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和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡6

これらの梅の木はよく手入れされ、見事に咲いていた。


「豊日神社御由緒」
「豊日神社」と記された社号標の後方左右の石燈籠に、「天満宮」と刻まれている。
境内に並んでいる石灯籠にも「天満宮」が多く、「豊日神社」と刻まれているのは一基だけである。
祭神が菅原道真公であること、道真公と所縁の深い牛の像が拝所の上の石段左右に据えられていること、鎮座地が天神口であることなどから、当社はかつて天満宮であったことが分かる。
『三代実録』の貞観五年(863)十月六日日乙丑条に、「大和国正六位上豊日神授従五位下(とよひのかみにじゅごいのげをさずく)」とある記事から、『大和志』(享保十九年<1734>成立)が「豊井村今称天神(いまてんじんとしょうす)」を、「豊日神祠(とよひしんし)」に宛て、これを根拠に明治になり豊日神社と改号された。
『奈良県山辺郡誌(大正三年刊)には当社の由緒を次の如く記している。

古老ノ伝ニ云ク、又天神ト称シ、或ハ火雷天神ト称シ、社ヲ天満宮トモ云フ、而シテ社地ノ夕日朝日共ニ良キ処ナルヲ以テ、神社ヲ豊日ト申シ、天神ヲ祭ルガ故ニ地名ヲ天満口ト云フ、其村ヲ豊日村ト唱ヘシモ何時ノ頃ヨリカ豊日ヲ豊井ト誤リシナラント

豊日の称のおこりは牽強附会(けんきょうふかい)で、豊日が豊井に誤ったとするのも強弁に過ぎない。
天神は元来カミナリ(神鳴)で、稲の妻(イナズマ)として稲作に豊穣をもたらす神であった。
ところが、平安中期以降になると、道真公の神号となった。
後世になると元来の天神を祀る天神社も道真公を祭神となし、社号も天満宮と称したところが各地にみられる。
当社もその例とみなしてよく、創祀の時期は不明なるも、道真公の時代以前であったことは、間違いないであろう。
  平成二十一年五月   豊日神社氏子一同



石鳥居、常夜燈と社号標。


神社の左下は溜池。(天神池)
更にこちらからも参道がある。



引き続き、山の辺の道 北コースを歩く。

つづく。



4月16日(火)05:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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