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上町台地から天王寺七坂めぐり43

付近の住宅地図。現在地は右の地図の左下と、左の地図の右下。
この先、太平寺を右に見て口縄坂を西へ下る。
この地図は上が西。
それにしてもお寺が多い。



珊瑚寺。

大阪市天王寺区珊瑚寺は水子供養・安産・子授の寺院です - iタウンページ によると、太閤秀吉公の重臣、桑山修理太夫重晴が、秀吉公の武運長久を願って私財を投じて建てられたのが珊瑚寺のはじまりです。重晴は朝鮮出兵の際に朝鮮より持ち帰った小児薬を「桑山丸子(くわやまがんじ)」の名で売り出したところ、評判がよく、のちに近松門左衛門の「心中天網島」の中に、子供に「くわやま」を飲ませるように、とあるように、たちまち有名になりました。この薬は長く大正時代まで作られていました。 また、天王寺七坂のひとつ、口縄坂の傍に珊瑚寺は位置しますが、その坂に面した「延命地蔵尊」は古くより、安産、子育てのお地蔵さまとして広く人々に祈られてきました。このように珊瑚寺は創建当時より、特に子供にゆかりがあるお寺として今日に至ります。先の戦災で消失しましたが、境内には、秀吉公座像、淀殿直筆の書物など秀吉公にゆかりのある品々を保管していた「太閤堂」という建物がありました。



「開運大黒天 / 準提観世音 / 太閤秀吉公 /  珊瑚寺」と彫られた石柱が山門前に立つ。


口縄坂の表示。

※天王寺七坂③口縄坂(くちなわざか)・・・天王寺七坂のひとつ。長さ130m、高低差15m、平均斜度7度。坂下に「口縄坂」と刻まれた石標と案内板がある。坂名の由来は幾つか伝わっている。①口縄は蛇の意で、坂下から見上げると坂が蛇の腹ように見えた。②道が蛇のように曲がっていた。(現在の坂は曲がっていない)③大坂城築城の時に縄を打ち始めた場所。④坂の昇り降りが大変なので縄を手繰って往来した。

坂にはモダンな街灯が設置されている。
そして右側の建物は足場が組まれ工事中。



織田作之助の文学碑。

 口縄坂は寒々と木が枯れて白い風が走っていた。
 私は石段を降りて行きながらもうこの坂を登り降りすることもあるまいと思った。青春の回想の甘さは終り、新しい現実が私に向き直って来たように思われた。
 風は木の梢にはげしく突っ掛っていた。

   織田作之助「木の都」より



4月14日(木)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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