| 金剛山(カタクリ尾根_文殊中尾根)9 |
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| ここにもヒラドツツジらしきが咲いていた。
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| ちはや園地、らくらくの路を歩く。 【参考】 ちはや園地のマップ
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| ヤマツツジがほぼ満開。(山躑躅)
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| ここにもササユリ。 竹の棒を立てて、それとわかるようにしている。
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| 分かりにくいが、これもササユリ。
つづく。
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12月12日(金)06:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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| 金剛山(カタクリ尾根_文殊中尾根)8 |
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| これはおそらくカタクリのタネ袋(実)とみられる。(赤四角印)
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| ヤマブキソウが群生している。 以前、カトラ谷にヤマブキソウが群生しているところがあったが、現在は登山道の崩落で、立入が出来ないので、どうなっているのか不明。
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| こちらでは、シャクナゲが見頃。
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| 場所によって、開花の時期が微妙に前後する。
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| 香楠荘(千早赤阪村村営宿泊施設)の建物を解体中。 ほとんど、原形をとどめない状態になっていた。
つづく。
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12月12日(金)06:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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| 金剛山(カタクリ尾根_文殊中尾根)7 |
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| ユキザサ。(雪笹)
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| 先程も見たヤマブキソウ。(山吹草)
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| ちはや園地、しゃくなげの路を歩く。
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| ヤマシャクヤクの種が生っていた。(山芍薬)
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| エンレイソウ。(延齢草) 【AI による概要】 この名前は、かつて民間療法で薬として使われていたことや、花が咲くまで時間がかかることから「寿命が延びる」という意味が込められているという説があります。
・延齢草(えんれいそう): 「年齢を延ばす草」を意味します。 ・由来: 胃腸薬など薬草としての利用が、長寿を意味する「延齢」という名前に繋がったとされています。 ・別名: 漢字では、深山延齢草は「深山延齢草」、白花延齢草は「白花延齢草」と書きます。
つづく。
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12月12日(金)06:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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| 金剛山(カタクリ尾根_文殊中尾根)6 |
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| 紅色の花は、ヒラドツツジ(平戸躑躅)だろうか。 ツツジは種類が多い。 左下に見える特徴のある葉っぱは、ウリノキ(瓜の木)とみられる。(赤線が囲んだ部分)
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| アケビ(木通)の花が咲いている。
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| 花が終わったフクジュソウの葉っぱだろう。
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| フタリシズカ(二人静)。(赤四角印) 金剛山では、比較的よく見られる。
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| これは花が終わりかけのシャクナゲ(石楠花)。
つづく。
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12月12日(金)06:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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| 金剛山(カタクリ尾根_文殊中尾根)5 |
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| ここにもササユリが見られた。 ササユリの後ろには、ササが生えている。 ササと比べると、葉の色合いが緑色が濃い。
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| 金剛山遊歩道に出合う。 遊歩道側から、登山者に対し注意書きがある。
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| 注意書きは、「索道ロープの撤去を行っているので、鉄塔・索道下付近へは立入禁止」と記されている。 しかし、ここまで登って来た通り、このルートには、そのような場所はない。 これを設置した人は、“おそらくこのルートには・・”という予測で設置したのだろう。
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| コースは、ちはや園地へ向かう。 この時期、ちはや園地では、何か花が咲いているだろう。 画像の階段はショートカットコース。 これを見送り、通常通り散策することに。(直進)
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| 画像は金剛山ロープウェイ山頂駅。 (2025年12月現在、この駅舎は取り崩され更地になっている)
つづく。
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12月12日(金)06:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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| パベル・カルマノフ ピアノ独奏曲 過去完了 ポリーナ・オセチンスカヤ |
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| パベル・カルマノフ ピアノ独奏曲 過去完了 ポリーナ・オセチンスカヤを視聴してみよう。 Pavel Karmanov Polina Osetinskaya
Pavel Karmanov “Past Perfect” for piano, Polina Osetinskaya 【Google翻訳】 クセニア・バシュメット委嘱によるピアノ独奏曲「過去完了」(2015年)
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12月11日(木)20:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理
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| 金剛山(カタクリ尾根_文殊中尾根)4 |
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| 改めてオレンジ色のマーキングを近づいて撮影。
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| おっと、ササユリの蕾が大きくなりつつある。(赤矢印)
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| これは、ハナイカダ(花筏)の雄花が咲いている状態。
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| 引き続きカタクリ尾根を歩く。 左、植林帯、右、自然林。
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| 若葉が生い茂り、薄暗くなっている。
つづく。
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12月11日(木)06:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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| 金剛山(カタクリ尾根_文殊中尾根)3 |
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| コースは細尾谷を渡渉。 左岸に渡る。
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| 撮影した画像の手前で、カタクリ尾根谷を右方向に見送り左折。 カタクリ尾根に取り付く。
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| 少しばかり急登を喘ぎながら登る。
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| すると、ここにも、オレンジ色したマーキングが見えてくる。 (カタクリ尾根谷分岐から約15分経過)
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| ここは、カタクリ尾根谷から続く登山道が合流する地点。
つづく。
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12月11日(木)06:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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| 金剛山(カタクリ尾根_文殊中尾根)2 |
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| 小さな丸太の橋を渡る。
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| 馬の背分岐を左に見送り、しっかりとした丸太の橋を渡る。
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| 暫く細尾谷を遡上。 すると、画像のような木の幹に、オレンジ色っぽいマーキングしたところに出合う。
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| ヤマブキソウと見られる。(山吹草) 花がヤマブキ(山吹)の木に似ているので名付けられた草花。
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| オレンジ色のマーキングを近づいて撮影。 このような景観にそぐわないペインティングは止めて欲しいものだ。
つづく。
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12月11日(木)06:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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| 金剛山(カタクリ尾根_文殊中尾根)1 |
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| 2025年5月20日(火)は、週一恒例、金剛山にNa氏と登った。
百ヶ辻駐車場を利用。 登りは伏見峠登山道~細尾谷~カタクリ尾根~ちはや園地~金剛山遊歩道~山頂広場。 下山は山頂広場~金剛山遊歩道~文殊中尾根(穴熊)~伏見峠登山道。
画像は当日歩いたGPSログを表示。 周回ルートの東側が登り、西側が下山ルート。
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| トイレを済ませ、府道705号線に出る手前から駐車場管理小屋を撮影。
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| 伏見峠登山道(林道)を伏見峠に向かって歩く。(北東)
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| このクリンソウは明らかに植栽されたもの。 果たしてここで生き延びられるのだろうか。
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| 画像は細尾谷(シルバーコース)に入渓し、遡上しているところ。
つづく。
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12月11日(木)06:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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| 六地蔵駅_供水峠_日野岳_ユウレイ峠_上醍醐45/45 |
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| 唐門。 【AI による概要】 三宝院にある国宝の木造建築で、桃山時代を代表する豪放な意匠の「平唐門」です。 豊臣秀吉による「醍醐の花見」の翌年(1599年)に造られ、かつては朝廷の使者を迎える際に開かれた門です。 黒漆塗りの門に、金箔を施した菊と五七の桐の紋が大きく彫り込まれています。
特徴と歴史 ・建立: 豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」の翌年、慶長4年(1599年)に建立されました。 ・デザイン: 豪快で華やかな桃山時代の気風を今に伝える、唐破風造りの「平唐門」です。 ・装飾: 黒漆塗りの門に、金箔で施された菊と五七の桐の紋が大胆に配されています。 ・役割: 門跡寺院であった三宝院にあり、朝廷からの使者を迎えるための門(勅使門)として使われたとされています。 ・指定: 国宝に指定されており、世界文化遺産の一部です。 ・修復: 2008年の落雷による損傷を機に、約1年半をかけて解体修理が行われ、2010年に往時の姿に復元されました。
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| 【参考】 400年前の輝きがよみがえりました!-国宝唐門 「通り初め式」-
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| 総門を潜り抜け、醍醐寺を後にする。
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| 道なりに西方向へ歩く。
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| 2時18分、地下鉄東西線醍醐駅にゴールした。(アル・プラザ醍醐内)
おしまい。
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12月11日(木)06:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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| 六地蔵駅_供水峠_日野岳_ユウレイ峠_上醍醐44 |
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| 門の向こう側は醍醐寺の境内。
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| 引き続き未舗装の道を歩く。 この道では、一般の観光客をほとんど見ない。 人通りも少ない。
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| 道幅が広くなり、荘厳さすら感じる。
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| 仁王門。(西大門) 仁王門は1605年(慶長10年)に豊臣秀頼によって再建された。 醍醐寺は<八七四年建立の歴史ある寺院で、複数の建造物が国宝に指定されている。
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| 仁王門を正面から撮影。 左右に見えるのはサクラの木で、唐門まで桜並木となっている。
つづく。
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12月10日(水)04:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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| 六地蔵駅_供水峠_日野岳_ユウレイ峠_上醍醐43 |
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| 歩行者専用歩道となっている。
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| 登山道歩きと比べると、ダラダラと続く感じで、まだるっこい。
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| 杖が置かれていた。 ここから先、杖は必要ないのだろう。
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| 轍が見えるので、専用車は通行している様子。(=一般車は通行止め)
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| この分岐は右へ。(三宝院方面)
つづく。
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12月10日(水)04:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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| 六地蔵駅_供水峠_日野岳_ユウレイ峠_上醍醐42 |
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| ロープ(赤矢印)が途切れると、穏やかな傾斜道となる。
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| この先、再び下り道。
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| 皆さん、ロープを軽く掴んで下っている。 私はこの程度の傾斜だと、特に必要とは思わなかったが。 まぁ、人それぞれ。
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| 横嶺峠(よこみねとうげ)に到着したようだ。 コースは左へ。(西)
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| これまで以上に広い道で、歩きやすい。
つづく。
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12月10日(水)04:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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| 六地蔵駅_供水峠_日野岳_ユウレイ峠_上醍醐41 |
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| コースには含まれないが、五大堂を訪れるのは、久しぶりなので、立ち寄ることにした。 参加者の中にも、立ち寄る人が多かった。 尚、この場所に再び戻ってくる。(緑矢印)
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| 聖宝理源大師(しょうぼうりげんだいし)を真ん中に、向かって右に役行者、左に第一世座主・観賢僧正。 以前は像の前まで歩み寄れたが、鎖が張られ立入禁止となっていた。
ところで、理源大師と奈良市の商店街「もちいどのセンター街」に伝わる「餅飯殿」の名前の由来について。 【AI による概要】 「餅飯殿」の由来には、主に二つの説があります。 一つは、理源大師が大蛇退治の際に、供として従った箱屋勘兵衛ら若者7人に対し、餅と飯を分け与えたことから「餅飯殿」と称したという伝説です。 もう一つは、理源大師に箱屋勘兵衛が餅と飯を持参したため、「餅飯殿」と呼ばれるようになったという話です。 ・大蛇退治伝説 理源大師が大蛇退治に出かけた際、箱屋勘兵衛と7人の供が一行に加わりました。 一行は、大蛇に苦しむ人々に餅と飯を配りながら大峰山へ向かい、見事に大蛇を退治しました。 その功績を称え、理源大師が若者たちに「餅飯の殿」の称号を与えたことが、地名の由来となりました。 ・貢物伝説 箱屋勘兵衛が、理源大師のもとへ参拝する際に、いつも大師の好物である餅と飯を持参していました。 そのため、理源大師が冗談で勘兵衛を「餅飯殿」と呼んだことが、その住んでいた町の名前になったという説です。
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| 五大堂 【AI による概要】 ・五大堂は、醍醐天皇の勅願により延喜7年(907年)に建立されました。 ・現在の建物は、昭和15年(1940年)に再建されたものです。 ・堂内には不動明王、降三世明王、軍茶利明王、大威徳明王、烏枢沙摩明王の五大明王が祀られており、「五大力さん」の通称で親しまれています。 ・毎年2月23日には「仁王会大祭」が厳修され、災難身代わりの霊符が授与されます。
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| 五大堂を後にし、横嶺峠へ降りる。
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| 参道にはロープが張られている。
つづく。
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12月10日(水)04:36 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理
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