矢田山磨崖仏_金勝寺4 |
|
| 三里(みさと)古墳。石棚が見えるが、あまり見かけない。珍しいのでは。
| |
| 案内板。昭和50年に実施された発掘調査で石棺の周囲から豪華な馬具や金銅装ハート形鏡板のやや実用的な馬具、土器類、武器類、ガラス玉等が出土している。(出土遺物も一括で奈良県の指定文化財) 出土遺物より6世紀後半~末頃の築造と考えられている。
| |
| 石棺?子供用かな。小さい。
| |
| 石棚の上に乗ってみるH氏。サングラスがよく似合う。
| |
| すぐ隣は田んぼになっていた。
| |
|
8月6日(水)20:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
矢田山磨崖仏_金勝寺3 |
|
| 長屋王墓と矢田丘陵。
| |
| 矢田丘陵に向って歩く。このあたり旧家が多く見られる。
| |
| R168(平群バイパス)を横断、三里古墳へ。
| |
| 船山神社分岐を右に見送る。
| |
| 北へ歩くと正面に民家があり、三里古墳は道標を見て右へ回り込む。
| |
|
8月5日(火)21:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
矢田山磨崖仏_金勝寺2 |
|
| 「長屋王墓と周辺の遺跡」説明板。
| |
| 天武天王皇孫 長屋王墓。
| |
| ※平群町のサイトから 「平群谷の北より、矢田丘陵より西に長く延びる丘陵の南斜面裾にある塚で、直径15m、高さ1.5m程の円墳状をしている。宮内庁により明治34年に、奈良時代初期の皇親政治家、長屋王の墳墓に治定されている。現在は方形の石垣と生垣で囲まれ、南側に参道が取り付いている。『続日本紀』神亀6年(729)には、正妻の吉備内親王と共に「生駒山に葬る」とのみ記され、明確な葬地は示されていない。そして、約千年後の江戸中期にまとめられた『大和志』に、「双墓 梨本村にあり一は長墓と称し左大臣正二位長屋王、一は宇司墓と称し二品吉備内親王‥‥‥」と記され、梨本の2つの塚が夫妻の墓とされている。」
| |
| 休憩中の皆さん。
| |
| 古代の瓦を模したものか。
| |
|
8月5日(火)20:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
矢田山磨崖仏_金勝寺1 |
|
| 2014年7月27日(日)は、「歩く・石仏の辻」に参加した。この日、参加する目当ては大きく2つあった。一つは矢田山磨崖仏を見ること、そして金勝寺とその墓地を訪れること。更にはこれが初めてとなる白石畑の集落から松尾寺までのルートを歩くことや、矢田丘陵縦走路から元山上口駅へと下るルート、そして長屋王墓も今回初めて訪れた。
コースタイム 9:43近鉄生駒線平群駅10:18_10:27長屋王墓・長屋王御陵公園10:32_10:39船山神社分岐_10:43三里古墳10:47_10:57道標(すぐ松・・・)11:04_11:13道標(右松尾道)_11:22開墾地_11:39白石畑公民館・安楽寺11:46_11:53道標(松尾寺・松尾山0.9km)_12:08松尾寺西墓地_12:16松尾寺(佐吉の千手観音石仏)12:18_12:22昼食13:10_13:21松尾寺霊泉_13:30松尾山頂分岐_13:37松尾湿原前_13:44国見台展望台13:48_13:50矢田寺分岐_14:10東山 元山上口駅方面取り付き14:20_東山 元山上口駅方面分岐_14:27送電線鉄塔巡視路分岐_14:32東山 元山上口駅方面分岐_14:39矢田山磨崖仏14:42_14:55耕作放棄地15:00_15:16簡易舗装道路_15:20R168(平群バイパス)横断_15:25金勝寺墓地15:31_15:34かんぽの宿大和平群前_15:38金勝寺15:53_15:57勧請綱_16:01元山上口駅~16:33王寺駅 ★反省会16:43王将・王寺店18:00_18:15王寺駅
画像は平群駅前の観光案内板。この駅から長屋王墓以外は、どこもかなりの距離がある。
| |
| 近鉄線の線路に沿って生駒方向(北)に歩く。
| |
| あまり見かけないヒマワリだ。ネット検索すると「八重」という種類なのだそうだ。
| |
| 付近をキョロキョロしている間に、長屋王の墓に到着。
| |
| 一帯は長屋王御陵公園となっていた。
| |
|
8月4日(月)22:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
鷹塚山地蔵尊5 |
|
| こちらは、鷹塚山地蔵尊と並んで祀られていた、鷹塚山大権現の祠。
| |
| 鷹塚山地蔵尊を後にする。
| |
| 付近は住宅が密集している。
| |
| 路地のような細い道。ここで右側に見える家に飼われている犬に吠えられた。
| |
| 住宅地に降り立った。おしまい。
| |
|
4月29日(火)19:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
鷹塚山地蔵尊4 |
|
| こちらはノーマルで撮影。それにしてもお顔は磨耗している。
| |
| N氏から、「奈良県史7石造美術」には、室町初期の作風、頭光に蓮華文を刻むとあり、頭の周りの円の所(頭光)が蓮の花弁状になっていれば、その時代の石仏と教わった。残念ながら、“蓮の花弁状”かどうか、私には判断出来ない。
| |
| こちらは全体像。
| |
| 足の部分。
| |
| 南方向に、薄い踏み跡があったが、雨で下草が濡れていたので踏み込まず。近くなのでまた訪れたい。
| |
|
4月29日(火)19:31 | トラックバック(0) | コメント(9) | 石仏 | 管理
|
鷹塚山地蔵尊3 |
|
| ここ鷹塚山地蔵尊のピークから、一番最初にここを撮影した場所、奈良市疋田町方向(南西)を逆に撮影したが、まったくどのあたりから撮影したのか、皆目見当がつかない。
| |
| 鷹塚山地蔵尊のピークから北東方向を撮影。画像中央は西大寺北小学校か。部分的に展望が得られるが、おそらく木々を伐採されているのだろう。
| |
| 山頂付近は平坦になっており、人為的なものを感じた。中央の木はご神木と思われるが枯れていた。地面が舗装されており、その為に枯れたとしたら残念だ。
| |
| そして、お目当てのお地蔵さんが、東を向いて鎮座されていた。
| |
| 残念ながら光不足で、上手く撮影出来ない。画像はフラッシュ撮影したもの。
| |
|
4月29日(火)19:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
鷹塚山地蔵尊2 |
|
| 奈良市あやめ池南4丁目4より鷹塚山地蔵尊のピークを南を向いて撮影。
| |
| 画像の真ん中、車庫の左に見える細い道が取り付き。鷹塚山地蔵尊と鷹塚山大権現の標石が見える。標石の側面には、旧大阪街道と彫られていた。住所は奈良市あやめ池南4丁目7。
| |
| 路地のような細い道を辿る。
| |
| 住宅の玄関に続く道ではなく、昔の里道、あるいは山道と呼ぶべきか。
| |
| 階段が現れる。
| |
|
4月29日(火)19:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
鷹塚山地蔵尊1 |
|
| N氏から、あやめ池南の近辺に、古い地蔵菩薩があると聞いた。雨模様だったが、午後から雨が止んできたので、自宅から散歩がてら歩いてきた。この地蔵菩薩、地図では奈良市西大寺高塚町1、鷹塚山地蔵尊として表示されている。住宅が密集した地域の小高いピークに祀られていて、取り付きがわかりにくかったが、散歩中の男性に尋ねて教えて頂いた。画像は奈良市疋田町から北東を向いて撮影した鷹塚山地蔵尊が祀られている小高いピーク。
| |
| 今日の蛙股池。午後2時過ぎに撮影。この頃は雨が止んでいた。
| |
| 奈良市あやめ池南4丁目9から、鷹塚山地蔵尊のピークを北北東を向いて撮影。
| |
| 付近の住宅地図。帰宅してからも注意深く、この地図を眺めたが、鷹塚山地蔵尊のピークは表示されていない。
| |
| 奈良市西大寺高塚町1より鷹塚山地蔵尊のピークを西を向いて撮影。
| |
|
4月29日(火)19:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
宝山寺正面参道25 |
|
| 生駒市北新町の住宅に続く急坂を下る。
| |
| ほどなく生駒駅に到着。展望が開けた場所から20分程度。
| |
| 反省会は生駒駅周辺では定番となっている「味楽座」へ。参加人数が多かった為か、別館を貸切状態で利用させてもらった。
| |
| この後、西大寺駅中の「豊祝」で、二次会となったが、私は参加せず。更に、新大宮駅近くのカラオケで三次会もあったらしい。おしまい。
| |
|
3月7日(金)19:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
宝山寺正面参道24 |
|
| 切り通しを下る。
| |
| すると突然、展望が開ける。
| |
| 予期せぬ展望を眺めながら少し休憩。
| |
| フェンスに沿って下るが、すぐに人家が現れる。
| |
| 三叉路に出る。画像を左方向へ行くと、ボーイスカウト生駒第二団のキャンプ場がある。
| |
|
3月6日(木)22:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
宝山寺正面参道23 |
|
| ここから先、生駒山麓公園コースBを宝山寺・生駒駅方向に向って歩く。所々残雪が見られる。
| |
| 暫く歩くが、山麓公園コースBから外れて、左方向へ下る踏み跡に入る。画像はその取り付き。
| |
| 取り付きは荒れているが、すぐに明確な踏み跡が現れる。
| |
| 竹林の中を歩く。
| |
| 小さな池を右に見遣る。
| |
|
3月6日(木)21:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
宝山寺正面参道22 |
|
| 道標のところまで戻ってきた。ここから先、来た道とは違って、西方向に伸びる踏み跡を辿る。
| |
| 木に赤ペンキでマーキングしている。ルートに目印をつけているのだろう。
| |
| やがて、見覚えのある橋のところに降り立った。
| |
| 画像は歩いて来たところを振り返って撮影。
| |
| 正規の登山道(生駒山麓公園コースB)に降り立ったところで小休止となる。
| |
|
3月6日(木)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
宝山寺正面参道21 |
|
| 小さな橋を渡る。
| |
| すると、目前に「水の神・中倉さん」の石碑が現れる。
| |
| 「生駒川源水」として紹介されている。発起人は俵口町農家組合。この石碑のところで集合写真となった。
| |
| 暫く休憩してから、来た道を戻る。
| |
| 車道に降り立ち登り返す。この先右手に朝日地蔵が鎮座。
| |
|
3月6日(木)21:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
宝山寺正面参道20 |
|
| それにしても、すぐ横が車道で、元々この場所にお地蔵さんがあったのだろうか。あったとしたら、お地蔵さんのすぐ横を車道を建設する為に、工事したことになるが、出来過ぎに思える。車道を建設した後に、お地蔵さんをこの場所へ移したのではないか。朝日地蔵という名前は、東向いており、朝日を臨むかたちで、つけられたのだろうが、後の時代になってから、ネーミングされたように思える。以上はあくまで私の勝手な推測だが。
| |
| すぐ下をクルマが通る。
| |
| 何気なくお顔を見ていたが、N氏によると、顎の下にいくつかの線が見えるという話だった。確かに見られるが、何か意味があるのかもしれない。 ※お地蔵さんのお首の線は三道(さんどう)と呼ぶそうな。更に、三道の下に瓔珞(ようらく)らしきものも見られるそうだ。
| |
| 車道に下りて、「水の神・中倉さん」へ向かう。
| |
| 倒木が踏み跡を“通せんぼ”している。時間があれば、倒木は撤去したかった。この日、私は出来るだけ、踏み跡に張り出た小枝を折って進んだ。人が歩かなくなれば、道はすぐに消えてしまう。
| |
|
3月5日(水)23:06 | トラックバック(0) | コメント(2) | 石仏 | 管理
|