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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年11月18日を表示

中山道3(高宮_醒ヶ井)

2016年11月17日(木)は、N氏主宰による中山道シリーズパート3として、高宮宿(六十四宿)から醒ヶ井宿(六十一宿)を歩いた。
現在の行政区では彦根市高宮町から米原市醒井。

手持ちの中山道の資料では、距離14.5km。
(高宮宿<6.0km>鳥居本宿<4.5km>番場宿<4.0km>醒ヶ井宿)
YAHOOの地図検索でも、距離14.8km。所要時間2時間57分と表示された。

今回訪れたコースの中で、醒ヶ井の地蔵川に生える梅花藻(ばいかも)は、登山の後に、車で立ち寄ったことはあるが、それ以外は初めて訪れた。

コース
近江鉄道本線・高宮駅_木之本分身地蔵尊(大北の地蔵さん)_近江鉄道本線の踏切を横断_常夜灯_地蔵堂_道標(すく 中山道 左 彦根道)_石清水神社_旭森公園前_駒札(かどや跡地と井戸の由来)_道標(是より多賀みち×)_常夜燈_地蔵堂_石柱(中山道旧跡 床の山)_芹川に架かる大堀橋を渡る_地蔵バス停前_祠(石仏)_道標(金毘羅大権現是ヨリ十× 慶応二丙寅年五月十日×)_矢除地蔵堂前_春日神社_原町南バス停前_R306を横断_常夜燈(多賀大社)_石柱六基_名神高速彦根インターの高架下を潜る_石柱(原町 中山道)_道標(すく ひこ祢 / 天寧寺 五百羅漢 × 七丁×)_道標(はらみち× / 昭和廿八年三月起工 彦根市長 / 昭和廿九年九月竣工 彦根市長)_原八幡神社前_(石柱)芭蕉 昼寝塚 祇川 白髪塚)_かくみや醤油 原宮喜本店前_原八幡神社社務所前_東海道新幹線の高架下を潜る_小町地蔵(祠)_八幡神社燈篭_石柱(八幡神社)小野こまち会館前_朝鮮人街道(彦根道)分岐_道標(左 中山道 京いせ / 右 彦根道 文政十丁亥秋 建之)_駒札(彦根道との分岐点)_石柱(往来安全 / 大正七年三月)_彦根鳥居本局前_専宗寺前_長池地蔵尊_鳥居本宿交流館 ※1さんあか_道標(佐和山城下町へ)_※2合羽所の看板が残る(松屋)_脇本陣問屋跡跡_旧本陣 寺村家_合羽所の看板が残る(木綿屋)_旧鳥集会所前_※3赤玉神教丸本舗(あかだましんきょうがんほんぽ 宝暦年間建造の店舗創業万治元年1658年)_中山道モニュメント_R8出合_道標(北 北国 米原 きの本 道 / 右 中山道 摺針 番場)_車道分岐_<急坂>_車道出合_※4望湖堂(ぼうこどう 茶屋)跡_摺針峠_石碑(明治天皇摺針峠御小休所)_神明宮・昼食_道標(左 中山道 / 右 中山道)_道標(摺針峠 彦根 / 番場 醒井 / 昭和五十年三月 何某)_地蔵(祠)_小摺針峠(名神高速 米原トンネル上)_石碑(番場 中山道)_道標(鎌刃城跡)_西番場バス停前_本授寺前_称揚寺前_西番場公民館前_地蔵堂_北野神社前_国指定史跡 鎌刃城跡案内板_大日如来堂前_地蔵堂_東番場会館前_蓮華寺下バス停前_(道標)瞼の母 番場忠太郎地蔵尊 / 南北朝の古戦場跡 蓮華寺)_名神高速の高架下を潜る_蓮華寺山門前_駒札(血の川)__名神高速の高架下を潜る_地蔵堂_石碑(明治天皇番場御小休所)_道標(※5米原汽車汽船道)_県道240号線(米原道・深坂道)を横断_石碑(中山道 番場宿)_地蔵堂_<並木道>_北陸道・名神高速の高架下を潜る_息郷簡易局前_米原市米原地域福祉センターゆめホール前_敬永寺前_地蔵堂_R21を横断_道標(中山道醒井宿 1.2km)_茶屋道館前_駒札(茶屋道館の由来)_祠(石仏)_案内板(中山道河南)_R21出合_六軒茶屋跡(彦根藩領との境)_道標(近江西国第十三番 霊場松尾寺 従是南廿町)_道標(中山道 醒井宿 / 柏原宿へ一里半 / 番場宿へ一里 / 平成五年再建立)_泡子塚 西行水_地蔵堂_地蔵川に架かる醒井大橋を渡る_十王水_石柱(天然記念物 了徳寺の御葉附銀杏)_源海寺前_夛々美家旅館前_案内板(地蔵川ハリヨ生息地保護区)_醤油屋喜代治商店前_※6問屋場(といやば)_石柱(國道十四號)_旧醒井郵便局前_松尾寺政所(醒井尋常高等小学校玄関移築)_JR東海道本線・醒ヶ井駅

画像はこの日歩いた高宮駅から醒ヶ井駅迄のGPSログを表示している。



※1さんあか
鳥居本宿の名産として、3つの赤が上げられる。赤い丸薬の神教丸、赤い渋紙の合羽と赤いスイカ。

※2合羽所の看板
鳥居本は合羽(かっぱ)が特産で、本家合羽と書かれた古い木製看板は、道中合羽(どうちゅうかっぱ)を製造販売していた。

※3赤玉神教丸
有川製薬のお薬は、「赤玉」の愛称で親しまれている、赤玉神教丸をはじめとする、和漢胃腸薬を製造・販売。 創業万治元年(1658年)、「お伊勢七度、熊野へ三度、お多賀さんには月詣り」と詠われた多賀神社の神教によって調製したことが始まり。赤玉神教丸・・・ストレスによる胃弱体質の改善・食べ過ぎ・飲み過ぎ・二日酔い・胸やけ・胃もたれの方。

※4望湖堂
中山道は、かっての東山道で、ほとんどが山道。近江路に入っても、伊吹山麓の柏原宿、醒井宿をたどり、山間の番場宿に至る。そして、この番場宿の山坂を登り、頂きの「摺針峠(すりはりとうげ)」に着くと、一気に視野は180度となり、西方に湖東平野とその先に琵琶湖が雄大な広がりを見せる。その峠の傍らには、昔の旅人が一息つき、琵琶湖を眺めていたという「望湖堂」という茶屋があった。参勤交代の大名や朝鮮通信使の使節らも立ち寄り「すりはり餅」が供されていた。現在では内湖が干拓され、ここから望む琵琶湖の湖岸は遠くなってしまった。また残念なことに、この建物は平成三年の火事で焼失した。

※5米原汽車汽船道道標
中山道から米原に向かう道は、江戸時代初め(1612年)に開設。米原は彦根藩が保護する港町になり、湖北や湖南・京都方面と結ぶ近道になって栄えた。当時の琵琶湖は現在より入込んでいて、米原港は現在の米原駅東口付近に在った。明治になって、船が汽船になり、さらに明治22年(1889年)に東海道線の米原駅が開業した。この道標は、その時期に立てられた物。当初、岐阜方面と京都方面を結ぶ鉄道は、滋賀県内では琵琶湖の船便を使っていた為、切れていた。鉄路は関ヶ原から長浜に着き、ここで船に乗換えていた。幾多の変遷の後、鉄路は米原に切り替えられ、そこから湖東を通って大津に向かう線が開通した。この時に、米原駅が開業。それによって、東海道線が全線開通した。

※6問屋場
問屋場は宿場でもっとも重要な施設。問屋場には大きく2つの仕事があった。一つは人馬の継立業務で、幕府の公用旅行者や大名などがその宿場を利用する際に、必要な馬や人足を用意しておき、彼らの荷物を次の宿場まで運ぶというもの。もう一つが幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける飛脚業務で、継飛脚(つぎびきゃく)という。


画像は在りし日の望湖堂。
参考記事
湖東編・3「磨針峠」中山道



11月18日(金)22:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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