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2024年8月7日を表示

葛井寺_辛国神社_津堂城山古墳_道明寺19

広大な津堂城山古墳の敷地を左に眺めながら、フェンスに沿って歩く。


巨樹が見えた。
あの巨樹の下だと、雨宿りしながら食事が可能かも。



踏み跡を辿る。


メチャクチャ大きい。
ビックリするほど成長している。
木の種類は一見したところ不明。
しかし、近づいてよく観ると、複数の参加者が、エノキとのことだった。



雨は小雨程度なので、ここだと雨宿り出来る。

つづく。



8月7日(水)05:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

葛井寺_辛国神社_津堂城山古墳_道明寺18

この頃、再び雨脚が少し強くなってきた。
昼食予定地の津堂城山古墳では、雨宿りが出来るか少々不安になってくる。



ブーゲンビリアだが、色が少し変わっている。


津堂城山古墳までの距離、僅かに0.1km。


ここにも地蔵尊が祀られていた。


やがて視界が開け、「史跡城山古墳」の石柱が建っていた。

つづく。



8月7日(水)05:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

葛井寺_辛国神社_津堂城山古墳_道明寺17

狛犬、阿形。


吽形。
カビが目立つ。



神輿臺と刻まれている。(赤四角)
お祭の時、神輿を一時的に安置する台だろう。



「右 大峯山」と刻まれていた。
いわずと知れた大峯山の方向を指しているようだ。
【参考】
大峰山



「津堂城山古墳」へ向かう。

つづく。



8月7日(水)05:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

葛井寺_辛国神社_津堂城山古墳_道明寺16

小山 善光寺の縁起
当寺は天正年間まで津堂城山古墳の後円部外側に接する小字名、善光寺屋敷址といわれる位置にあったが、天正年間織田信長軍の河内小山攻めの折、小山城と共に戦火をうけて堂宇焼失後、西誉宗珍によって慶長年間(江戸時代初期)になって現在地に移築再建されたものである。
この寺は南面山無量壽院善光寺と称し、歴史上でも有名な本田善光の伝説を持っている。
その内容としては、推古天皇の御代、本田善光が信州に帰国の途中、難波の堀江で立派な仏像(一光三尊仏)を拾い、これを負うて帰国のみぎり、小山の里を訪れ小堂で宿泊したが、住職の隆聖法師がその仏像を所望したけれども一体しかなく、そのため三日三晩にわたり二人で熱心に供養勤行をつとめたところ三日目の晩一光三尊仏が二体になったので一体を河内におまつりし一体を善光が信濃でおまつりして共に善光寺として諸人の帰依する精舎となって今日に至った。



小山善光寺を後にして、昼食場所の城山古墳へ向かう。

画像は藤井寺小山郵便局。



郵便局を過ぎてすぐ、右手に産土神社(うぶすなじんじゃ)の社標が建つ。


小山産土神社
創建
室町時代、現本殿の蟇股(カエルマタ・桃山様式)は、当時の儘の蟇股を残しております。
蟇股は藤井寺市内では、最古の物であり神仏習合社の証でもあります。
又、元禄五年「寺社数改帳」に志紀郡小山村の守護神、小山牛頭天王と隣接する、お寺天王山「清圓寺」が記載され、神社神紋、清圓寺仏紋も同じく五仏に唐花と成っております。
清圓寺の屋根等をご覧下さい。
尚、祀り事は、大正後期まで清圓寺住職により行われておりました。
明治維新(神仏判然令)後、明治十二年以降の本殿、御神鏡裏には河内小山坐・進雄(スサノオ)神社鏡と記されおります。
その後、昭和十七年寄進石碑に産土神社(生まれた土地の神)と神社前にありますが、神社庁記載には、戦後の昭和二十七年頃に産土神社としております。

本殿 疫病神・魔除等
本尊 牛頭天王(仏像神・江戸後期作)
   進雄(スサノオ)尊(御神鏡・釜等)
現在は素戔嗚尊命(神社庁記載)

金刀比羅社 水の神
本尊 本来は、十一面観音菩薩を本地仏として右側に不動明王・左側に毘沙門天の2体の脇侍仏でありますが、当神社、金比羅社内は、同じく3社宮となっておりますが、明治三十二年以降より現在の大物主の尊の御紙垂と両脇舎内は紙垂のみと成っております。

稲荷社 農耕の神 現在は商売繁盛の神としても崇められております。
本尊 稲田姫(仏像神・江戸後期作)



拝殿。

つづく。



8月7日(水)05:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

葛井寺_辛国神社_津堂城山古墳_道明寺15

小山善光寺 藤井寺市小山1丁目
現在、浄土宗に属し、南面山無量寿院善光寺と称します。
本尊は信州善光寺と同じ一光三尊仏阿弥陀如来です。
寺伝によりますと、推古朝(7世紀初頭)に本田善光によってもたらされた仏像を本尊として、隆聖法師が城山古墳の南側(「善光寺屋敷」の字名が残る。)に寺院を建立したということですが、おそらく渡来系氏族の津氏によって、今から約1300年前の7世紀後半に建立されたことが出土の軒瓦から推定できます。
その後、戦国時代の兵火によって三好氏の小山城と共に、諸堂焼失して廃寺となりましたが、江戸時代初期の慶長年間(1596~1614)、宗珍法師によって現在の地に再興されました。
毎年4月24日午後4時から本尊の御開帳があります。
  河内ふるさとのみち



本堂。
【参考】
小山善光寺



「南無阿弥陀佛 徳本田?」と刻まれているようだ。
写経塔とみられる。
左は水子地蔵。



常夜燈だろう。(赤四角)


写経塔の説明板。
残念ながら読みづらい。
【趣旨】
この写経塔の名号の筆者は、江戸時代末期の三味発得の高僧・徳本行者なり。
塔中には当寺に奉納せられたる写経を納めてその奇特を永く世につたえるものなり。

つづく。



8月7日(水)05:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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