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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)32

霊源院。(れいげんいん)
東福寺には二十五の塔頭寺院があり、霊源院もその中の一つ。



栗棘庵。(りっきょくあん)
同じく東福寺の塔頭。



明暗寺。

Wikipediaによると、明暗寺(みょうあんじ)は、京都市東山区にある普化正宗総本山の寺院。山号は虚霊山。本尊は虚竹禅師像。尺八根本道場。時代劇でよく虚無僧が「明暗」という文字を掲げた偈箱を着けており、一見宗教的な意味を持っているように見えるが、実際は「私は明暗寺の所属である」という程度の意味である。
鎌倉時代末期、天外明普が虚竹了円を開山と仰ぎ、京都白川に創建した。明治4年(1871年)に廃仏毀釈により廃宗廃寺となったが、明治23年(1890年)に東福寺の塔頭である善慧院に「明暗教会」として復興された。さらに昭和25年(1950年)に「宗教法人普化正宗明暗寺」として再興された。


明暗寺に虚無僧の音



同聚院。(どうじゅいん)


同聚院の駒札。

 臨済宗東福寺派に属する東福寺の塔頭寺院の一つ。
 東福寺の寺地一帯は、平安時代中期に藤原忠平が法性寺(ほっしょうじ)を建立した所で、寛弘三年(一〇〇六)には、藤原道長が四十歳の賀に当たって、五大明王を安置する五大堂を境内に造営した。その後も、藤原氏が法性寺の造営に力を入れたが、鎌倉時代初期には衰微し、その故地に九條道家が東福寺を建立したのである。
 本寺は藤原道長が建立した五大堂の遺跡で、五大明王のうち不動明王坐像(重要文化財)が幾多の災害を越えて祀られている。像は仏師定朝の父・康尚の作品で、像高二百六十五センチメートル、忿怒(ふんぬ)相の中にも優美さをたたえた藤原美術の代表彫刻の一である。「じゅうまん不動(じゅうまんふどう)」と称され「じゅうまん」の字を書いた屋守護の符が配布されている。「じゅうまん」は土地の守護を表す「土力」、又は十万の一族・従者を従えるという意味の「十万」の二字を一字にした文字といわれ、火除けをはじめ除災の霊験あらたかな不動として信仰が深い。
    京都市



Feb.29(Mon)14:26 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin

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