神戸八社巡り19 |
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| 「西国街道 兵庫 湊口惣門跡」
西国往還に設けた兵庫の出入口の惣門である。東より来る西国往還は相生橋より相生町を経て、市電気局前に来り、進んで此の惣門を入り、兵庫津の湊・江川・木戸・木場・小物屋・北仲の諸町、今の所謂兵庫本町を進み、南仲町今の神戸商業銀行の前を右折し、小廣・神明・逆瀬川・東柳原・西柳原の町々を過ぎ、柳原口にあった柳原惣門を出て、斜めに今の長田交叉点に出て、西代を経て須磨に向かった。 兵庫の惣門は天正年間、池田信輝が織田信長の命によって、花隈城を攻略し、その功によりて兵庫を治し、城を築く。 其時、湊口・江川口・永澤口・三川口・関屋口・皆関門番所を設け、市中にも宮内・匠・松屋・魚棚・島上の諸町に、中濱門として番所を設けたが、徳川時代に入り、青山氏が此の地を領した時悉く之を破却し、只湊口・柳原区との両門を残した。 古図によれば惣門内には何れも番所があった。更に此番所の傍に高札があったが、幕末の地図によれば門外左側に高札場が移転している。これは門の修築に当たり番所を廃し、高札場を門外に移したものと思科する。
昭和四年十二月 岡九殻三郎 福原潜三郎 著 「神戸古今の姿」抜萃 昭和六十一年十月吉日
神戸市 岡方協議会
説明文によると、湊口惣門は“兵庫津”の東の玄関口にあたる。 一方、西の玄関口は、柳原惣門。
明治34年(1901)若林秀岳作の絵図
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| 湊八幡神社付近の地図。 オレンジ色で記された道が西国街道。 この後、我々は西国街道を歩いて相生町から神戸駅方面へ向かう。
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| 「湊口惣門跡碑」を過ぎると、JR山陽本線の高架が現れる。 東海道本線は神戸駅から西は山陽本線となる。
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| 貨物列車。 奈良県内ではJR貨物列車をまったく見ない。 この貨物車両、かなり長く繋いでいた。
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| この先、横断歩道を渡って山陽本線の高架下を潜る。 このような新しい建造物によって、西国街道は所々遮断され、歩きにくくなっている。
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2月12日(日)20:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り18 |
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| 境内に集められた破損した古い燈篭など。
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| 真新しい石鳥居は川崎重工業が奉納。
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| 七宮神社を後にし、北西方向に歩く。
左に、みなと八幡神社の社標が立っている。
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| 八幡宮と記された扁額。 この日は時間の都合で、湊八幡神社は拝観せず。
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| 新しい道標。 「西國街道 兵庫 湊口惣門跡」と彫られている。
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2月12日(日)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り17 |
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| こちらは吽形(うんぎょう)。
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| 奉納されていた白鶴の酒樽。
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| 社殿の前に錨。これも奉納されているのだろうか。 いずれにせよ、錨は港神戸の象徴。 六甲山系の「錨山」(いかりやま)には、イカリの電飾がある。
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| 港神戸守護神、厄除八社の案内。
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| 扁額には「七宮神社 大己貴大神」と記されている。
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2月12日(日)20:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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