山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2014年1月5日を表示

有馬富士_花山院25

ここまで歩いた距離が二丁という表示。その後三丁の丁石を見る。


やがて、四丁に琴弾坂の石碑があった。ここは前述の花山院に隠棲した花山法皇を慕い、京の都からきた女官たちが女人禁制のために、ここで琴を弾き慰めたと伝えられている。(花山院のHPより)


琴弾坂の石碑の横にベンチがあったので、暫く小休止となった。日差しがあって暖かく、山頂に続いて二回目の日向ぼっことなった。尚、この日はこの後、バス停で三回目の日向ぼっこをした。画像は休憩後、再び歩き出して琴弾坂を撮影。


琴弾坂の石碑からすぐ、右手に駐車場が見え左にトイレがある。花山院に到着したようだ。駐車場には一台のクルマが見えた。


花山院参道の道標を見て歩く。傍らには八丁の丁石があった。


1月5日(日)23:07 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

有馬富士_花山院24

花山院の説明板。ここにも十二尼妃の墓の説明書きがあった。


ここから車道を900m登る。


是ヨリ八丁の道標。


途中、天満神社があったので立ち寄る。


立派な門松が立ててあった。


1月5日(日)23:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

有馬富士_花山院23

Wikipediaによると、花山院(かざんいん)、別名:菩提寺は、大阪・神戸のベッドタウン三田市中心部から北方へ約6キロの東光山上(標高約400m)に位置する。開基とされる法道仙人は、天竺から紫雲に乗って飛来したとされる伝説的な人物である。法道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。正暦3年(992年)頃、三十三の観音霊場を巡礼した花山法皇が、播磨清水寺に登った際に東方の山上が光り輝くのを見て訪ねて隠棲の地とし、その後晩年に帰京するまでの約14年間を過ごしたとされる。これに因んで元は紫雲山観音寺の名であった当山は東光山と呼ばれるようになったと言う。当山を含む麓の集落は尼寺(にんじ)と呼ばれるが、これは法皇付きの女官11名が法皇寵愛の弘徽殿の女御の位牌を奉じて訪ねて来たものの、女人禁制故に登山を許されなかった為、尼となって麓に住み着いたことに因む。 集落内には十二尼妃の墓と伝わる大小12基の墓(中央の大きい墓が弘徽殿の女御のものとされる)が存在する。
画像が十二尼妃の墓と伝わる大小12基の墓。



入口には注連飾りが張ってあった。


十二尼妃の墓を後にして花山院へ向う。タイミングよく道標が設置されていた。


この狭い旧道を登る。


花山院はこの先、車道を横断する。左に蕎麦屋「花山の里」があった。丁度、お客さんが出てきたところで、地元の人が利用するお店なのかもしれない。


1月5日(日)23:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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