山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


山歩き

鷹尾山_荒地山_七兵衛山_はぶ谷35

急坂を下ると大阪湾が見えてくる。


岡本八幡神社前を通過。


天上川に沿って下る。


阪急神戸線の高架下を潜る。


観光客で賑わう駅前通りを歩き、14時4分、阪急岡本駅にゴール。
おしまい。



9月6日(木)18:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

鷹尾山_荒地山_七兵衛山_はぶ谷34

ようやく潅木の隙間から住宅が見えてきた。


登山口に到着。

ここから先は舗装道路を歩く。



八幡谷登山口に立つハイキングコース案内図。

荒地山で昼食後、魚屋道に出て、分岐で打越峠方面へ。
地図には記載のない七兵衛山に登り、はぶ谷、山の神を経て、ここ八幡谷の登山口(現在地)にいる。
この後、岡本八幡神社前から阪急岡本駅へゴールする。



八幡谷登山口に立つ道標。
阪急岡本駅へ1.0km。



日陰で休憩中の参加者の皆さん。

狂う程の暑さの中、ご苦労様でした。



9月6日(木)18:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

鷹尾山_荒地山_七兵衛山_はぶ谷33

分岐の左方向、緑の橋の先に建造物が見えたが、今は使われていない様子。
コースは橋を渡らずに直進。



八幡谷右岸の斜面を歩く。


見覚えのある石人像一対に出会った。


八幡谷の深い谷底。


やがて森の中を抜けると明るくなる。
右側に擁壁が続く。



9月6日(木)18:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

鷹尾山_荒地山_七兵衛山_はぶ谷32

八幡谷方面(尾根道)分岐を右に見送って、八幡谷 至 東灘区岡本町方面へ下る。


左下が河原になっている。


ここは矢印を見て左下へ。


急坂を下る。


この先、分岐。
コースは橋を渡らず直進。



9月5日(水)20:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

鷹尾山_荒地山_七兵衛山_はぶ谷31

ここにもベンチが見られた。


前方に堰堤が現れる。


右側が切れ落ちているので、踏み込まないように、木を組んであるようだ。


堰堤の名前は「八幡滝第二堰堤」。


堰堤の下に降りる道から堰堤を振り返って撮影。


9月5日(水)20:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

住吉川左岸_石切道_凌雲台_五助山

2018年9月2日(日)は、山を登る会の第1,012回例会に単独で参加した。
山域は六甲山地。

<概要>
この日は先週などと較べると暑さは随分と凌ぎやすかった。
二つのバリエーションルート(東谷橋から石切道登山口までの住吉川左岸と五助尾根)を踏破したが、特に下山の五助尾根は、両手を使って降りたので腕が筋肉痛。
持参した水2リットルは足りたが、六甲ガーデンテラスで、何年ぶりかでコカコーラを飲んだ。
何かスカッとする炭酸飲料を飲みたかったが、自販機にはコカコーラしかなかった。

凌雲台(りょううんだい)という名称は最近の地図には記載がない。
登山道の古い道標には表示されている。
六甲ガーデンテラス付近の旧称らしい。標高890m程度。

阪急御影駅をスタート。
まずは住吉川沿いに位置する白鶴美術館を目指して歩く。

住吉川に出合ってからは、右岸の舗装道路を延々と歩き、東谷橋を渡って、左岸に続く踏み跡を辿る。
ここから石切道登山口までの踏み跡は非常に薄く、知っていなければ、踏み込むのを躊躇するようなバリエーションルート。

打越山・八幡谷・横池・六甲最高峰方面の分岐を右に見送り、引き続き住吉谷を歩く。
住吉川に架かる木橋を渡って、石切道登山口に到着。

石切道は“石コロ道”の異名を持つ荒れた道で、終点は六甲全山縦走路、みよし観音付近。
歩き始めは展望がほとんどなく、荒れた道を黙々と歩いた。

六甲全縦出合からガーデンテラスへ。
六甲おみやげ館の裏側、六甲ガーデンテラス見晴らしのデッキで昼食。

食後は暫く六甲全縦を歩いて、分岐で五助尾根を下る。
分岐にはルートの表示がなく、ただ「右への道は迷いやすく危険です」とだけ記されていた。
以前は熟練者向けのルートと記載されていたらしい。

実のところ、下山には歩きたくないルートで、迷いやすいところもあり、五助山まで長く感じた。
この時、他の参加者と一緒に歩いたのは正解。
目印の赤テープがあるものの、単独では一抹の不安があったと思う。

五助山から先も、まったく気が抜けない。
スタート時点で説明があったが、五助堰堤の手前で、登山道が大きく崩壊しており、回避ルートを歩いた。
その先、沢を直接下ったが、このルートが本来のルートなのか知らない。
“沢屋”が歩くようなルートで、オマケに下るので、あまり意識していなかったが、腕を使って降りたのだろう、翌日、筋肉痛となった。
五助堰堤を経て往路の石切道登山口へ。
ここから住吉川の右岸を歩いて、往路の東谷橋手前へ。
白鶴美術館前を経て御影駅へゴールした。

<その他>
・参加者85名。
・リーダーT氏
・コース歩行距離約16km。
・実歩行距離約19km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数2万7千歩。

画像は阪急御影駅を起点に、この日歩いたコースのGPSログを表示。



<コース>
9:00阪急神戸線御影駅南改札口9:16_阪急神戸線の高架下を潜る_ザ・ガーデン・プレイス 蘇州園前で右折し細い道を歩く_道標(←白鶴美術館を見て左折)_御影グランドハイツ前_道標(若宮八幡宮表参道を歩く)_阪神水道企業団 住吉配水池前_御影柏葉パークマンション前_白鶴美術館前(交差点)_市バス白鶴美術館前バス停前_みなと観光バス住吉台バス停前_西谷川に架かる落合橋を渡る_道標(太陽と緑の道→)・横断歩道を渡り分岐を右折_道標(→五助ダム2.4km 六甲最高峰6.6km(住吉道) ガーデンテラス5.5km(石切道)へ)_道標を兼ねた洪水記念碑(昭和十三年七月五日 水災紀念 右 有馬道 左 六甲道 昭和十四年四月建之)・説明板(洪水水位の碑)_マンション住吉川前_大谷砂防ダム_住吉川に架かる大谷橋を渡る_分岐で甲南斎場を右に見送る_道標(太陽と緑の道→)_住吉川に架かる小峯橋を渡る_翔栄建設脇の小道を登る_分岐道標(←住吉台を見送り 五助ダム・六甲最高峰へ直進)_分岐で左を見送り直進して住吉川に架かる東谷橋を渡る(以後、石切道登山口まで住吉川左岸を歩く)_案内板(緑の聖域・打越山・坊主山地区周辺図)_案内板(六甲山系グリーンベルト整備事業)_木橋を渡る_電信柱_右奥の平坦地に石臼のような石造物_堰堤?に沿って左へ下り道なりに登り返す_コンクリートの溝?に沿って歩く_分岐道標(→打越山・八幡谷・横池・六甲最高峰を右に見送り ←住吉谷を直進)_住吉川に架かる木橋を渡り右岸へ_水場_水場・注意板(この湧き水は飲用に適しません)_分岐(←白鶴美術館 住吉駅 →住吉道 六甲最高峰を見送り ↑石切道・凌雲台へ直進)_お知らせ(紅葉谷道一部通行止め)_道標(←太陽と緑の道 六甲ガーデンテラス)_登山道崩落箇所_堰堤_道標(←住吉道 ガーデンテラス→)_分岐道標(←西谷橋を見送り 六甲ガーデンテラス方面へ→)_石置き場_道標(←凌雲台(石切道))_分岐で舗装道路を離れ左折・道標(ハイキングコース(石切道)←)・ハイキングコース地図(現在地からの距離 六甲全縦出合1.9km 六甲ガーデンテラスバス停2.0km 渦森橋バス停2.8km 住吉道五助ダム下流1.3km)_道標(←石切道凌雲台 石切道住吉御影→)_小ビューポイント・道標(←六甲山上 石切道 住吉・御影→)_凌雲台付近の眺望_道標(太陽と緑の道 →凌雲台 石切道)_道標(太陽と緑の道 ←ガーデンテラス 住吉道→)_六甲全縦出合・石切道ハイキング地図(←記念碑台2.0km 六甲ガーデンテラス0.2km)_六甲ガーデンテラス駐車場_道標(←六甲ケーブル・記念碑台 六甲最高峰→へ)_車道出合・道標(←六甲カンツリー・ハウス 六甲最高峰→へ)_六甲ガーデンテラスバス停前_11:58六甲おみやげ館・六甲ガーデンテラス見晴らしのデッキ・昼食12:20_六甲全縦を六甲最高峰方面へ・太陽と緑の道_分岐・道標(右への道は迷いやすく危険です(五助尾根) を下る ←極楽茶屋跡・有馬・六甲最高峰 →ガーデンテラス・記念碑台)_東天狗岩?_点(H8年 点名:2-32 六甲砂防工事事務所)_五助山(ごすけやま 四等三角点 点名:五介山 636.58m)_分岐を右へ_崩壊個所・左へ回避ルートへ_沢を下る_住吉川出合・右岸を歩く_木道を歩く_五助砂防ダム_立入禁止(五助堰堤)_説明板(六甲山の生い立ちと地形の変化)_石切道登山口・道標(白鶴美術館 住吉駅方面へ直進)_3級基準点(点名:1013 六甲砂防事務所)_分岐・道標(↑住吉台を見送り ←住吉3.3km 御影2.6km 住吉道へ)_住吉川に架かる東谷橋手前_<以後 往路に歩いた道とほぼ同じ道を阪急御影駅まで歩く>_ハーバーヒルズ御影前_14:56阪急神戸線御影駅15:02


石切道の説明板。

むかし、六甲山で切り出した花崗岩は牛車などで運び、御影の浜から各地に出荷したので「御影石」の名で世に広く知られるようになりました。
「摂津名所図会」には、京都や大阪など近畿一円の石橋や鳥居、伽藍の礎石、燈籠などがこの「御影石」で作られたと記されており、六甲山の石材は古くから近畿一円の街づくりに利用されていました。
この南にある採石場跡や石切道はその名残りです。

神戸市森林整備事務所
渦森橋バス停まで約4.5km 阪急御影駅まで約7.5km

六甲全山縦走路出合にて。



ここは左足を岩の間に入れ、両手を使って這い上がった。
五助尾根にて。



五助山(ごすけやま 四等三角点 点名:五介山 636.58m)。
展望なし。



石造物。
神戸市東灘区住吉山手、ハーバーヒルズ御影前にて。



9月4日(火)16:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

鷹尾山_荒地山_七兵衛山_はぶ谷30

歩いて来た方向を振り返って撮影。
画像の橋を渡って来た。



因みに「山の神」は女性であるという。
山の神 - Wikipedia



ベンチを横に見て下る。


道標を見て東灘区岡本町へ向かう。


JR摂津本山駅、阪急岡本駅へ。

この二つの駅は、近い場所に位置している。
阪急線が山寄り。



9月3日(月)19:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

鷹尾山_荒地山_七兵衛山_はぶ谷29

分岐に立つ道標。
左方向の尾根道を見送り、八幡谷 森林管理歩道を歩く。



整備された登山道は続く。


川に架かる橋を渡る。
木橋の脇を補強してある。



橋を渡ったところ。

分岐になっているが、どちらを歩いても、すぐに合流する。
この道には、今まで見られなかったパイプを使って補強されている。



「山の神」が祀られている記憶のある場所に出た。
ここから先は歩いたことがある。



9月3日(月)19:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

スライド式ザック

長生きして良かったかも!?

The Hoverglide Floating Backpack



9月2日(日)18:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

(続)慈眼寺_飯盛山_絵日傘コース_御机神社

飯盛城跡案内マップと飯盛城についての説明板。

飯盛城
飯盛城は、生駒山地の北部にそびえる標高314mの飯盛山に築かれた中世の山城です。
飯盛山は、東側に深い谷を有し、北と西側は非常に険しく、また河内平野や遠くは京都まで一望できることから、軍事的に重要な場所とされていました。
そのため、南北朝時代には城が築かれたと推定され、本格的に整ったのは畠山の家臣、木沢長政(きざわながまさ)が居城とした享禄4年(1531)の頃とされています。
その後、交野の土豪であった安見直政(やすみむねふさ)が城主の時期もありましたが、永禄3年(1560)には室町幕府の実力者であった三好長慶(みよしながよし)が畿内平定の本拠地として入城し、政治・文化の中心地となりました。
また、長慶はキリスト教にも寛容で城下での布教を許可し、多くの家臣がこの城で洗礼を受けています。(河内キリシタン)
長慶が城主であった全盛期には、南北約1200m、東西約500mの城域に、大小約70の郭(防御するための場所)が築かれていたとされ、全国でも有数の山城といえます。
しかし、長慶も入城の4年後には亡くなり、天正4年(1576)頃には、織田信長の勢力によって廃城になりました。
平成22年2月 大東市教育委員会

飯盛山山頂にて。



鳥瞰図「大阪眺望之図」。
飯盛山山頂直下の展望所(2F)にて。



センニンソウ。
御机(みつくえ)神社への下山道にて。



飯盛城の石垣。
御机神社への下山道脇にて。



鎖が設置された急坂を下って御机神社へ。


9月1日(土)18:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

慈眼寺_飯盛山_絵日傘コース_御机神社

2018年8月30日(木)はササユリの会に参加した。
山域は生駒山地。
タイトルは「野崎観音から飯盛山城へ」

<概要>
JR学研都市線野崎駅からスタート。
駅前を南北に流れる谷田(たにだ)川に架かる野崎橋を渡って、野崎参りの道を東へ歩く。
東高野街道を横断して“野崎観音”こと慈眼寺(じげんじ)へ。

境内から飯盛山ハイキング道を歩いて山頂を目指す。
谷田川のせせらぎを経て、分岐で竹林コースを左に見送り絵日傘コース(七曲りコース)を歩く。
辻の新池、尻池、南池を経て谷田川の源となる桜池に到着。

キャンピィだいとう(大東市立野外活動センター)分岐を右に見送り、FM電波塔を経て飯盛山頂へ。
直下の展望所で昼食。
下山は鎖が設置された急坂を下って御机(みつくえ)神社へ。

権現川に架かる橋を渡って、四條畷神社参道を歩き近鉄バス四條畷神社前バス停へゴールした。
私以外は四条畷駅へゴールした模様。

参加者、総勢9名。
Tu氏のお知り合いMo氏が初参加された。
また、久しぶりにKoさんが参加されたので、Kiさんと合わせ紅二点となった。

<コース>
JR学研都市線野崎駅10:15_野崎参りの道出合・道標(→野崎観音・飯盛ハイキング道入口700m・野崎まいり公園550m)_モニュメント(飯盛山麓 野崎参りの道)_R170野崎交差点を横断_東高野街道を横断・道標(↑野崎観音200m・←野崎まいり公園50m)_寺標(観世音菩薩・野崎観音慈眼禅寺)_福寿山魚捨(旅館)前_南條神社・野崎観音(慈眼寺)_西国三十三所観音堂_のざき観音会館(休憩所)_十六羅漢像_道標(飯盛山ハイキングコース→)_慈母観音像_石造九重層塔(永仁二年)_道標(吊り橋 97mを右に見送り 大東市立野外活動センター1801mへ直進)_展望所・東屋_休憩コーナー_休憩広場(標高100m)_展望休憩所(標高111m)_石柱(野崎城址)・説明板(野崎城)・案内板(飯盛ハイキング道 眺望サイン)・案内板(飯盛ハイキング道)_道標(観音峠 ←飯盛山)_道標(絵日傘コース→)_<絵日傘コース>_谷田川「せせらぎ」_分岐(←飯盛山)・寺標(妙成寺 教会)_道標(飯盛山→徒歩65分 七曲りコース)_水場・廃屋_妙成寺 教会(廃屋)_分岐(竹林コースを左に見送り 右折して七曲りコースを歩く)・道標(ここは七曲り口・竹林口 飯盛山へ↑七曲り道60分 ←竹林道55分)_道標(七曲り 急坂は約10分 標高140m)_休憩コーナー・石碑(御嶽教々祖神 他三基)_道標(←飯盛山)_石祠_道標(ここは辻の新池下 ←野崎観音30分 飯盛山36分)・道標(大東市野外活動センター→)_道標(辻ノ新池 標高215m)_道標(←大東市立野外活動センター192m →野崎観音1322m)_分岐・道標(ここは尻池の東屋から25m ←飯盛山13分 →キャンピィだいとうへ右折)_尻池・東屋_南池_案内板(大東市ため池マップ・浮島って何だろう?)_桜池_分岐(→キャンピィだいとう(大東市立野外活動センター)・トイレ)・休憩・分岐を左折_車道から左折して山道に取り付く_案内板(虎口(こぐち))_ベンチ・飯盛桜苑_気温計(32.5℃)_道標(ここは「FMラジオ放送所・送信所」 ←野崎観音45分 飯盛山5分)_NHK FMOSAKA FM802飯盛山送信所・電波塔_道標(ここは「飯盛山・FM側上り口」←飯盛山・四條畷神社)_フィックスロープ_河内飯盛山山頂314m・石柱(飯盛城址)・楠木正行(まさつら)像ほか二体像_案内板(飯盛城址案内マップ)_12:38展望所・昼食・気温計(31℃)・鳥瞰図(2F)13:32_センニンソウ_分岐(旧道を左に見送り右の新道へ)_分岐(楠公寺を右に見送り 四條畷神社・御机神社方面へ直進)_石垣跡_記念碑(登山参百回記念)_石垣跡_休憩所_駒札(郷土史カルタ・飯盛城 拠りて長慶 覇をきそう)_大東市二級基準点(点名:2-1)_急坂(鎖)_分岐(四條畷神社方面通行止めを左に見送り 御机神社方面へ右折)_御机(みつくえ)神社・水神社・トイレ・説明板(御机神社 由緒)_権現川に架かる橋を渡る_龍尾寺参道石段前_住吉平田神社鳥居前_茶屋宿 伊勢屋前・四條畷神社参道_ハイキングコース案内板・道標(←四条畷駅 1.0km)_R170四條畷神社前交差点を左折_15:10四條畷神社前バス停15:19_<近鉄バス>_15:42近鉄けいはんな線新石切駅15:52

登山道「絵日傘コース」の名前について
野崎小唄の一節「粋な日傘にゃ~蝶々もとまる~♪」をイメージしたものらしい。
野崎小唄 東海林太郎

<その他>
・参加者総勢9名。
・コース歩行距離約6km。
・実歩行距離約11km。(自宅~最寄り駅往復約2.7km等を含む)
・歩数1万6千歩。

画像はこの日歩いたJR学研都市線野崎駅から近鉄バス四條畷神社前バス停までのGPSログを表示。



大東市のマンホール。
日本マンホール蓋学会によると、
屋形舟で行く野崎観音(慈眼寺)への参詣は、江戸時代の庶民にとってかっこうの娯楽でした。
本デザインはその一場面を切り取ったもので、舟で行く人と道を歩く人が言い合っている様子です。
これは落語「野崎詣り」にも登場する「ふり売り喧嘩」で、当時はこの言い合いに勝つと縁起が良いとされていました。
現代の「野崎まいり」は毎年5月1日から8日まで行われ、期間中は参道に露店が並び、場内でイベントが開かれるなど大変な賑わいを見せます。
ちなみに野崎観音は、昭和初期に東海林太郎さんが歌って大ヒットした「野崎小唄」や「お染久松」の舞台となっているお寺です。(大東市上下水道局)



西国三十三所観音像。
野崎観音(慈眼寺)境内にて。



野崎城跡案内マップと野崎城についての説明板。

野崎城
野崎城は、飯盛山南西の尾根、標高約111mの地点に築かれていた中世の山城で、城域は南北約200m、東西約180mと推定されています。当時の山城は、尾根上に防御のための「堀切(空濠)ほりきり(からぼり)」と「郭(くるわ)」と呼ぶ平坦地を設け、そこに簡易な建物を建てるのが通例で、野崎城も南東側に堀切を持つ本郭(ほんぐるわ:現在地)と、その西側の尾根斜面に三段に設けられた四つの郭から構成されています。
当時は深野池が山麓まで迫り、飯盛山からの尾根が最も突き出している当地は、眼下の東高野街道の交通を掌握することができる、地勢的に要衝の地でした。
「太平記」によると、四條畷合戦(1348)において、北朝軍の懸下野守(あがたしもつけのかみ)がこの地に陣を置き、南朝軍の楠木正行(くすのきまさつら)と対峙した記述があり、この頃から、戦略上重要な地点であったことが推定されます。
応仁の乱(1467)以降の戦国期には、この地域でも頻繁に合戦が行われていたことが、当時の日記である「尋尊大僧正記(じんそんだいそうじょうき)」や「後法興院記(ごほうこういんき)」などに記され、その中に「野崎城」の文字を見ることができることから、この城が15世紀中頃には築かれていたことが推定されます。
このように、軍事上重要な役割を担った野崎城は、北東の山上に飯盛城が築かれた16世紀中頃以降は、その出城(でじろ)としての機能も有していたと考えられています。
平成23年11月 大東市教育委員会

野崎城址にて。



ヤブミョウガの花。
谷田川「せせらぎ」にて。



9月1日(土)18:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

鷹尾山_荒地山_七兵衛山_はぶ谷28

木々が置かれており、作業途中と見られる。


石のベンチを兼ねて斜面を補強している。
一石二鳥。



こちらの柵ではロープの代わりに“蔓”を使っている。
登山道下の石や脇に置かれた木も整備されたものだ。



下り道が続くが、風がないので蒸し暑い。


手作りのベンチや整備された登山道はどこまでも続く。


8月31日(金)18:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

鷹尾山_荒地山_七兵衛山_はぶ谷27

画像は森林管理道、横の雄池・黒五谷方面を撮影している。
このあたりの石積みもO氏が作られたのだろう。



「はぶ谷」と呼ばれる谷。
結構深い。



橋が見えるが、これも手作り。


ベンチではなく、斜面が崩れないように補強しているように見えた。
もたれることはできるが、座ることは難しい。



分岐に立つ道標。
打越峠0.7km・横池1.3km方面からここへ来た。
保久良神社(ほくらじんじゃ)1.8km・阪急岡本駅3.5km方面を左に見送り、阪急岡本駅2.3km方面へ右折する。
この日のゴールは阪急岡本駅。



8月31日(金)18:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

鷹尾山_荒地山_七兵衛山_はぶ谷26

これはベンチ。
腰を掛けるところは石になっている。

単にベンチではなく、登山道に木切れや木片が落ちてこないようにもなっている。



登山道脇の柵。

手で触れてみたが、頑丈に作られており、ちょっとやそっとではビクともしない。



沢に降りる。


そのまま沢の中を歩く。


分岐に立つ道標。

森林管理道、横の雄池・黒五谷方面を左に、十文字山・甲南大学方面を右に見送り、八幡谷森林管理道 至 東灘区岡本町方面へ下る。



8月29日(水)20:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

鷹尾山_荒地山_七兵衛山_はぶ谷25

ここにも登山道の脇に柵のようなものが作られている。


一見するとゴチャゴチャしているように見えたが。


三叉路の出合に「木漏れ日広場」の案内板。


「木漏れ日広場」の様子。
長椅子のようなイメージだろう。
大勢の人が休憩できる場所となっている。



「木漏れ日広場」を後にして更に下る。


8月29日(水)20:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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