城と土丸城がすぐ近くに見えてきた。この場所(11:15)から、雨山城の山頂(画像左のピーク)には55分後(12:10)に到着した。


進行方向左には大阪体育大学の立派な学舎が見えてくる。


H氏によると、雨山城と土丸城の西に見えた山(画像中央)は「小富士山」と呼ぶそうな。


3月21日(金)21:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城8

立派な歩道橋がある道路を歩道橋を歩かずクルマに注意して横断。


美熊台2丁目の住宅地の中に入って行く。西正面に京都大学原子炉実験所の白い建物が見えた。


そして、南方向に目指す雨山がだんだんと近づいて来た。「前方に見えるあの山だ」。


曹洞宗・法願寺の前を通過。


このあたりも道が狭い。というか、リーダーは狭い旧道を選んで歩いているようだ。


3月20日(木)21:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城7

池は住宅地と段差があって正面に見える階段を登る。この時、リーダーが階段下に見えた若い男女に雨山への道を尋ねたが知らないとのこと。


階段を登る。


すぐ前方に団地が現れた。熊取朝代住宅でこの団地の中を横切る。


今度は進行方向左(東)に大きな池が二つ現れた。このあたり池が多い。溜池だったのだろう。点前の畑は家庭菜園に見える。


やがて長池公園に到着。トイレ休憩となる。


3月20日(木)20:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城6

熊取町教育委員会が設置した説明板。


中家住宅を後にする。


道路脇で見たサンシュユの花。


慈照寺を右に見て路地のような狭い通路を歩く。


やがて比較的通行量の多い車道を横断。住宅地の中を歩く。右手(西)に大きな池が現れた。歩いている時はわからなかったが、この池は五門東4丁目にある池で池の名前はわからない。


3月20日(木)19:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城5

桐のふすま模様。こちらの方が家紋っぽい。


弓と槍。


南面する表門。「三間薬医門」と称される門で重文。


唐門。客殿にいたる賓客用の門。こちらも重文。


梅の花が丁度見頃で、甘酸っぱい香りが匂っていた。


3月19日(水)22:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城4

やがて、重要文化財、中家住宅に到着。見学せずに素通りする予定だったが、せっかくなので、時間をとって頂けることになった。


これは家紋だろうか。壁の色はベンガラ色と呼ぶ。
※熊取町のHPによると、「中家住宅正面の家紋は、後白河法皇が熊野山行幸の折、当家にて作った甘瓜を献上し、それを喜ばれてこれを家紋とするようにお言葉があったことにちなみ、「三つ巴」と定めた。」



入場料は無料だった。少し驚き。


土間(どま)だが、とてつもなく大きくて広い。


座敷。広々としているが、箪笥など家財が置いていないので生活感がない。


3月19日(水)22:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城3

降井家書院の土塀。この奥、屋敷の中に茅葺の屋根がチラッと見えた。


このあたり、「腕野」という苗字が多かった。腕野商店、腕野薬房など。


「ルニオンバレエ」。クラシックバレーの教室らしい。この左奥に建物があった。


付近には立派な屋敷が多い。思わず覗き見してしまう―笑。


道標。「是ヨリ水間寺 三十二丁」。水間寺(みずまでら)は、大阪府貝塚市にある天台宗別格本山の寺を指すようだ。


3月18日(火)21:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

雨山城と土丸城2

府道(県道)62号を東に向って歩く。画像は大久保交差点付近で撮影。府道62号は泉佐野打田線と呼ばれ、大阪府泉佐野市から和歌山県紀の川市に至る主要地方道。「粉河街道」(こかわかいどう)という呼称もある。画像の呉服店は地元で頑張っておられるようだ。


大久保バス停前を通過。


ひときわ目立つ屋敷が現れる。


隣の駐車場の敷地へ回り込んで撮影。


この住居は降井家(ふるいけ)書院で重要文化財。残念ながら常時見学することはできず。年1度だけ一般公開が行われている。
※熊取町のHPによると、江戸時代、中家とともに隆盛をふるった降井家の書院は、地方の庄屋の邸宅に付属する書院の好例と見なされ、昭和27年(1952)に国指定の重要文化財になった。かつては2500坪の敷地に台所、広間、書院、土蔵、厩等の邸宅を構え、射場・馬場も備えていた。江戸時代初期に建てられたとされる現存の書院は、数寄屋風を加味した造りで、江戸時代の熊取の庄屋の生活を垣間見ることができる貴重な歴史建造物。



3月18日(火)21:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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