和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡9 |
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| 案内板とその左に道標が立つ。
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| 豊田山城跡 豊田山城は、豊田氏により築かれた中世山城です。 豊田氏は興福寺大乗院方の衆徒で、本拠地である豊田のほかにも、匂田・田村・三島・田井庄などを領地としていた大和武士でした。 豊田頼英の頃、永享元(1429)年には井戸氏との争いを発端とした大和永享の乱が起り、当時は越智党に属していました。 享徳4(1455)年には、古市氏・小泉・高山・秋篠の各氏とともに官符衆徒に任じられ、筒井氏に代わり寺門奈良中の検断権(警察権)を得たことにより筒井・古市氏に次ぐ勢力となりました。 豊田山城は、東西290m、南北380mの規模を示し、五つの郭で構成されます。 北側に主郭と副郭を配し、周囲には横堀が縦横に巡らされ随所に谷筋方向に竪堀が設けられています。 【一部割愛】 平成24(2012)年3月 天理市教育委員会
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| 道標によると、豊田山城址までの距離、0.5kmとなっている。 コースは豊田山城址に立ち寄らず、「弘仁寺 奈良」方面へ向かう。
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| 山間から抜け出し平坦地に出る。 道なりに西方向へ進む。
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| 付近は耕作を放棄しているようだ。 しかし、草は刈り取っている様子。
つづく。
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4月16日(火)06:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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