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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


No.8神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

境内に立つ「高円山 石位(いしい)寺」の寺号標。
寺号の高円山は、“たかまどやま”ではなく“こうえんざん”と読むようだ。
高円山・石位寺



国指定重要文化財 石造浮彫 伝薬師三尊像
収蔵庫内に安置されている本尊は、我国に現存する最も古い石彫三尊仏で、高さ一.一五m、幅一.五m、底辺一.二一m、厚さ約0.二mの丸みのついた砂岩製の石板に頭上に天蓋をいただいた倚座する如来形像を中心に三尊仏を浮彫にしたもので、寺伝では薬師三尊仏として伝えられているが、本来いかなる尊像として刻まれたものかは明らかではない。
刻出は極めて念入りで三尊とも薄い法衣を通して内部の肉体の起伏がよく表わされており、布の質感表現も巧みである。
長谷寺の銅盤法華説相図中の三尊仏と形式がよく似ており、白鳳時代のものと思われる。
昭和五十三年十一月 桜井市教育委員会



石位寺境内の石造物
<南東部石碑群>
4基の石碑は、右から3基は「西国三十三所巡礼供養碑」。西国三十三所観音霊場を供養した記念碑的要素が強いものです。
右より戦国末~江戸前期のもので法名を刻み、二つ目は江戸時代初期・正保4年(1647年)で物故者供養、三つ目は寛文4年(1664年)で俗名で構成されたものです。
桜井市史によるとこれらの石碑は、もともと境内の西北隅にあったもので、昭和53年の堂宇の建て直し時に移設されたものです。
また、左端の石碑は、庚申講衆碑で、大型ですが浅い梵字の形状、半肉彫で形骸化した蓮弁などから16世紀後半ごろの戦国末から江戸前期のものと想定できます。
これは昭和28年の国道166号開通よる現・庚申堂の移転に伴い、移設されたものです。
<北西部石造物群>
墓塔や墓標があります。
右端の石碑は、「阿弥陀名号供養碑」です。
通常は「南無阿弥陀仏」と記されますがこの石碑は供養碑として特異な表現となっています。
戦国時代・天文10年(1541年)のものです。
右から3基目は、「六十六部廻国供養塔」と考えられ、戦国時代・弘治2年(1556年)に法華経を66ヶ国の霊場に奉納し無事満願を迎えられたことを記念して建てられたたものです。
他にも、五輪塔火輪の15~16世紀のものや、江戸時代の墓標や五輪塔板碑もあります。
忍阪区



説明板に記載されている<南東部石碑群>。


境内で見られたサルスベリの大木。

つづく。



1月11日(月)05:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

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