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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


No.16岸和田城と周辺散策

市指定史跡 紀州街道本町一里塚跡(一里塚弁才天)

一里塚とは、江戸幕府の命により慶長9年(1604)、江戸の日本橋を五街道の基点と定め、36町歩を一里と定め一里ごとに塚を築造し、榎(えのき)、松などを植えさせたのが始まりだといわれている。
紀州街道は脇街道※、紀州往還道であるため、大坂の高麗橋を起点として和歌山城下まで一里塚が設けられていた。
由緒によれば弁才天は元々は一里塚に植えられていた松の下に小祠があったものを、天保7年(1836)8月頃に弁才天として社殿をつくり現在の所に遷座したものとされており、現在も街道を往来する人々を見守り続けている。
※主要街道(五街道)に対し補助的な役割を持つ街道。脇往還とも言う。



「虎野治男邸」の説明板。


犬矢来のような機能を持つものかもしれないが、それにしては立派過ぎる。不明。


角地に立つ町家。
自転車を路上に駐車しないで敷地の中に置いている。
通行の邪魔にならない。



何かの信仰に基づくものだろう。

つづく。



5月1日(金)04:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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