山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年11月を表示

六甲山縦走④(妙法寺駅_塩屋駅)48

鹿と亀。


水遊び。


ふんすいランドだが、噴水は出ていない。


こちらはバーベキューテラス。


プールに浮かぶビニール。
この中に子供が入っていた。
ウォーターボールと呼ぶらしい。



11月22日(火)20:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲山縦走④(妙法寺駅_塩屋駅)47

ゆっくりと階段を下る。


下山方向の「ふんすいランド」へ向かう。


家族連れで、結構、賑わっていた。「あれに乗る!!」
振り返って撮影。



チビッコ広場のライオン。


巻き貝。


11月22日(火)20:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

筒城宮址_竹林の里

2016年11月20日(日)は、第228回 古道紀行おおばこの会に参加した。
題して「こもれび山里の道-筒城宮址から竹林の里へ・石仏巡礼」。
当日は天気予報通り、終日曇りで一時、時雨れたが、傘をさすほどではなかった。
この日歩くコースの内、興戸駅から筒城宮址を経て大御堂観音寺、そして朱智神社までは初めて歩いた。
参加者、目測16人。

コース
近鉄京都線興戸駅_
※1防賀川(ぼうががわ)の跨線橋跡
_JR同志社前駅に架かる南鉾立(みなみほこだて)歩道橋を渡る_同志社女子大学正門バス停前_同志社大学正門バス停前_同志社大学構内_筒城宮址(つつきのみやあと)顕揚碑_不動明王古墳碑_同志社国際中・高校バス停前_普賢寺川に架かる学園橋を左に見送る_普賢寺川に架かる中垣内橋を左に見送る_普賢寺川に架かる新宮橋を左に見送る_普賢寺川に架かる観音寺橋を左に見送る_道標(学園橋1.2km 観音寺0.2km)_大御堂観音寺(おおみどうかんのんじ)境内_石碑(
※2二月堂竹送り復活の地
)_
※3三重石塔(川勝政太郎修復)
_道標(国宝観世音尊像 大御堂)_普賢寺川に架かる上区橋を渡る_普賢寺ふれあいの駅(地元産品販売所)_京奈和自動車道の高架下を潜る_普賢寺川に架かる小田垣内橋を渡る_普賢寺公園前_慶照寺_他力橋バス停前_石柱(水取小学校×)_駒札(水取小学校跡)_府道71号線の高架下を潜る_道標(朱智神社2.2km 打田地区2.7km)_浄楽神社前_夢告(むこく)地蔵_黒岩配水池前_墓地_駒札(一石多尊石仏群)_天王バス停前_案内図(京田辺市・天王地区案内図)_天王第二加圧ポンプ所前_タバコ渡辺商店前_道標(宮 右方×)_共働スペースふくろう工房前_道標(朱智神社 右へ300米)_常夜灯_朱智神社・昼食_極楽寺前_墓地_高船バス停前_案内図(京田辺市高船地区案内図)_道標(打田地区 2.2km 笠上神社 0.5km)_車道分岐・尾根筋ハイキングコースへ_登山口を右に見送る_石仏_<府県境>_県道7号線出合い_三界造園前_東庄田バス停前_ヤマザキショップ前_庄田バス停_<バス>_近鉄奈良線・富雄駅。

画像はこの日歩いた興戸駅から庄田バス停までのGPSログを表示している。



※1防賀川の跨線橋跡

防賀川は京都府京田辺市・八幡市を流れる大谷川の支流。著しい天井川で、JR片町線(学研都市線)や府道22号八幡木津線、近鉄京都線(興戸駅構内)は川の下を跨道橋や跨線橋でくぐっている(撤去された施設もある)。京田辺市の河川はほぼ天井川で、内水の速やかな流下を目的として作られたといわれる。現在、天井川を切り下げる工事が進んでいる。この川はもと木津川に注いだが、用水確保のため八幡市まで延長された。


防賀川

画像は防賀川の跨線橋跡。現在、跨線橋は撤去された。下のホームは興戸駅。



※2二月堂竹送り復活の地

「お水取り」の名で知られる東大寺・二月堂の修二会(しゅにえ)。その中で「籠松明(かごたいまつ)として使われている真竹を「お水取りの行」によって二月堂まで届ける。 毎年2月11日の早朝、周囲が20cm、重さ100kgほどもある根付きの真竹を7本掘り起こし、観音寺で道中の安全を祈願する「竹寄進」の法要のあと、二月堂に向かって出発する。第二次世界大戦や昭和28年の風水害によりしばらくの間途絶えたが、昭和53年、市民によって結成された「山城松明講」により約40年ぶりに復活した。


二月堂竹送り(にがつどうたけおくり)

画像は大御堂観音寺境内に立つ二月堂竹送り復活の碑。



※3三重石塔(川勝政太郎修復)

画像は大御堂観音寺境内に立つ川勝政太郎が修復した三重石塔。

川勝政太郎



11月21日(月)17:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

六甲山縦走④(妙法寺駅_塩屋駅)46

須磨浦山上遊園はミニ遊園地といったイメージ。


サイクルモノレールに乗るチビッコ。
自走式。



下に見えたのは東屋のような建物。


ミニカーランド入口。


須磨浦山上遊園の案内図。


11月20日(日)18:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲山縦走④(妙法寺駅_塩屋駅)45

この場所に立っても、これが一体何なのか、すぐにわからない。


説明板。
源平の戦いと、これがどういう関係があるのだろうか。
夢野台高等学校吹奏楽部演奏??、昭和の生んだ名優 森繁久弥????



こちらが説明板で日時計だった。


只今の時間、12時53分。


日時計は13時過ぎを表示していた。
アバウトな時間を表示するようだ。



11月20日(日)18:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲山縦走④(妙法寺駅_塩屋駅)44

須磨浦山上遊園の入口手前に毘沙門天の駒札があったので立ち寄る。

毘沙門天

毘沙門天は四天王の一人、多聞天の別名です。
日本では財宝や福徳を与える神様として七福神の一神としてお祀りされています。
吉祥天の夫ともされ勝運の神としても信仰を集めています。

御真言
おん べいしらまんだや そわか



毘沙門堂の観音扉は施錠されていた。


旗振毘沙門天 由緒

 当毘沙門天は信貴山朝護孫子(しぎさんちょうごそんし)寺より勧請されたものである。
当霊地は摂津と播磨の国境にあたり、国境の毘沙門天は特に霊験あらたかと伝えられている。
古伝では数々の奇跡が伝えられており福徳開運の天王として、商業繁栄に又聖徳太子自ら毘沙門天を祀り勝利に導かれた事から学問成就の願かけとして篤く信仰されている。
 毘沙門天が寅年、寅の日、寅の刻に突如出現した伝承により寅の日を祀り日とし、特に正月寅の日を大祀り日とする。
        須磨浦山上遊園



この建物、一体何なのか見当がつかなかった。


砲台のような形だが・・・。


11月20日(日)17:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

中山道3(高宮_醒ヶ井)

2016年11月17日(木)は、N氏主宰による中山道シリーズパート3として、高宮宿(六十四宿)から醒ヶ井宿(六十一宿)を歩いた。
現在の行政区では彦根市高宮町から米原市醒井。

手持ちの中山道の資料では、距離14.5km。
(高宮宿<6.0km>鳥居本宿<4.5km>番場宿<4.0km>醒ヶ井宿)
YAHOOの地図検索でも、距離14.8km。所要時間2時間57分と表示された。

今回訪れたコースの中で、醒ヶ井の地蔵川に生える梅花藻(ばいかも)は、登山の後に、車で立ち寄ったことはあるが、それ以外は初めて訪れた。

コース
近江鉄道本線・高宮駅_木之本分身地蔵尊(大北の地蔵さん)_近江鉄道本線の踏切を横断_常夜灯_地蔵堂_道標(すく 中山道 左 彦根道)_石清水神社_旭森公園前_駒札(かどや跡地と井戸の由来)_道標(是より多賀みち×)_常夜燈_地蔵堂_石柱(中山道旧跡 床の山)_芹川に架かる大堀橋を渡る_地蔵バス停前_祠(石仏)_道標(金毘羅大権現是ヨリ十× 慶応二丙寅年五月十日×)_矢除地蔵堂前_春日神社_原町南バス停前_R306を横断_常夜燈(多賀大社)_石柱六基_名神高速彦根インターの高架下を潜る_石柱(原町 中山道)_道標(すく ひこ祢 / 天寧寺 五百羅漢 × 七丁×)_道標(はらみち× / 昭和廿八年三月起工 彦根市長 / 昭和廿九年九月竣工 彦根市長)_原八幡神社前_(石柱)芭蕉 昼寝塚 祇川 白髪塚)_かくみや醤油 原宮喜本店前_原八幡神社社務所前_東海道新幹線の高架下を潜る_小町地蔵(祠)_八幡神社燈篭_石柱(八幡神社)小野こまち会館前_朝鮮人街道(彦根道)分岐_道標(左 中山道 京いせ / 右 彦根道 文政十丁亥秋 建之)_駒札(彦根道との分岐点)_石柱(往来安全 / 大正七年三月)_彦根鳥居本局前_専宗寺前_長池地蔵尊_鳥居本宿交流館 ※1さんあか_道標(佐和山城下町へ)_※2合羽所の看板が残る(松屋)_脇本陣問屋跡跡_旧本陣 寺村家_合羽所の看板が残る(木綿屋)_旧鳥集会所前_※3赤玉神教丸本舗(あかだましんきょうがんほんぽ 宝暦年間建造の店舗創業万治元年1658年)_中山道モニュメント_R8出合_道標(北 北国 米原 きの本 道 / 右 中山道 摺針 番場)_車道分岐_<急坂>_車道出合_※4望湖堂(ぼうこどう 茶屋)跡_摺針峠_石碑(明治天皇摺針峠御小休所)_神明宮・昼食_道標(左 中山道 / 右 中山道)_道標(摺針峠 彦根 / 番場 醒井 / 昭和五十年三月 何某)_地蔵(祠)_小摺針峠(名神高速 米原トンネル上)_石碑(番場 中山道)_道標(鎌刃城跡)_西番場バス停前_本授寺前_称揚寺前_西番場公民館前_地蔵堂_北野神社前_国指定史跡 鎌刃城跡案内板_大日如来堂前_地蔵堂_東番場会館前_蓮華寺下バス停前_(道標)瞼の母 番場忠太郎地蔵尊 / 南北朝の古戦場跡 蓮華寺)_名神高速の高架下を潜る_蓮華寺山門前_駒札(血の川)__名神高速の高架下を潜る_地蔵堂_石碑(明治天皇番場御小休所)_道標(※5米原汽車汽船道)_県道240号線(米原道・深坂道)を横断_石碑(中山道 番場宿)_地蔵堂_<並木道>_北陸道・名神高速の高架下を潜る_息郷簡易局前_米原市米原地域福祉センターゆめホール前_敬永寺前_地蔵堂_R21を横断_道標(中山道醒井宿 1.2km)_茶屋道館前_駒札(茶屋道館の由来)_祠(石仏)_案内板(中山道河南)_R21出合_六軒茶屋跡(彦根藩領との境)_道標(近江西国第十三番 霊場松尾寺 従是南廿町)_道標(中山道 醒井宿 / 柏原宿へ一里半 / 番場宿へ一里 / 平成五年再建立)_泡子塚 西行水_地蔵堂_地蔵川に架かる醒井大橋を渡る_十王水_石柱(天然記念物 了徳寺の御葉附銀杏)_源海寺前_夛々美家旅館前_案内板(地蔵川ハリヨ生息地保護区)_醤油屋喜代治商店前_※6問屋場(といやば)_石柱(國道十四號)_旧醒井郵便局前_松尾寺政所(醒井尋常高等小学校玄関移築)_JR東海道本線・醒ヶ井駅

画像はこの日歩いた高宮駅から醒ヶ井駅迄のGPSログを表示している。



※1さんあか
鳥居本宿の名産として、3つの赤が上げられる。赤い丸薬の神教丸、赤い渋紙の合羽と赤いスイカ。

※2合羽所の看板
鳥居本は合羽(かっぱ)が特産で、本家合羽と書かれた古い木製看板は、道中合羽(どうちゅうかっぱ)を製造販売していた。

※3赤玉神教丸
有川製薬のお薬は、「赤玉」の愛称で親しまれている、赤玉神教丸をはじめとする、和漢胃腸薬を製造・販売。 創業万治元年(1658年)、「お伊勢七度、熊野へ三度、お多賀さんには月詣り」と詠われた多賀神社の神教によって調製したことが始まり。赤玉神教丸・・・ストレスによる胃弱体質の改善・食べ過ぎ・飲み過ぎ・二日酔い・胸やけ・胃もたれの方。

※4望湖堂
中山道は、かっての東山道で、ほとんどが山道。近江路に入っても、伊吹山麓の柏原宿、醒井宿をたどり、山間の番場宿に至る。そして、この番場宿の山坂を登り、頂きの「摺針峠(すりはりとうげ)」に着くと、一気に視野は180度となり、西方に湖東平野とその先に琵琶湖が雄大な広がりを見せる。その峠の傍らには、昔の旅人が一息つき、琵琶湖を眺めていたという「望湖堂」という茶屋があった。参勤交代の大名や朝鮮通信使の使節らも立ち寄り「すりはり餅」が供されていた。現在では内湖が干拓され、ここから望む琵琶湖の湖岸は遠くなってしまった。また残念なことに、この建物は平成三年の火事で焼失した。

※5米原汽車汽船道道標
中山道から米原に向かう道は、江戸時代初め(1612年)に開設。米原は彦根藩が保護する港町になり、湖北や湖南・京都方面と結ぶ近道になって栄えた。当時の琵琶湖は現在より入込んでいて、米原港は現在の米原駅東口付近に在った。明治になって、船が汽船になり、さらに明治22年(1889年)に東海道線の米原駅が開業した。この道標は、その時期に立てられた物。当初、岐阜方面と京都方面を結ぶ鉄道は、滋賀県内では琵琶湖の船便を使っていた為、切れていた。鉄路は関ヶ原から長浜に着き、ここで船に乗換えていた。幾多の変遷の後、鉄路は米原に切り替えられ、そこから湖東を通って大津に向かう線が開通した。この時に、米原駅が開業。それによって、東海道線が全線開通した。

※6問屋場
問屋場は宿場でもっとも重要な施設。問屋場には大きく2つの仕事があった。一つは人馬の継立業務で、幕府の公用旅行者や大名などがその宿場を利用する際に、必要な馬や人足を用意しておき、彼らの荷物を次の宿場まで運ぶというもの。もう一つが幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける飛脚業務で、継飛脚(つぎびきゃく)という。


画像は在りし日の望湖堂。
参考記事
湖東編・3「磨針峠」中山道



11月18日(金)22:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

六甲山縦走④(妙法寺駅_塩屋駅)43

オキザリス。日本名は「カタバミ」。


旗振山・延命地蔵尊。


旗振山頂を振り返って撮影。


概ね下り道。


ここから先が須磨浦山上遊園。
旗振茶屋で見た親子連れは、ここから山頂をピストンしたのだろう。



11月17日(木)20:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲山縦走④(妙法寺駅_塩屋駅)42

須磨・須磨寺方面の六甲全山縦走路案内図。
今日は妙法寺駅から須磨アルプスを歩いてここへ来た。
この後、山陽電鉄塩屋駅へ下山する。



かつてここは国境だった。
ここまで(旧)摂津の国で、ここから西は(旧)播磨の国。



塩屋駅まで2.5kmと表示。
ここから先は初めて歩く。



塩屋駅まで約40分。
実際の所要時間は休憩時間や寄り道の時間を含めて約60分だった。



塩屋駅は海に近い場所なので、おそらく眼下に見える海岸に辿り着くことになる。


11月17日(木)20:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲山縦走④(妙法寺駅_塩屋駅)41

旗振茶屋正面。
この日は中には入らず。



山で飲む割には、そんなに高くない料金設定となっているようだ。


コガネモチの説明板。
縁起の良い木とされるが、大きくなるので、一般の住居の庭には不向き。
広い庭園などに使われるのだろう。



テラス風のシャレた休憩スポット。
旗振茶屋のお客さん用だろう。



須磨の浦あたりをズーム撮影。
生憎霞んでいる。



11月16日(水)20:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲山縦走④(妙法寺駅_塩屋駅)40

「旗振山登山会署名所 (創業昭和6年 旗振茶屋)」
「神戸市民の会旗振山 (毎日登山奨励会)」
署名所は旗振茶屋とは別に設けられている。



親子連れと繋がれていた犬。
親子連れは旗振茶屋の中に入ろうとされていた。



よく観ると犬は四頭もいた。


営業中の旗が立っているが客はおらず。
やたら多くの布巾らしきが干してあった。



遠くからでも旗振山と判別しやすい山頂に建つ電波塔。


11月16日(水)20:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲山縦走④(妙法寺駅_塩屋駅)39

旗振山頂への最後の階段。


旗振山頂までは、六甲全山縦走路と森林浴コースは重複しており、旗振山頂から分かれる。


山頂に到着。
明るい日差しの中、子供の姿が見えた。



須磨浦山上遊園の案内板。
実はここへ行くのはこの日が初めて。
縦走路のコースに含まれていない。
ロープウェイに乗ったこともなく、リフトはりま駅も初見。



生憎の天気で、曇っており、山頂からの眺望は望めないが、雨に降られるよりベター。


11月16日(水)20:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲山縦走④(妙法寺駅_塩屋駅)38

ここにも自然石の道標。
「右 鉢伏山 正面 鉄拐山 左 内裏跡」。
「内裏跡」とは“安徳帝内裏跡伝説地”を指すようだ。

須磨観光協会 のサイトによると、安徳帝内裏跡伝説地とは、安徳天皇は、平清盛の娘の建礼門院徳子 を母として生まれた悲劇の幼帝です。1180(治承4)年に2歳で即位しましたが、 1185(寿永4)年、 壇ノ浦の戦いで平家滅亡とともに祖母二位尼にいだかれて入水したと伝えられています。この伝説地 には、一時内裏がおかれたとのいい伝えがあり、 安徳天皇の冥福を祈って安徳宮がまつられています 。 江戸時代には松尾芭蕉も訪れています。住所 神戸市須磨区一ノ谷町2丁目6 一の谷公園内。



このあたり、歩きよい平坦な道を歩く。


「かくれみの」という名前の木。
葉っぱに特徴がある。
普段、何気なく見ているのかもしれない。
名前が意外な気がする。

カクレミノ - Wikipedia



この先、登山道の右は崖の上に位置する。
危険なので立ち入らない様フェンスが設けられている。



フェンスの手前から撮影。
この日は視界が良くなかったので、フェンスから先に踏み込まず。



11月15日(火)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲山縦走④(妙法寺駅_塩屋駅)37

この先、左右の樹木が伐採された箇所が現れる。


ロープで下から荷を運び、ここを通過して反対側に搬送していたようだ。
今は伐採された樹木の跡だけが残っている。



この先登りとなる。右は旧道だろう。


左に「旧妙見堂を経て一の谷町」分岐を見送る。
画像は振り返って撮影。



付近の地図。
破線で表示された六甲縦走路を旗振山方向へ歩く。
一の谷町への道も表示されている。



11月15日(火)20:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

六甲山縦走④(妙法寺駅_塩屋駅)36

「旧妙見堂を経て一の谷町」分岐を左に見送り旗振山方向へ直進。


分岐。左方向に階段が現れる。


分岐に向かって右(西)に置かれていた道標。
「右 須磨寺 正面 鉄拐山頂 左 鉢伏山」。
右 須磨寺と、左 鉢伏山は、正しい方向を示しているが、ここでも、正面(西)は鉄拐山頂ではない。
道標に向かって後(東)に鉄拐山頂が位置する。
正面とは、後方を指すのだろうか。



東方向の鉄拐山頂を見送り、旗振山方向へ直進する。


鉄拐山頂を左に巻いて歩くと、鉄拐山頂への南側からの登り口が現れる。
道標の多井畑は神戸市須磨区多井畑を表している。



11月15日(火)20:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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