山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 

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畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅15

「←頂上」から、ここへ降りて来た。


頻繁に歩かれているであろうと思われる道を、引き続き南へ歩く。


これはサンショウの木とみられる。
若いうちは灰色がかった茶色で、短いトゲがたくさんあるが、幹が太くなると、画像のようにトゲはなくなり、こぶ状の隆起が残る。
葉っぱを見ても、サンショウの葉に一致している。
それにしても、このような大きなサンショウの木はあまり見ない。
【参考】
サンショウの幹



この辺りから行政区が奈良県王寺町から同香芝市に変わる。


この後、撮影は出来なかったが、荒れた道が続いた。
足元がぬかるんでおり、倒木や生い茂った下草に行く手を阻まれ難儀した。

つづく。



12月16日(火)06:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅14

大阪湾方面。
六甲山地はまったく見えず。



撮影した画像に1~3のコメントを付け加えた。
1、イボのように見える山塊が信貴山。(双耳峰)
2、一方、山脈のように連なって見えるのが生駒山。
3、山の尾根に広がっている集落が、柏原市 雁多尾畑(かしわらし かりんどおばた)。
【参考】
「天空の町・雁多尾畑(かりんどおばた)」



下山開始。
コースは山頂から南方向へ降りる。



ソヨゴの花が咲いていた。(冬青)
【参考】
ソヨゴの花



明神山の山域で王寺町エリアはよく整備されており歩きよい。

つづく。



12月16日(火)05:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅13

「恋人の聖地」と記されたモニュメント。
このような“聖地”が、近辺や全国の随所に出現している-驚。
吊り下げられた鐘は「悠久の鐘」と呼ばれている。
尚、ここには南京鍵が括り付けられていなかった。
【参考】
誓いの鍵・愛の南京錠スポット 全国11ヶ所



どのあたりを眺めているのか、まったく見えず。


立派な鳥観図が、パノラマのように並べられている。


明神山の信仰

【AI による概要】
明神山の信仰は、主に神仏習合の影響が色濃いもので、山頂に鎮座する「水神社」を中心とした修験道の歴史と深く結びついています。

主な信仰の特徴は以下の通りです。

・葛城修験の霊場: 明神山は、役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたとされる「葛城修験」の修行の地の一つです。
和歌山県の友ヶ島から始まる葛城修験二十八宿の**最終地(28番目の経塚)**とされ、法華経を山中に埋納したと伝えられています。この歴史的背景から、2020年に「日本遺産」に認定されました。
・水神社の存在: 山頂には「水神社」があり、古くから信仰の対象となってきました。
これは神仏習合の名残であり、かつては「嶽大明神」などと呼ばれていた可能性も推察されています。
・多様な信仰: 山伏による護摩焚きが行われるなど、仏教的な修行の側面もあります。
また、付近には天和3年(1683年)に建てられた栄西という僧の墓所があったと推測されるなど、歴史的に多様な宗教的要素が混在しています。
・景観信仰: 標高は低い(273.6m)ものの、山頂からの360度の眺望は素晴らしく、大和三山や法隆寺、東大寺など多くの世界遺産や史跡を一望できるため、古くから景勝地としても知られ、万葉集にも詠まれています。
この眺望も信仰や文化的な価値を高める要因となっています。

これらの要素が複合的に絡み合い、明神山は地域の人々にとって歴史的にも信仰の山として大切に守られてきました。



明神山からの展望

【AI による概要】
明神山からの展望は、標高273.6mの山頂にある展望デッキから360度のパノラマで広がる絶景です。
奈良県側には大和平野や奈良盆地の歴史的建造物、大阪府側には百舌鳥・古市古墳群やあべのハルカスが見え、天候が良ければ明石海峡大橋や淡路島まで見渡すことができます。

奈良県側の展望
・大和平野の歴史的建造物: 法隆寺、東大寺、興福寺の塔などが見えます。
・奈良の山々: 大和三山(耳成山、香具山、畝傍山)や若草山、信貴山、生駒山などを望むことができます。
・歴史的地名: 藤原京跡や平城京跡なども一望できます。

大阪府側の展望
・近代建築: あべのハルカスがくっきりと見えます。
・世界遺産: 百舌鳥・古市古墳群を一望できます。
・遠景: 空気が澄んでいれば、明石海峡大橋や淡路島、神戸市街まで見渡せます。

つづく。



12月16日(火)05:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅12

展望デッキがあるが、この日は眺望を期待出来ない。


でも、まぁ~それなりに見えている-笑。


すぐに雲が流れて来た。(赤四角印)


鳥観図もこの視界ではあまり役に立たず。


昼食後、トイレを利用する為、来た道を少し戻る。

つづく。



12月16日(火)05:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅11

この建物は表示がないが公衆トイレ。


右に鳥居。
中央にスピーカーが見えてきた。
明神山頂に到着。



これはサクラの木だろう。
サクランボが生っている。
セイヨウミザクラかもしれない。
【参考】
セイヨウミザクラの実



鳥居を振り返って撮影。


説明板と、その左後方に水神社の社が見える。

つづく。



12月16日(火)05:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅10

「山頂まで400m」のポイントに到着。
いよいよガスってきた。
しかし、一本道なので、道迷いはないだろう。



大和川を挟んで、対岸の観察ポイントに到着。


ガスでまったく何も見えない。


仕方がないのでスルーする。


「山頂まで200m」のポイントに到着。

つづく。



12月15日(月)06:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅9

進行方向、右側にベンチが置かれた休憩コーナーがあるが、休憩するほど歩いていないので通過。
また、雨傘を差して休憩するのもサマにならない。なんだか変な感じ-笑。



シモコシに似ているが違うようだ。(霜越)
名前の通り、秋の終わりから冬にかけての霜が降りる時期に、松の木に下などに生えるキノコなので、時期、環境共々アンマッチ。



「山頂まで1000m」のところでガスが出てきた。


撮影した画像は、ガスっているのではなく、歩きながら撮影したので手振れが原因。


右側の法面がコンクリートで固められていた。
歩道との区別を示す緑色の線が引かれ、まるで車道のようだ。
これがハイキングコースとは、一見するとそうは見えない。

つづく。



12月15日(月)06:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅8

明神四丁目の住宅地の西方向に、明神山ハイキングコースの取り付きがある。


歩きはじめると、「山頂まで1600m」の案内板。
この後、山頂までこのような案内場が立ててある。



車両進入禁止のゲート。
自転車も禁止。



王寺町明神山ポンプ場の施設を右に見て歩く。

「奈良県初 国登録記念物(名勝地関係) 明神山(送迎山=ひるめ山)」幟旗が立っている。
【参考】
明神山が奈良県初の国登録記念物(名勝地関係)に

■ 登録の名称 明神山(送迎山)[みょうじんやま(ひるめやま)]
■ 所在地 奈良県北葛城郡王寺町畠田2638番ほか 明神山自然の森公園
■ 登録の面積 9,659平方メートル
■ 登録の特徴及び評価
明神山(みょうじんやま・標高273.6m)は、大阪府と奈良県の府県境、奈良盆地の西を南北に縦走する生駒・金剛山系に属し、大和川が山系を分かつ金剛山地の北端に位置する。近世の畠田(はたけだ)村領に当たるこの地域は、役行者が法華経28品を埋衲した経塚を巡拝する葛城修験の第28番経塚として明神山や亀の瀬が比定されており、古くからの信仰地として知られ、かつて送迎山(ひるめやま)と呼ばれて、水(すい)神社が祀られてきた。その名には諸説あるが、聖徳太子が斑鳩と河内の往来の折に、送りと迎えの使者がここに落ち合い、それが昼飯時であったことから「送迎」と書いて「ひるめ」と読むようになったとも考えられており、その道の名も送迎道(ひるめみち)と呼ばれて来た。江戸時代のおかげ参りに伴って、文政13年(1830)にわずか1年余りの間、山頂に祀られた送迎太神宮(ひるめだいじんぐう)を描いた『和州送迎太神宮之圖』には、信仰地の様子が窺われ、夕日に向かい難波(なにわ)や住吉、淡路島への眺望を求める人びとの姿も伝えている。明神山は、生駒・金剛山系の中でもひときわ低い岳峰であるが、周囲の地勢の相対的な関係から、四方八周の広大な眺望に開け、東の奈良盆地や西の大阪平野、南北の山並みを一眸(いちぼう)のうちに収める。古代以来の地域における歴史文化の象徴を成し、低山ながら現代にもその眺望が広く親しまれている名所として意義深い。
(出典)文化庁作成資料



猪出没注意の看板。

つづく。



12月15日(月)06:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅7

道標から西方向へ歩くと、「スーパーヤオヒコ 王寺美しヶ丘店」が見えてくる。
店のすぐ横に、「明神四丁目バス停」があるので、王寺駅からバスを利用してここまでアクセス可能。



周辺の地図。
現在地は中央の赤四角。(現在位置)
地図の右、青四角印が、スタート地点の畠田駅。
コースはこの後、左、赤矢印の明神山へ向かう。
尚、ルートが二つあるが、畠田古墳とは別のコースを歩く。(北側のコース)



こちらは「明神山ハイキングコース案内図」。
この地図は、上が西を示している。
現在地(明神山鳥居)から山頂まで1.87km。
徒歩約40分。
トイレはこの近く畠田公園にある。(北)
尚、畠田古墳を経由する場合、もう少し距離があって、時間も掛かるようだ。
歩いたことはあるが、谷沿いの道で足場が悪い。



ここにも、明神山ハイキングコースの案内板がある。


住宅地に入る。
歩き出してすぐ、綺麗な花、アマリリスが咲き誇っていた。

つづく。



12月15日(月)06:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅6

この白い花はランの仲間、セッコクだろう。(石斛)
【参考】
セッコク



シンビジウムとみられる。これも同じくラン科。
【参考】
シンビジウム



この青い小さな花が咲く植物は、ムラサキツユクサとみられる。
【AI による概要】
ムラサキツユクサは、北米原産のツユクサ科の多年草で、日本には明治時代に渡来して以来、全国に広がり、野生化もしています。
朝に開いて夕方にはしぼむ一日花で、紫色の花を咲かせます。
また、雄しべにある長い毛を顕微鏡で観察する実験などにも使われます。



引き続き、西へ向かう。
この辺り、緩やかな登り道。



やがて住宅地に出る。(王寺町畠田七丁目)
辻に、明神山を示す道標があった。(赤四角印)
「明神山参道 / 是より西 弐壱八0米」と刻まれている。
“弐壱八0米”は“2180m”すなわち2,180m。

つづく。



12月15日(月)06:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

アンネ=ゾフィー・ムター ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲他

アンネ=ゾフィー・ムター ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲他を視聴してみよう。
アンネ=ゾフィー・ムター
ヴァイオリン協奏曲 (ベートーヴェン)

Anne-Sophie Mutter - Beethoven Violin Concerto



12月14日(日)21:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅5

こちらも、先程の乳垂地蔵とよく似たイメージで、一見してお地蔵さんとは思えない。
風化したのだろう。
いずれにしても江戸時代などではなく、もっと古い時代のものと思われる。



左の祠に祀られている弘法大師像。
比較的、新しいように見える。
胸のポケットに供物だろうか、何か供えてある。
先程の地蔵さんも同じ。



地蔵堂の鬼瓦。


小雨が降り続く中、引き続き西へ向かう。
この先で、皆さん、屯しているので、何かあるようだ。



ルピナスだろう。
【参考】
ルピナス

つづく。



12月14日(日)06:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅4

ウメ(梅)の実だろう。
まだ若い。
それにしても、数多く生っている。



北方向に少し歩き、再び西へと向かう。


この野菜はゴボウらしい。(赤四角印)
栽培したことがないので知らなかった。
一つしか植えてないが、まぁ、頻繁に食べる野菜でもない。



地蔵菩薩と記されたお堂と、その左に弘法大師と記された祠が並んでいる。


地蔵堂の観音扉を開けてみる。

つづく。



12月14日(日)06:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅3

説明書きの通り、お地蔵様のお姿が彫られているわけではなく、自然石をそのまま祀られている。
もっとも、涎掛けを外さなかったので、確実なことは言えないが。



慶長廿年の銘が見える石碑。(六斎念仏講)
【参考】
奈良県下の六斎念仏



この石柱は道標かもしれない。
「東」と刻まれているようだ。
その下にも何か刻まれているようだが、撮影した時はそれらしきと、気づかなかったので確かめなかった。



「?石?」。
再びここを訪れることがあっても、大部分が地面に埋もれているので、判読は出来ないだろう。



乳垂地蔵を後にして、西方向へ歩く。

つづく。



12月14日(日)05:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

畠田駅_乳垂地蔵_明神山_旗尾池_祇園荘_関屋駅2

「太神宮」と刻まれた常夜燈。


嘉永二巳酉年三月の銘が刻まれている。(1849年)


常夜燈が建つ辻を少し離れて撮影。


暫く歩くと「乳垂(ままたれ)地蔵」の説明板が立っている。

乳垂地蔵 Mamatare Jizo
祈願すると母乳がよく出るようになるというお地蔵様です。
境内地中央の祠にあり、お地蔵様のお姿が彫られているわけではなく、自然石のままお祀りされています。
江戸時代の記録には、人々の願いに応じて乳を与えていたために乳垂地蔵(乳かけ地蔵とも)と呼ばれていること、推古天皇が乳母の母乳が少ないのを憂いて、使者を遣わしてこのお地蔵様に祈願したところ、7日も経たないうちに乳母の乳がたくさん出るようになったことが記されています。
かつて乳垂地蔵のそばには柳の木があり、子どもをもつ女性らが乳の出が良くなるようにと乳をかけて祈願したことから、その柳の木は白くなっていたそうです。
境内の地蔵堂を新築する際、やむなく柳の木を伐ることになったため、 その木でお地蔵様をつくって堂内でお祀りされています。
また、境内には天正4年(1576)や慶長20年(1615)の銘をもつ石造物があり、古くから信仰のあったことがうかがえます。

王寺をめぐるーと



役行者像。

つづく。



12月14日(日)05:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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