No.29吉祥草寺_国見山_国見神社 |
|
|
| 国見山頂に到着。 山頂は樹木がなく下草も刈り取られて広々としている。
| |
|
| 山頂に飛び出た道を振り返って撮影。 白い看板の後ろからここへ来た。看板の文字は磨耗して読めず。
| |
|
| 伐採した木々の根元が残っている。 植林だったようだ。
石柱とベンチが見えた。
| |
|
| 石柱には「嗛間丘」(ほほまおか)と記されている。この言葉は日本書紀に登場する。
御所市観光ガイドによると、 東征を終え、橿原の地で即位した後、神武天皇は国見山(日本書紀には「腋上の嗛間の丘(わきがみのほほまのおか)」と表現されている)にお登りになり、自分の「国を見」られた。 その時に「なんとよい国を得たものか。 狭い国かもしれないが、蜻蛉(とんぼ)がとなめ(交尾)をしているように連なった山々に囲まれた地だ」と発せられたとされる。 蜻蛉とは豊作の象徴であり、自分たちが得た地は狭いかもしれないが、稲作が盛んな、恵まれた地であるとの意で神武天皇は発せられたのである。 この国見山での出来事が、日本書紀における神武天皇の最後の業績記載となっている。 【日本書紀 巻第三(神武天皇の巻】
| |
|
| 石柱の側面にも文字が彫られているが、整った文字ではなく、別の人が追刻したようだ。
つづく。
| |
|
6月9日(火)05:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|