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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社10

「樋の谷水路」と呼ばれる水辺公園が現れる。
この水路は古墳の濠に面しているようだ。



西正面に「大阪府立だいせん聴覚高等支援学校」の看板が掲げられていた。
この場所は大阪府立白菊高等学校 跡地だったらしい。



引き続き古墳群周遊路を歩く。
フェンスの向こう側にも小さな古墳が見える。



樋の谷古墳

時代: 5世紀中頃
古墳の規模: 直径47m、高さ2.8m
古墳の形: 円墳

樋の谷古墳は、仁徳天皇陵古墳の外濠内にあり、陪家(ばいちょう)として宮内庁が管理しています。
仁徳天皇陵古墳は日本最大の前方後円墳で、墳丘長486mを誇ります。
周辺には10数基の小さい古墳が築かれており、この古墳も仁徳天皇陵古墳と関わりがある古墳(陪家)の一つと考えられます。
陪家:大型古墳の周囲に築かれた中小の古墳



仁徳天皇陵古墳

時代: 5世紀中頃
古墳の規模: 墳丘長486m、後円部径249m、高円部高35.8m、前方部幅307m、前方部高33.9m
古墳の形: 前方円墳

仁徳天皇陵古墳は大山古墳・大仙陵古墳とも呼ばれる日本で最大の前方後円墳です。
墳丘の周囲には濠が三重に巡ります。
墳丘や周濠からは円筒埴輪や形象埴輪が、造り出しからは須恵器の大甕(おおがめ)が見つかっています。
18世紀の記録には、後円部頂上にあった石棺の蓋石に関する記事がみえます。
また、1872年には前方部南側斜面で堅穴式石室が見つかり、中に長持形石棺や副葬品が納められていたことが絵図からわかっています。
その絵図に示されている銅製で金メッキされた甲冑やガラス製の容器は他の古墳ではほとんど見つかっておらず、大変貴重な品であったと考えられます。
通常、古墳の主たる被葬者の埋葬施設は後円部の頂部にあることから、前方部の埋葬施設はそれに付き従う人物が埋葬されているとみられます。
前方部の豪華な副葬品からも、主たる被葬者の地位の高さがわかります。

つづく。



3月3日(日)06:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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