No.10神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社) |
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| 刈り取った後の状態。 1回でこれほど綺麗に刈り取れるなら、この機械、重宝するだろう。
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| 忍坂街道 「忍坂道伝承地道」の石碑が、この場所と、石位寺から30m西側にある庚申堂前の国道166号沿いにある2箇所に建てられています。 これらの石碑は、聖蹟伝承地が数多くある桜井市(当時は町)が、日本紀元で数える2600年目にあたる昭和15年( 1940年)に建てたものです。 神武天皇東征のとき、東に位置する宇陀(松山)から半坂峠(大宇陀区嬉河原から粟原山頂上の鉄塔の下)を経て粟原へ、そして忍阪の村を通って宇陀ケ辻への道、また向垣内橋から浅古への多武峯への道..。これが『忍坂道』なのです。 この忍坂(押坂)の地を『宮』としていたとされる「忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)」が住んでいたとされている忍坂の土地。 人の行き交いもあったでしょう。 『日本書記』皇極3年(644年)の記載によると菟田山には仙薬とする水銀の鉱床があったとされ、近年まで採掘されていました。 また、宇陀野へは仙薬としての薬草や猪,鹿などの薬物採取を目的として出向いていたのです。 草壁皇子(日並知皇子)や軽皇子が狩猟していた宇太郡漆部里まり阿騎野の里への道なのです。 この時に忍坂を通る道は出来ていたのです。 街道といわれる前に、すでに「忍坂道」があったと言えます。 「忍坂街道」は平成17年に文化庁により『遊歩百選』として『大和の古道紀行』の中に山之辺の道などと共に選定されました。 忍阪区
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| 説明板に記載されている「忍坂道伝承地道」の石碑。
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| 歴史街道の道標。 この日は道標に表示されている「↑粟原寺跡 約2.4km」方面へ向う。
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| R166に合流し左へ。(東)
つづく。
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1月11日(月)05:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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