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京の古道⑥竹田街道_大和街道33

中央が覆屋に覆われた本殿。左が割拝殿。右は合祀殿。
本殿の後方から撮影。



割拝殿から参道正面を撮影。


拝所。

巨椋神社-近畿のお宝マップ「トレジャーナビ・京都」-近畿農政局整備部によると、巨椋神社は、この地の地名の由来ともなった古代の豪族「巨椋一族」が祖先を祀ったのが始まりだといわれています。「巨椋氏」は「小椋氏」とも表記され、木地師(きじし)の集団だったといわれています。木地師とは、「ろくろ」を使って木材を削り、鉢や盆などの木製品を作る職人たちのことをいいました。境内には、平安前期の天皇である文徳天皇の皇子、惟喬(これたか)親王が建立したと伝わる子安神社が建てられ、惟喬親王が子供に危害を加える大鷲を退治した際に建立されたという伝説が残っています。惟喬親王は、木地師の技術を開発した祖ともいわれている人物で、子安神社の創建からは、木地師の集団であった巨椋一族との深い関わりを、うかがうことができます。



御祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)、天児屋根神(あめのこやねのかみ)、比咩神(ひめのかみ)を祀る。
ところが、これらの神々は春日四神。巨椋神社は春日神社??
(疑問はこの後に記述)



何故か「禁酒」の額が奉納されている。
願主何某が神様に「禁酒」の願を掛けたということだろう。大正十五年の銘。



3月25日(金)20:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

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