山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 

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No.9天保一揆と国宝善水寺

観音堂手前の分岐で来た道を戻らず、直進して本坂、仁王門跡方面へ降りる。


本坂の急な石段。


コースは沢に沿って左だが、磨崖仏に立ち寄る。
ほとんどの皆さんが磨崖仏を見学しようとしたが、足場が少し悪いこともあって、実際に見に行かれたのは半分くらいだろうか。



磨崖阿弥陀如来坐像。
左右に火袋が彫られている。



印象としては信仰に対する緊迫感がないが、何かほのぼのとした情感が漂う。
これはまったく私的な感想

つづく。



2月4日(火)05:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

アン・アキコ・マイヤース

アン・アキコ・マイヤースを視聴してみよう。

Anne Akiko Meyers Performs the 1st part of Mendelssohn Violin Concerto Op.64 in E Minor



Anne Akiko Meyers Performs the 2nd Mvt. of Mendelssohn Violin Concerto Op.64 in E Minor



Anne Akiko Meyers Performs the Finale from the Mendelssohn Violin Concerto Op.64 in E Minor



Anne Akiko Meyers Plays Bach's 'Air' on the ex-Napoleon/Molitor Stradivarius Violin



Somewhere Over the Rainbow | Anne Akiko Meyers & Anton Nel | WGBH Music



Anne Akiko Meyers & Reiko Uchida play 'Clair de Lune'/Moonlight



2月3日(月)18:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.8天保一揆と国宝善水寺

国宝 善水寺本堂 一棟

所有者 善水寺
所在地 甲賀郡甲西町大字岩根
指 定 明治三二年四月五日

善水寺の創立は古く奈良時代の和銅年間で、この本堂は延文五年(1360)の火災後、貞治三年(1364)に再建されたと伝えられる。
本堂は桁行七間、梁間五間、入母屋造、檜皮葺の大型仏堂である。
平面は前方二間通りが外陣、後方三間が内陣、脇陣、後陣からなり、後陣の中五間の後方に庇を張り出す。
柱は丸柱で長押を廻し、頭貫に木鼻を付けない。
組物は出組、支輪付き、中備えは間斗束である。
内外陣境は格子戸・菱欄間で区画し、床はすべて板張り、天井は組入天井で、側廻り(庇)は化粧屋根裏とする。
内陣の須弥壇上には附指定の厨子を安置する。
この本堂は外陣虹梁の架構に特徴がある。
一般的には入側柱と内外陣境柱の梁間に虹梁を架け、柱を省略するが、ここでは桁行方向の三間に大虹梁を架け、入側中央二本の柱を抜き、外陣の空間を広くしている。
この本堂は和様を基調としながらも、大きな断面の丸桁、繰り型付き実肘木、虹梁持ち送り肘木、手挟彫刻、桟唐戸など禅宗様式を取り入れ、金剛輪寺本堂と共通点が多いことにも注目される。

平成十年三月 滋賀県教育委員会



法華塔と善水元水。
善水元水を口に含んでみたが美味しい。



善水寺と善水の由来

傳教大師最澄上人がこの寺へ来られた時、京で病んでおられた桓武天皇に、境内百伝(ももつて)の池水を汲んで、医王善逝の秘法によって加持された香水を、献上されたところ、忽ち病が快癒され、その喜びを縁として、「岩根山善水寺」と号されました。
【以下省略】



寺名の由来となった百伝池。(ももつてのいけ)
本堂の中から撮影。



善水寺を辞し、観音堂の手前まで戻る。

つづく。



2月3日(月)06:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.7天保一揆と国宝善水寺

不動岩に彫られた磨崖不動明王をズーム撮影するも、この位置からではよく分からない。
お寺によると室町時代、文亀三年(1503)の銘が刻まれている。



不動岩を後にして本堂へ向う。
画像は参道に立つ説明板。「岩根山物語」~善水寺と十二坊の歴史を訪ねて~

善水寺については、下記参照。
善水寺・・・薬師寺のひとつです。奈良時代和銅年間(708~715)元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創され、はじめは善水寺ではなく、「和銅寺」という名前でした。
延暦年間に傳教大師最澄上人が比叡山を開創した際、堂舎建立の用材を甲賀の地に求められました。
材木を切り出し横田川(野洲川)河岸に筏を組み、いざ流し下す段になったときに日照りが続き、河水少なく、思うように材を流すことができなくなりました。
そこで大師が請雨祈祷の為に、浄地を探されたところ、岩根山中腹より一筋の光が目に射し込み、その光りに誘われるまま和銅寺にたどり着きました。
山中に堂があり、その東側に百伝池があり、池中より一寸八分、閻浮檀金(えんぶだごん)の薬師仏を勧請され、その薬師仏を本尊として請雨の祈願を修すること七日間、満願の日に当って大雨一昼夜降り続き、流れの勢いのまま、材は川を下り琵琶湖の対岸比叡の麓に着岸したといわれています。
後に、京の都で桓武天皇御悩の際、大師が霊仏出現の池水を以って薬師仏の宝前にて病気平癒の祈祷、医王善逝(いおうぜんぜい)の秘法を修すること七日、満行なってこの霊水を天皇に献上されたところ、御悩忽ち平癒されたそうです。
この縁に依って岩根山「善水寺」の寺号を賜わったといいます。



広い駐車場に出て入山受付へ。
入山志納料 大人 500円也。



国宝 善水寺 本堂。


本堂の近くに寄って撮影。

つづく。



2月3日(月)06:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ティファニー・プーン

ティファニー・プーン(Tiffany Poon 潘活活)を視聴してみよう。

Tiffany Poon plays Chopin Concerto No. 1 in E Minor Op. 11 (Better Audio)



Tiffany Poon – Chopin Piano Competition 2015 (preliminary round)



Tiffany Poon - Beethoven Sonata Op.10 No.3



Tiffany Poon - Rachmaninoff Sonata No.2, Op.36



Quarts de finale 2019 : TIFFANY POON



2月2日(日)20:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.6天保一揆と国宝善水寺

「岩根山物語」案内図。
サブタイトルとして、-善水寺と十二坊の歴史が今蘇る- 【像坊跡地推定図】。

この後、現在地から観音堂(壱番 岩蔵坊 僧坊跡)を経て、参番 像坊跡の奥、不動岩に刻まれた磨崖不動明王を観る。
駐車場に出て善水寺本堂、境内などを拝観。
再び観音堂の手前まで戻り仁王門跡を経て正栄寺へ向かった。



「開拓道路記念碑」が立ち「国宝 善水寺参道 徒歩7分」の道標を見る。
更に「岩根山物語~善水寺と十二坊の歴史を訪ねて~」の説明板を見て善水寺への薄暗い参道を辿る。



視界が開け観音堂(壱番 岩蔵坊 僧坊跡)に到着。


観音堂に祀られている観世音菩薩坐像。


観音堂の横、参番 僧坊跡の裏山に不動岩があり磨崖不動明王が彫られている。
(画像中央左上)

つづく。



2月2日(日)05:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.5天保一揆と国宝善水寺

懐石料理店 やまりゅう前を通過し、11時46分、昼食場所の湖南市岩根まちづくりセンターに到着。


画像は湖南市観光協会から提供頂いた「大粒自慢針文五郎米と弥平たまごのヘルシー弁当」。
(昼食代金の個人負担なし)
弁当の上に乗っている油紙で包まれたものは鶏のから揚げ。



針(はり)文五郎米は、天保一揆首謀者の一人針文五郎の名を借りたお米。
弥平たまごは湖南市伝統野菜弥平とうがらしを食べて育った鶏のたまご。

お米は普段自宅で食べ慣れている奈良県産ヒノヒカリの方が口に合う。
実際のところ、外食しても自宅で食べる以上の美味しいお米を食べた記憶がほとんどない。
尚、ヒノヒカリは親戚の家(桜井市内)で栽培している。



ゆっくりと昼食を済ませ、12時43分次の訪問地善水寺へと向う。


善水寺への道。
古民家の中に続く地元の道を歩く方が風情があってよい。
地元の観光ボランティアならではのハイキング。

つづく。



2月2日(日)05:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ASIN

ASINを視聴してみよう。


ANG BUHAY KO BY ASIN



asin-balita



ASIN - GISING NA KAIBIGAN KO



Asin - Himig ng Pag-Ibig



ASIN-HIMIG NG PAG-IBIG



asin-kaibigan



Balita: by Asin w/ lyrics



Best of ASIN



2月1日(土)21:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.4天保一揆と国宝善水寺

この後、野洲川に架かる横田橋を渡る。
少し西方向へ歩くと、辻に道標が立つ。

道標には「妙感寺 従是二十二丁 / 微妙大師萬里小路藤房郷墓所」と彫られているようだ。
この辻を右折。(北)



県道13号高架下を潜り、その後、県道13号の歩道を歩いて野洲川に架かる横田橋を渡る。
画像は横田橋から野洲川下流方向の眺め。
画像の橋桁は以前使われていたもの。



TOTO 滋賀工場前を通過し引き続き県道13号線を歩くと、画像の建造物が現れる。
何か水路の施設と思われたが、立ち寄ることもなく通り過ぎた。

参加者の中にはこの施設を見学に行かれた女性がいた。
もし、私がこのツアーに単独で参加していたら迷わず見に行った。
好奇心はチカラ也!
説明板らしきも立っている。

後日、この施設についてネット検索した結果、朝国円形分水(親水性円筒分水工)と呼ばれる施設。
朝国円形分水 (朝国地区 親水性円筒分水工)



R1(水口道路)高架下を潜り、朝国北交差点を横断。
岩根東口交差点を経て思川(おもいがわ)に架かる橋を渡る。
画像は野洲川の支流思川から下流方向の眺め。



この日のコースは思川の右岸を下る。

つづく。



2月1日(土)04:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.3天保一揆と国宝善水寺

天保義民之碑の土台、人造石(セメント?)が剥がれている。


天保義民之碑をご見学の方へ

この碑は、明治31年(1898)築の人造石製の10mを超える建物です。
耐震補強は出来ていないものの、今すぐ倒壊の恐れはありません。
扉のチェーンを外して碑の近くで見学頂く事が出来ます。
しかし、震度5を超えるような地震が発生した時には、倒壊の恐れがあります。
万一、地震発生の際は、倒壊の方向が不明なため、すぐ碑から10m以上(この案内の位置が碑から20mです)安全な場所まで避難願います。
湖南市 甲賀市

天保義民之碑が立つ丘は「県民花の森 天保義民の丘」と呼ばれ、モニュメントとその説明板があった。



天保義民之碑を後にしてJR草津線の踏切を横断する。
横断した辻に東講中と彫られた常夜燈が立つ。



常夜燈が立つ道はいかにも昔の街道といった雰囲気で道がくねっている。


説明板。

東海道五十三次 石部宿 横田常夜燈
東海道十三の渡しの難所の一つに数えられる横田の渡し場、湖南市側に建立されている。
安永八年(一七七四)に東講中によって建てられた火袋付の常夜灯である。
高さ四・八五メートル、五段の石積みの上に建っている。
水口側の常夜灯より五十年以上前に建てられていた。
建立された当時は現在地よりも二百メートルばかり上流に建っていたが、いつの時代か現在地に移転された。
(一社) 湖南市観光協会 (協賛) ××

つづく。



2月1日(土)04:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.2天保一揆と国宝善水寺

「新海道」と彫られた道標が立つ。
この道標は元あった場所からここへ移されたらしい。

“新海道”とは“東海道”に対する言葉。
元は東海道として利用されていたが、江戸時代に入り東海道を三雲から別れて伊賀に至る道に付け替えられた。
寛保年間(1741-43)には杣海道とよばれ明治時代に入って“新海道”と呼ばれた。
このことはスタッフの人から聞いた。

“杣街道”とも呼ばれる。
杣街道 - Wikipediaによると、杣街道 (そまかいどう) は、江戸時代に滋賀県(近江国)甲賀郡に存在した街道。
杣海道、新海道、伊賀街道、伊勢街道、東海道分間延絵図では杣谷道、一般には杣道とも呼ばれていた。

説明板もなく、こんなところにポツンと置かれても何の意味もない。



ビジネス旅館天保閣前を通過。


この階段を登ったところに碑が立つ。


天保義民之碑。
天保義民之碑(てんぽうぎみんのひ)・・・天保十三年(1842年)、代官の不正な検地に抗議するため、旧甲賀郡、旧野洲郡、旧栗太郡の総勢約4万人の農民がいっせいに蜂起した。
これが、歴史に有名な天保一揆である。
検地を中止させ「十万日延期」の目的を達した。
ただし、一揆のリーダーの庄屋クラスの農民達の払った代償も大きく、このときの一揆で犠牲になった祖先の魂をなぐさめ、その義挙を後世に伝えようと伝芳山(でんぽうざん)に明治三十一年(1898年)に天保義民之碑が立てられた。



説明板。
天保13年(1842)10月14日、幕府の命によって検地を始めた勘定役市野茂三郎以下40余名の苛酷な測量に対して農民の怒りは大きかった。
三上村の庄屋土川平兵衛や甲賀郡の各村の庄屋たちも相談し合って農民らと力を合わせその検地を廃止させた。
「十万日の延べ」の証書を得た一揆の農民は大声をあげて喜んだ。
その後、事件の中心人物としての80余名の取り調べは厳しかった。
ことに土川・田島・黄瀬らの庄屋に加えられた拷問は惨酷そのものであった。
しかし、調べられた者たちは一人として白状しなかった。
獄舎中で次々と死んだ者もあったが首謀者としての11名が江戸送りとなった。
針の文五郎、油日の惣太郎、上野の九兵衛、氏川原の庄五郎、深川の安右衛門、岩根の弥八、松尾の喜兵衛、杣中の平治、宇田の宗兵衛、市原の治兵衛、三上の平兵衛らの11人は檻に入れられて江戸へ送られた。
街道には農民の多くが涙を流しながら見送り、別れを惜しんだ。
うち江戸へ着いたのは8名であった。
遺体はもちろん満足な場所へ埋めなかった。
死ぬまで市野不法を訴え、庶民の正しさを申し立てたという。
その後、明治となり罪人の名を大赦し、相続を認めた。
明治31年5月20日に「天保義民」の碑を現在の地に建立した。
その文字は巌谷修氏の書である。
高さ10mの人造石でその費用は2,900円であった。
毎年10月15日にはこの碑前で郡町村が主として義民の追悼慰霊の例祭が催され、関係の遺族の多くが参列される。
奉納相撲も催される。

つづく。



1月31日(金)06:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.1天保一揆と国宝善水寺

<概要>
2019年10月31日(木)は、JRふれあいハイキングにYo氏と二人で参加した。
タイトルは「ダークツーリズム・天保一揆と国宝善水寺を訪れる」
~大粒自慢針文五郎米と弥平たまごのヘルシー弁当付き~

タイトルにあるダークツーリズム(英語: Dark tourism)とは、災害被災跡地、戦争跡地など、人類の死や悲しみを対象にした観光のこと。
この日のツアーでは、天保一揆を指している。
天保一揆については、近江天保一揆を参照。
ツアーでは「天保義民之碑」を訪問した。
天保義民之碑(てんぽうぎみんのひ)・・・天保十三年(1842年)、代官の不正な検地に抗議するため、旧甲賀郡、旧野洲郡、旧栗太郡の総勢約4万人の農民がいっせいに蜂起した。
これが、歴史に有名な天保一揆である。
検地を中止させ「十万日延期」の目的を達した。
ただし、一揆のリーダーの庄屋クラスの農民達の払った代償も大きく、このときの一揆で犠牲になった祖先の魂をなぐさめ、その義挙を後世に伝えようと伝芳山(でんぽうざん)に明治三十一年(1898年)に天保義民之碑が立てられた。

岩根まちづくりセンターにて昼食。
尚、昼食は「大粒自慢針文五郎米と弥平たまごのヘルシー弁当」で湖南市観光協会から提供頂いた。
(昼食代金の個人負担なし)
針(はり)文五郎米は、天保一揆首謀者の一人針文五郎の名を借りたお米。
弥平たまごは、湖南市伝統野菜弥平とうがらしを食べて育った鶏のたまご。

昼食後は善水寺を訪問した。
善水寺・・・薬師寺のひとつです。奈良時代和銅年間(708~715)元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創され、はじめは善水寺ではなく、「和銅寺」という名前でした。
延暦年間に傳教大師最澄上人が比叡山を開創した際、堂舎建立の用材を甲賀の地に求められました。
材木を切り出し横田川(野洲川)河岸に筏を組み、いざ流し下す段になったときに日照りが続き、河水少なく、思うように材を流すことができなくなりました。
そこで大師が請雨祈祷の為に、浄地を探されたところ、岩根山中腹より一筋の光が目に射し込み、その光りに誘われるまま和銅寺にたどり着きました。
山中に堂があり、その東側に百伝池があり、池中より一寸八分、閻浮檀金(えんぶだごん)の薬師仏を勧請され、その薬師仏を本尊として請雨の祈願を修すること七日間、満願の日に当って大雨一昼夜降り続き、流れの勢いのまま、材は川を下り琵琶湖の対岸比叡の麓に着岸したといわれています。
後に、京の都で桓武天皇御悩の際、大師が霊仏出現の池水を以って薬師仏の宝前にて病気平癒の祈祷、医王善逝(いおうぜんぜい)の秘法を修すること七日、満行なってこの霊水を天皇に献上されたところ、御悩忽ち平癒されたそうです。
この縁に依って岩根山「善水寺」の寺号を賜わったといいます。

<コース>
9:53JR草津線三雲駅10:25_道標(新海道)_ビジネス旅館天保閣前_天保義民之碑・説明板_モニュメント(県民花の森 天保義民の丘)・説明板_JR草津線の踏切を横断_常夜燈(東講中)・説明板(東海道五十三次 石部宿 横田常夜燈)・説明板(東海道五十三次 石部宿 園養寺→)_道標(妙感寺 従是二十二丁 / 微妙大師萬里小路藤房郷墓所)_県道13号高架下を横断_県道13号 野洲川に架かる横田橋を渡る_TOTO 滋賀工場前_朝国円形分水(親水性円筒分水工)前_R1(水口道路)高架下を横断_朝国北交差点を横断_石造物群(五輪塔の一部?他)_岩根東口交差点を横断_思川(おもいがわ)に架かる橋を渡り思川右岸を下る_やまりゅう(懐石料理店)前_11:46湖南市岩根まちづくりセンター・昼食12:43_案内板(岩根の里)_記念碑(開拓道路記念碑)_道標(国宝 善水寺参道 徒歩7分)_説明板(岩根山物語~善水寺と十二坊の歴史を訪ねて~)_観音堂(壱番 岩蔵坊 僧坊跡)_参番 僧坊跡_不動岩・磨崖不動明王_道標(国宝 善水寺 本堂 あとひといきです)_善水寺 駐車場_入山受付(大人500円)_説明板(国宝建造物 善水寺本堂 明治32年4月5日指定)_記念碑(善水寺と善水の由来)_観音堂_磨崖阿弥陀如来坐像_正栄寺前_常夜燈・道標(神?んみち)_高倉神社鳥居前_三叉路で道標(→0.5km 磨崖仏不動明王)を見て右折(北)_道標(←磨崖不動明王)_車谷川砂防堰堤_説明板(県指定文化財 磨崖不動明王尊 花園区)_来た道を三叉路まで戻る_八坂神社前_湖南市立岩根小学校前_三上山(近江富士)/菩提寺山遠望_思川と野洲川に架かる甲西橋を渡る_草津線の踏切手前で右折(北西)_15:44JR草津線甲西駅

<メモ>
・個別参加者: 2名 参加者全員:募集80名(満員)。
・コース歩行 (三雲駅~甲西駅までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約10.3km。
 所要時間: 5時間17分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの歩数と歩行時間及び推測距離)
 歩数: 24,449歩。
 推測距離: 約16.3km。(0.67m×24,449歩=16,380m)
 歩行時間: 4時間0分。
・反省会: 塩小路カフェ(単独参加)

<参考>
おでかけ moa JRふれあいハイキング

画像はこの日歩いた三雲駅から甲西駅までのGPSログを表示。



JRふれあいハイキングのコース案内。
Webサイトにアップされていたもの。
参加費用は500円となっているが、これは善水寺の拝観料に相当する。
よって、参加費は無料同然で、おまけにヘルシー弁当付きというサービス企画。

主催は一般社団法人 湖南市観光協会。
当日、実際には淡海観光ボランティアガイドの人達が運営されていた。
淡海観光ボランティアガイドとは、滋賀県の語り部で、ガイドブックでは得ることのできない、そこに住む人ならではの情報や見どころをご案内するというもの。

滋賀県観光情報観光ボランティアガイドによると、
自分たちが暮らしている地域等を、無料もしくは低廉な料金で、ご案内・ご紹介しています。
訪れる旅行者の方々を温かい心でお迎えし、地域の魅力を発信しています。
近年、全国各地でこのようなガイド活動が活発になっています。
最近では地域の紹介にとどまらず、地域づくりに貢献するなど、観光ボランティアガイド活動が地域の活性化や交流に果たす役割の重要性は、ますます高まってきています。
「おもてなしの心」を大切にしながら、地域を訪れる方々に喜んでいただけることを糧に、日頃から地域を知る努力や、新たな知識の習得に努め、日々活動に取り組んでいます。



JR草津線三雲駅でJRふれあいハイキングの受付をする参加者の皆さん。
この日のハイキングは予約制となっており募集定員80名は満員になったと聞いた。



参加者80名はいくつかのグループに分けて行動することに。
スタッフの人たちから簡単な挨拶とこれからの行程について話を聞く。

最初に訪問するのは、天保義民之碑が立つ天保義民の丘。
前方の丘陵地の左下に建物が建つがその右上に天保義民之碑が立っていた。
三雲駅を10時25分に出発。



天保義民の丘に向う別のグループの皆さんをズーム撮影。
白い建物はビジネス旅館天保閣。

つづく。



1月31日(金)06:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

チョ・アラム

チョ・アラム(조아람 Jo A-ram)を視聴してみよう。


アンコ椿は 恋の花(안코 츠바키와 고이노 하나) - 조아람 전자바이올린 (Jo A Ram)



사장가노야도(さざんかの宿) - 조아람 전자바이올린(Jo A Ram violin cover)



오사카시구레(大阪しぐれ) - Electric violinist Jo A Ram (조아람)



가나시이 사케(悲しい酒) - 조아람 전자바이올린(Jo A Ram violin cover)



みちづれ(미치즈레) - 조아람 전자바이올린(Jo A Ram violin cover)



矢切の渡し(야기리노 와타시) - 조아람 전자바이올린 연주



昴(すばる)스바루 - 조아람 전자바이올린 연주



胸痛く(가슴아프게)- 電子バイオリン奏者ジョアラム(Jo A Ram violin cover)



1月30日(木)18:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.17金剛山(狼谷_太尾東尾根)

フードが選べるのは良いが、どれがどんな料理なのか、写真がないのでわかりにくい。
二人なのでダブらないように適当にチョイスした。つまり6種類。



フードが少し足りない。夕食を兼ねているので。
日替わりランチの時間帯がまだ利用出来たので、これまたリーズナブルなのを注文。
あと、角のハイボールを追加。



日替わりランチは、ナンかライスを選べたので迷わずにナンにした。
これが甘くてなかなか美味しい。



こちらは日替わりランチメニューのカレー二人分。
量も十分。



計算書とお店のカード。
おしまい。



1月30日(木)06:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.16金剛山(狼谷_太尾東尾根)

R309旧道沿いから少し入ったところ、太尾東尾根道取り付きに掲げられた私製の案内板。
山頂まで約2時間と表示されているが概ね妥当な時間。



13時55分に水越川公共駐車場に帰着。
下山の所要時間は1時間35分。(12:20→13:55)

水越川公共駐車場は夏場、樹木が生い茂っていたが、すっかり剪定され見通しがよくなっている。



この日の反省会はいつもと少し違う趣向でインド料理?(早い話がカレー)を食べることになった。
私は好き嫌いがほとんどないので、どんな料理・食事でもオッケー。
しかしヘルシー嗜好でなるべく油っぽいものや肉系は多く食べないことにしている。

画像は、ViaあべのWalk ノースエリア B1Fのフロアマップ。
このフロアにあるインドレストラン ガンジス キューズタウン店へ。



入りやすい雰囲気。
時間は15時半で中途半端な時間帯。
中を覗くと店内は空いていた。



喉が渇いていたので、お手軽ビールセットがよろしいようで。
しかも、フードが3種類選べる。

つづく。



1月30日(木)06:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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