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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社16

車道を横断し西へ歩く。


“大仙公園”を散策中。
車道に面したところに設置されていた。



寺山南山古墳の説明板。

寺山南山古墳

時代: 5世紀前半 国史跡: 2014年3月18日指定
古墳の形: 方墳 史跡名称: 百舌鳥古墳群
古墳の規模: 短辺39.2m、長辺44.7m

寺山南山古墳は履中天皇陵古墳の外濠に接して造られた、平面形が長方形の方墳です。
墳丘は2段に築かれ、南東辺には造り出しが設けられていました。
造り出しに接する墳丘のテラスからは家形埴輪や囲形埴輪が出土し、造り出しからテラスにかけての場所で祭祀(さいし)を行っていたと考えられます。
かつては墳丘の周囲を濠が巡っていました。
南西側の濠は履中天皇陵古墳の外濠と重なることから、履中天皇陵古墳と関わりの深い古墳(陪家)と考えられます。
陪家: 大型古墳の周囲に築かれた中小の古墳



寺山南山古墳の形状。


履中(りちゅう)天皇陵古墳

時代: 5世紀前半 古墳の規模: 墳丘365m、後円部径205m、後円部高27.6m、前方部幅235m、前方部高25.3m
古墳の形: 前方後円墳

履中天皇陵古墳はミサンザイ古墳とも呼ばれ、仁徳天皇陵古墳、応神天皇陵古墳(羽曳野市)に次いで墳丘長が日本第3位の規模を誇る前方後円墳です。
台地の端に海岸線と平行するように築かれ、古墳が海からよく見えるように築かれたと考えられています。
墳丘は3段に築かれ、築造当時の姿をよく保っています。
墳丘周囲には幅の広い濠が巡り、さらにその外側には外濠が全周していたことが明らかになっています。
濠の周囲には、かつて10基前後の古墳があり、現在も寺山南山古墳、七観音古墳、経堂古墳の3基が残っています。

つづく。



3月5日(火)06:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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