山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2015年2月を表示

瓜生山_雲母坂梅谷道15

よく踏まれたしっかりとした尾根道を歩く。


前を歩く登山者の視線を見て、左方向に眺望が得られるようだ。


中央右に見える森は宝が池公園だろうか。


一列縦隊になって順序よく歩く。


画像中央の小高いピーク、位置からすると衣笠山かもしれない。但し、自信はまったくない―笑。


2月14日(土)22:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道14

この分岐は白鳥山(北城出丸址)へ登るコースと、白鳥山の山頂を巻く二つのコースのようで、この日は山頂を巻く道を歩いた。


穏やかな傾斜の歩きよい道。


てんこ山とみられる山塊が見えた。


分岐。この分岐は先程の白鳥山の山頂から下ってきた道で、ここで一本になった。


分岐に設置されていた京都トレイルの道標。標識番号は62。比叡山方向へ歩く。


2月14日(土)22:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道13

やがて分岐となる。進行方向は直進だが、右後方からの道と出合う。この道は京都トレイルだが、瓜生山の山頂を踏まない別ルートのようだ。


分岐に設置されていた京都トレイルの道標。標識番号は60-1。


暫く歩くと再び分岐となる。この日のコースは左折(東)。


右方向は「この先コースではありません」と表示されていた。右方向へ進むと10分程度で「不動温泉」に至るらしい。未確認。


そしてまたも分岐となる。このあたり分岐がやたら多いが、道標が完備されているので迷うことはない。


2月14日(土)22:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道12

山頂には狸谷不動の奥の院が祀られていた。残念ながら木立に囲まれ山頂からの展望はほとんどない。


山頂に設置されていた京都トレイルの道標。標識番号は59-3。


先程の説明板にも記載されていたが、奥の院の後方に、かつて将軍地蔵が祀られていた。その後、移され、現在は石室のみ残っていた。


山頂を後にする。登山道がぬかるんでおり、滑りやすいので慎重に下る。


狸谷不動への下山道を見送り、右折(東)して比叡山方向へ歩く。


2月14日(土)22:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道11

その後も、何体かの童子像を見る。


木立の隙間から北東方向に山塊が見えたが、てんこ山412.3mだろう。


人の声が聞こえる。山頂が近い。


瓜生山301mに到着。山頂は狭いが平坦になっている。


北白川愛郷会が設置した瓜生山頂の説明板。


2月13日(金)21:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道10

すぐに分岐となる。左方向の狸谷不動分岐を見送る。往復で30分以内なら狸谷不動へ立ち寄ることも考えたが、境内の拝観時間を含め小1時間程度かかると思われたので立ち寄らず。又の機会に訪れたい。


こちらが狸谷不動への下山道。踏み込まず。


妙空蔵童子と彫られた童子像が現れた。


後でわかったが、ここから瓜生山頂まで、狸谷不動の奥の院への山道となっており、不動明王眷属三十六童子の巡拝路となっていた。不動明王の脇侍として、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)の二童子は知っていたが、さらに六童子を加えて八大童子を従える場合や経典によっては、四十八使者を従えると説くもの、そして狸谷不動のように三十六童子を従えるものがあるらしい。その中にこの第三十二番 妙空蔵童子が含まれる。


瓜生山の山頂をめざして更に登る。


2月13日(金)21:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道9

谷筋を詰める。落葉の絨毯の上を歩く。


このあたり急登だが、長くは続かない。


瓜生山のコルに到着。道標がある。


標識番号は59-1。左(西)方向に稜線が続いていたが行き止まりとなっている。瓜生山は右(東)へ。


尾根筋を歩く。


2月13日(金)21:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道8

地図。現在地がこの地図のどこなのかわからない。後でわかったが、この先の右手に、地図に記載されている「白幽子(はくゆうし)旧跡」があったようだ。なのでこの日は白幽子旧跡に立ち寄らず。


道標。京都トレイルに出合う。標識番号は58-3。


破線で表示されている白幽子旧跡を右に見送って現在地へ到着した。この後、瓜生山へ向かう。地図にあるように、ここから北東方向へ歩く。


すぐに清沢口石切場前に到着。案内によると白川の採取場跡となっている。


詳しい説明板。周辺には良質の白川石を切り出す石切り場があった。


2月13日(金)21:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道7

石川丈山墓を後にする。画像はお墓から登山道を撮影。お墓には立ち寄らず通過される登山者も多い。


登山道は明確だが、あまり歩かれている様子ではない。どちらかと云えばサブルートか。


細い踏み跡がついた斜面をトラバースする。


汗が出てきて服装の調整をされる登山者の姿も見られた。


これまで登山口から南東方向へ歩いてきたが、ここで東に向きを変えて歩くようになる。


2月13日(金)21:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道6

登山道で見たが境界石だろう。


史蹟 石川丈山墓に到着したが、見事に何も読めない。まるで幽霊の案内板に見えてしまう―笑。


この日のハイキングを主催した「えいでんハイク」が設置した案内表示。親切。


史蹟 石川丈山墓。昭和三年一月十八日内務大臣指定となっていた。


石川丈山墓。自然石の墓で、「石聘君六六山人墓誌銘」と彫られているようだ。
※京都寺社案内のHPに「石川丈山の墓」について次のように記載されている。
「東山の瓜生山の西の山の中腹、京洛の地を望む地に、江戸時代初期の幅広く活躍した文人・石川丈山(いしかわ じょうざん、1583 -1672)の墓が立てられている。三河国譜代武士の家に生まれ、徳川家康の近侍(1598)として大坂夏の陣(1615)に参加した。だが、禁じられていた先陣争いにより、その後武士を辞し、儒学者・藤原惺窩の元で学んだ。紀州の浅野家、安芸の浅野家に仕えた後、相国寺の近くの睡竹堂で隠棲している。さらに、洛北一乗寺村に詩仙堂(1641)を建てて棲んだ。漢詩、儒学、書道、茶道(煎茶)、作庭にも秀でていた。東本願寺只穀邸(渉成園)、酬恩庵(一休寺)なども手がけたと伝えられている。」



2月12日(木)22:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道5

ここまで早いペースで歩いてきたが、急に前へ進めなくなる。この先、急な登りで一列で登ることになるので渋滞となった。


滑りやすいので注意して登る。画像のような矢印の大きなシールが所々に貼り付けてあった。


右下に廃屋を見る。


階段。暫く急登が続く。


やがて登山道は穏やかな傾斜となる。歩いて気持ちの良い快適な道。


2月12日(木)22:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道4

路地のような、くねった細い道を歩く。


金福寺はこの石畳の階段を登るようだ。拝観せず通過。


いよいよ山が目前に迫ってくる。


ここで右に折れたが、直進すると波切不動尊なのだろう。


舗装道路の急坂を登る。この先にもまだ人家があってクルマの駐車場があった。


2月12日(木)22:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道3

「魚晋」と書いて「ととしん」と読むらしい。京料理のお店。


電信柱の下に置かれていた。こちらはフランス菓子。


道標。左は「親鸞聖人御舊跡」。「本願寺北山別院」を指すようだ。右は「金福寺」(こんぷくじ)。


直進すると本願寺北山別院。


北山別院を見送り右折。金福寺、波切不動尊方向へと歩く。尚、後で気付いたが、この日のコースでは波切不動尊へ立ち寄ることになっていたが、皆さんスルーされたようで私達も気付かずに通過してしまった。


2月12日(木)22:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道2

この日歩いたコース・タイムは下記の通り。尚、赤山禅院(せきざんぜんいん)の北側、梅谷登り口に下山後は、えいでんハイク一行とは別行動をとった。別行動についてはコース・タイム2として記載している。

コース・タイム1
9:27一乗寺駅(叡山電車・叡山本線)_9:41辻児童公園・コース説明・体操10:10_10:17本願寺北山別院分岐_10:18金福寺前_10:31石川丈山(じょうざん)の墓_10:44白幽子(はくゆうし)旧跡分岐_10:44道標(京都トレイル58-3)_10:45清沢口石切場_10:53道標(京都トレイル59-1)_10:53狸谷不動分岐_10:59瓜生山301m(うりゅうざん)/道標(京都トレイル59-3)11:04_11:07狸谷不動分岐/道標(京都トレイル59-5)_11:10北白川仕伏町分岐/道標(京都トレイル60-1)_11:12地獄谷不動院分岐_11:13白鳥山(北城出丸址)分岐/道標(京都トレイル61)_11:17白鳥山(北城出丸址)分岐/道標(京都トレイル62)_11:22道標(京都トレイル63)_11:23曼殊院分岐/道標(京都トレイル64)_11:39道標(京都トレイル65)_11:48てんこ山分岐/道標(京都トレイル66)_11:55送電線鉄塔_11:56石鳥居420m/道標(京都トレイル67)・昼食12:29_12:33音羽川渡渉_12:39渡渉2回目_12:41渡渉3回目/道標(京都トレイル68)_12:42水飲対陣跡碑/道標(京都トレイル69)12:44_<雲母坂(きららざか)梅谷道(うめだにどう)>_13:02砂防ダム_13:14道標(梅谷登り口)

コース・タイム2
13:14道標(梅谷登り口)13:15_13:22赤山大明神鳥居_13:25赤山禅院(せきざんぜんいん)13:51_13:57鷺森神社御旅所_14:02音羽川に架かる橋を渡る_14:06鷺森(さぎのもり)神社14:16_14:26曼殊院前_14:41西圓寺(さいえんじ)前_14:42圓光寺(えんこうじ)前_14:46詩仙堂前_14:46八大神社14:58_15:03本願寺北山別院前_15:05金福寺(こんぷくじ)前_15:18京都造形芸術大学前_15:32田中神社15:36_15:46餃子の王将百万遍店16:48_16:57京阪電車・出町柳駅17:04

画像はコース・タイム2を歩いた時に参考にした地図。京阪沿線ウォーキングまっぷ「出町柳周辺編」の中で、黄色の「詩仙堂・赤山禅院コース」を参考にした。尚、このコースは2010年10月23日にも歩いたことがある。



辻児童公園から東に見える山々を撮影。左の山は何山かわからない。


スタッフの男性より、これから歩くコースの説明を聞き、その後、簡単な体操をした。


そして一斉に出発。この先、白川通を横断。


白川通に設置されていた公衆電話ボックス。近づいてよく見たかったが、団体行動なので我慢。それにしても、背景の山が気になった―笑。※おそらく「てんこ山」442.3mだろう。


2月11日(水)22:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

瓜生山_雲母坂梅谷道1

2015年2月7日(土)は、叡山電車のハイキングイベントにH氏と二人で参加した。えいでんハイクに参加するのはこれが初めて。最寄り駅の叡山本線・一乗寺駅改札出口で参加者全員にペットボトルを一本プレゼントされた。えいでんハイクはこれが通例となっているようだ。コースは一乗寺駅の近く辻児童公園からスタート。石川丈山(いしかわじょうざん)の墓を経て、京都トレイルに出合いこれを歩いた。瓜生山301m(うりゅうざん)から白鳥山(北城出丸址)の直下を経て石鳥居にて昼食。水飲対陣跡碑から京都トレイルを離れ、雲母坂(きららざか)梅谷道(うめだにどう)を下って赤山禅院(せきざんぜんいん)の北側(左京区修学院守禅庵)に下山した。この日のコース設定では、ここから八瀬比叡山口駅まで歩きゴールとなっていたが、時間もまだ早く、多少歩き足りないこともあって、出町柳駅まで歩いた。この間、赤山禅院、鷺森神社、曼殊院前、詩仙堂前、八大神社、田中神社を散策しながら歩いた。反省会は餃子の王将百万遍店。

画像は歩いたコースのGPSログ。



叡山電車、叡山本線、出町柳駅にて撮影。車両の大きさが普通の電車より小さく、路面電車程度の大きさ。


なんと、ICカードが利用出来なかった。これには驚き。


一乗寺駅改札出口で地図とバッチ、ペットボトルを頂いた。


「石川丈山先生舊跡 詩仙堂」の石碑。一乗寺駅前にて。この駅が最寄り駅。


2月11日(水)22:50 | トラックバック(0) | コメント(12) | 山歩き | 管理


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