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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


No.5神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

「清酒 金剛力」の看板が掲げられている。
高市郡高取町上土佐、土佐街道沿いにある酒蔵。



やがて左手に整った石垣が続く。


見覚えのある忍坂坐生根神社に到着。
石段を登る。



石段を振り返って撮影。
垂れた三本の注連縄の結界を通り抜けて境内へ入った。



「忍坂坐生根神社」(おしさかにいますいくねじんじゃ)
祭神
 一 少彦名命(すくなひこなのみこと)
 一天津彦根命(あまつひこねのみこと)
境内社
 一 神女神社(しんにょじんじゃ) 大宮女命(おおみやめのみこと)を祀る
 一 愛宕神社(あたごじんじゃ) 火産霊神(ほむすびのかみ)を祀る
 一 天満神社(てんまじんじゃ) 菅原道真公(すがわらみちざねこう)を祀る
当社は天平二年(730)の「大倭国正税帳(おおやまとこくしょうぜいちょう)」に、また延長五年(927)の「延喜式(えんぎしきないしゃ)」にも名前が見える古社で、本殿を持たず宮山(みややま)をご神体とし拝殿の北側に神が鎮座する「石神いしがみ」と称する自然石十数個を並べた「磐座(いわくら)」があります。
ここ忍阪の地は隅田八幡宮(すみだはちまんぐう)所蔵の国宝人物画像鏡(じんぶつがぞうきょう)に刻まれた「意柴沙加宮(おしさかのみや)」の地ともされ、第二十六代継体(けいたい)天皇が磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)に即位される以前におられた処とされています。
また忍坂大中姫命(おしさかのおおんかつひめのみこと)や衣通姫(いてとおりひめ)が居られたとも伝わり「大和志料」では額田部(ぬかたべ)氏の祖、天津彦根命(あまつひこねのみこと)を祀るとも記され、平安時代の医書「大同類聚方(だいどうるいじゅほう)」に当社相伝の「以久彌薬(いくねくすり)」(額田部連(ぬかたべのむらじの)上奏(じょうそう))のあることを伝えています。
その薬の製法は昭和の初期まで伝わり、また額田部(ぬかたべ)氏が居住したとするこの地で額田王(ぬかたのおおきみ)と鏡女王(かがみのひのみこ)姉妹との繋がりや息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめたみ)こと(第三十四代 舒明(じょめい)天皇)の陵墓があることから息長氏の大和での拠点の一つであったとされています。
拝殿への石段の左右には境内社の「神女神社(しんにょじんじゃ)」と「愛宕神社(あたごじんじゃ)」を、北側には「天満神社(てんまじんじゃ)」を祀ります。
石燈籠二十四基の最古のものは拝殿下左右の延寶二年(1674)、正面登り口の石橋は正徳五年(1715)の刻銘があります。
また年代不詳の陰陽石(いんようせき)が一基あり、静かに村の安全と繁栄を見守っています。
境内には万葉集巻十三 - 三三三一(作者不詳・洋画家・有島生馬氏揮毫)による万葉歌碑があります。
「こもりくの泊瀬はつせの山 青幡あおはたの忍坂おさかの山は走出の よろしき山の出で立ちのくわしき山いて あたらしき山の荒あれまく 惜おしくも」
平成二十三年九月 桜井市忍阪区

つづく。



1月10日(日)05:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

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