野崎駅_野崎観音_河内飯盛山_四條畷神社21 |
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| 歩いて来た方向を振り返って撮影。(東方向) 一旦、道なりに下り再び登り返す。
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| ここから少し登り返し。
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| 堀切・土橋
敵の侵入を防ぐために設けられた尾根を分断する掘を「堀切」、その中央部分を橋状に残したものを「土橋」といいます。 土橋は一人ずつしか通行出来ず、敵兵の勢いを削ぐことができます。 また、この土橋を切り崩せば敵の侵入を防ぐこともできます。 大東・三好長慶会 大東市教育委員会
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| どちらからも登れるが、右はロープがある。
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| 登り詰めると楠木正行の銅像が建つ後に出る。
つづく。
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2月1日(木)06:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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野崎駅_野崎観音_河内飯盛山_四條畷神社20 |
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| 飯盛山山頂に建つ「FM802飯盛山送信所」の概要。
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| この電波塔は、平地から眺めると、飯盛山の目印になっている。
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| 電波塔の前を通って西へ。
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| 二本のモミジの木による色の組み合わせ。 美しい織物のようだ。
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| 「飯盛山 頂上」と記されていた。
つづく。
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2月1日(木)06:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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野崎駅_野崎観音_河内飯盛山_四條畷神社19 |
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| 各自が持参した酒の肴一品。 お酒はリーダーと、一部の人が好意で持参してくれた。
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| テーブルは二つに分かれたものの、皆さん、会話も弾んで、結構、楽しく飲み食いされていた様子。
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| こちらは女性グループのテーブル。 どうしても、男女に分かれてしまう。
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| 忘年会の席上で恒例となっている、各個人が“今年(2023年)を一字の漢字”で表し、それについて簡単にスピーチする。 その話題で盛り上がっている様子。
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| 忘年会の所要時間は約2時間。(11:30→13:20) この後、飯盛山山頂へ向かう。 山頂までの標高差はほとんどない。
つづく。
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2月1日(木)06:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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野崎駅_野崎観音_河内飯盛山_四條畷神社18 |
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| ブランコをイメージしたもの。
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| 千畳敷郭
飯盛城内では、最大の面積を持つ郭で、発掘調査で、柱の礎石や、土師器皿、調理用具などが出土していることから、居住空間と考えられます。 この場は、文献にも三好長慶が茶会や連歌の会を催したという記述が残されていることから、千畳敷で催されたのではないでしょうか。 大東・三好長慶会 大東市教育委員会
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| 飯盛山の山頂近くに到着。 画像は山頂に建つ「FM802」の電波塔。
画像の左にベンチらしきが写っている。(赤丸印)
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| 登山コースから、やや離れたところに、老朽化したベンチが置かれていた。 登山者と出会うこともなく、忘年会の場所として適所だと思われた。
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| 老朽化したように見えたが、意外にそうでもなかった。
つづく。
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2月1日(木)06:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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野崎駅_野崎観音_河内飯盛山_四條畷神社17 |
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| この付近にはモミジが植栽されているようだ。 丁度、見頃。
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| こちらは真っ赤に紅葉。 素晴らしい。
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| この先、分岐。 コースは尾根に沿って直進。 左下は「←北條小学校」と記した手製の道標があった。 このルートはまだ歩いたことがない。(別名:地獄谷古道)
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| 虎口(こぐち)と石垣
ここは、飯盛城の出入口で虎口と云います。 虎口の両側には、石垣が残ります。 飯盛城は中世の山城としては珍しく、石垣が多用された本格的な石垣づくりの山城です。 石垣は東面と西面に多く、登城道や、深野池から山城を見せる工夫であったと考えられます。 三好長慶の時代に整備されたものが多いようで、往時を偲ばせます。 大東・三好長慶会 大東市教育委員会
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| 広場のような平坦なところに出る。 ベンチが置かれた休憩コーナーがあって、ドングリや木の実を使って遊び心溢れる演出がなされている。
つづく。
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2月1日(木)06:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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