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No.7天保一揆と国宝善水寺

不動岩に彫られた磨崖不動明王をズーム撮影するも、この位置からではよく分からない。
お寺によると室町時代、文亀三年(1503)の銘が刻まれている。



不動岩を後にして本堂へ向う。
画像は参道に立つ説明板。「岩根山物語」~善水寺と十二坊の歴史を訪ねて~

善水寺については、下記参照。
善水寺・・・薬師寺のひとつです。奈良時代和銅年間(708~715)元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創され、はじめは善水寺ではなく、「和銅寺」という名前でした。
延暦年間に傳教大師最澄上人が比叡山を開創した際、堂舎建立の用材を甲賀の地に求められました。
材木を切り出し横田川(野洲川)河岸に筏を組み、いざ流し下す段になったときに日照りが続き、河水少なく、思うように材を流すことができなくなりました。
そこで大師が請雨祈祷の為に、浄地を探されたところ、岩根山中腹より一筋の光が目に射し込み、その光りに誘われるまま和銅寺にたどり着きました。
山中に堂があり、その東側に百伝池があり、池中より一寸八分、閻浮檀金(えんぶだごん)の薬師仏を勧請され、その薬師仏を本尊として請雨の祈願を修すること七日間、満願の日に当って大雨一昼夜降り続き、流れの勢いのまま、材は川を下り琵琶湖の対岸比叡の麓に着岸したといわれています。
後に、京の都で桓武天皇御悩の際、大師が霊仏出現の池水を以って薬師仏の宝前にて病気平癒の祈祷、医王善逝(いおうぜんぜい)の秘法を修すること七日、満行なってこの霊水を天皇に献上されたところ、御悩忽ち平癒されたそうです。
この縁に依って岩根山「善水寺」の寺号を賜わったといいます。



広い駐車場に出て入山受付へ。
入山志納料 大人 500円也。



国宝 善水寺 本堂。


本堂の近くに寄って撮影。

つづく。



2月3日(月)06:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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