観音山_樫ヶ峰_岩倉山6 |
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| 左手に駒札と石造物(供養塔)が現れる。
六十六部供養塔
日本六十六ヶ国の霊場に法華経を収める目的をもって諸国を遍歴する行脚僧のことを六十六部という。そけら行脚僧が、全国行脚の途次、このあたりに庵を建て、大師詣でのお遍路さんや修業僧などを善導したが、後世にそれら諸僧の徳を偲び供養塔が建てられた。神戸市上ヶ原浄水場の創設は大正九年であるが、昭和三十九年工業用水道の建設に際しその整地を始めたころ、この石塔も雑石とともに捨てられたが、以後、工事人などの病気や怪我が続出、驚いて元の場所に戻し、また粗末に扱った古墳ともども鄭重に供養した結果、その凶事も止み、それから工事が順調に進んだと今もなお関係者の悟り草になっている。
甲東文化財保存会
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| 柵がしてあったので、供養塔に近づくことが叶わなかった。
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| 「学校法人 関西学院 第4フィールド」前を通過。
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| 大師本堂へ九丁の町石
心ない人の仕打ちで無残な姿となってしまった町石である。碑面の梵字「バ」で水天(密教では西方の守護神)の種子である。五輪(地水火風空)の塔の場合は風に該当する悉曇(梵字の字母)である。このあたりは昔、仏性原といい寛保元年(1741)から十五年間、大師堂のあったところとされている。しかし、今は開発されその面影はなく、わずかに六十六部石塔が残っているだけである。
甲東文化財保存会
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| “心ない人の仕打ちで無残な姿”とあるのは、丁石が折れたこと、更に、その片割れが、見当たらないことを指しているのかもしれない。
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3月1日(水)20:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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