山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


石仏

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵25

錫杖が丁寧に造られており、ふくよかな面持ちながらも、引き締まった凛々しさがある。


清潔な涎掛けと仏花。手入れが行き届いているようだ。


こちらは双石仏。ユーモラスな表情に見えてしまう。


西法寺を後にすると展望が開けた。左から751m峰(真平山)、中岳、貝ヶ平山、そして右端のなだらかな山容が鳥見山(とみやま)だろう。


11月2日、桜井市ウォーキングフェスティバルが開催される。K氏は参加されるようだ。


Oct.10(Fri)21:22 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵24

そして、この辻には覆屋がある。


左は「十三仏」。残念ながら割れているようだ。永禄七年(1564年)八月十五日の銘。右は板碑。


滝倉の旧家。


西法寺の入口。六地蔵。


西法寺、参道途中の地蔵石仏。N氏と比べて石仏の大きさがわかる。


Oct.10(Fri)21:21 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵23

藁を何かに使うのだろう。脱穀した藁が干してある。


やがて分岐に到着。


分岐の辻にあった自然石の道標。「右ハ ともだ 左ハ をぶ ふくすみ」だろうか。


同じ道標の右側にも刻まれていた。「右 當村 左 はせ」。


また、その下には「重兵衛」と刻まれているようだ。


Oct.10(Fri)21:20 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵22

分岐があり、ここは右下へ下る。分岐でH氏が立っておられた。H氏のザックに入っているのは、この日、“道づくり”に使われたノコギリ。ご苦労様でした。


前方からトラックが2台やって来たので、道路脇の草むらに避けたが、そこにはコオロギが沢山いた。カエルの餌に最適だったのかもしれない。


道路脇にアケビが生っていて、どういう訳かN氏がそれを採ることになった。背が高いことが選ばれた理由だと思う。


枝を手繰り寄せ、アケビをゲットしょうとするN氏。


これが採取したアケビ。少し頂戴したが、とても甘くて美味しかった。


Oct.9(Thu)20:59 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵21

三谷菅原神社に到着。


トイレ休憩となる。


この神社には高靇神(たかおかみのかみ)が合祀されているが、こちらの方が古く、後の時代になって、道真公に転換されたのかもしれない。


三谷菅原神社を後にする。


これは何だろう。稲ではなさそう。


Oct.9(Thu)20:12 | Trackback(0) | Comment(2) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵20

小夫嵩方への分岐を見送り、三谷の集落へと向う。


「くだものオーナー園」となっているが、見たところくだものは栽培されておらず。雑草が生えていた。


真平山の西に位置する751m峰(左)と右のピークは貝ヶ平山だろう。


こちらが751m峰。山頂が平に見える。


三谷の集落へ入って行く。


Oct.9(Thu)20:11 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵19

左右に田んぼが現れる。ここも稲刈りは終わっていた。


田んぼの畦道に植えられていた植物。名前はわからない。ランブータンの実に似ている。
※後でわかったが、これはトウゴマ(唐胡麻)。別名ヒマ(蓖麻)。



振り返って見えた景色。真平山の西に位置する751m峰だろう。右に見える人家は桜井市小夫嵩方(おおぶだけほう)。蛇足だが小夫嵩方から真平山を眺めると真平山の山頂は見えず、751m峰しか見えない。そしてその山容は頂上が平らになっているように見える。(撮影した画像とは違う) 真平山の山名は小夫嵩方から眺めた姿から名づけられたのではないか。因みに地形図では、真平山は751m峰の東に位置するピークとしている。重ねて書くが小夫嵩方の住人は751m峰を指して真平山と呼んでいるようだ。


やがて分岐に到着。道標があるが読みにくい。


しかし、ライトを当てればどうだろう。「梵字 右 だけ 左 いう 道運信士」だろうか。


Oct.8(Wed)21:07 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵18

左の大岩の右下側面に寝地蔵が彫られている。大岩の右に赤い涎掛けが見えるのが地蔵菩薩。


左が「寝地蔵」の説明板と、右は湧き水。


この湧き水は大昔からここに出たのだろう。このような湧き水のあるところに、決まって石仏が祀られているように思う。先に湧き水があって、その後に石仏を祀ったという印象。


大岩とその右に地蔵菩薩。そして阿弥陀磨崖仏を眺めるお二方。


寝地蔵を後にして林道を下ると、すぐに車道に出る。これを横断し、引き続き旧道を歩く。


Oct.8(Wed)21:05 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵17

左方向へ下る薄い踏み跡を見送って、尾根に沿って直進。


深い切り通しを過ぎると「寝地蔵」に到着。説明文によると「三谷のネンドさん」と呼ばれている。延慶(えんぎょう)二年は西暦1309年。鎌倉時代。


暗くて上手く撮影できなかったが、N氏が持参した懐中電灯でくっきりと撮影できた。


こちらは阿弥陀磨崖仏。整ったお顔をされている。蓮華の形も大きくて立派。


寝地蔵の横に立つ地蔵菩薩。建武二年(1335年)の銘が刻まれている。


Oct.7(Tue)22:04 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵16

この電柱が旧道への取り付きの目印と云う。Yさんが右手を指して、「え、ここを行くんですか?」と、尋ねているのだろう。今、撮影した画像を見るとそう思える。


「大丈夫なの、道はあるの」と、心配顔のM氏。事前にH氏が倒木の整理など道を整備していると伝えると納得した様子。


入口こそササが生い茂っているが、中に入ると踏み跡はしっかりとあり、迷うこともない。


植林帯の中に続く踏み跡を辿る。


このあたり、多少歩きにくいが、たいしたことはない。


Oct.7(Tue)22:03 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵15

赤とんぼが沢山飛んでいて、もうすっかり秋景色。


童心に戻って赤とんぼを捕まえたM氏。カエルの餌?


ツリフネソウだが、時季としては遅いようだ。


植林帯の中に続く林道を歩く。


突然、立ち止まる。この先から旧道が続いているらしい。


Oct.7(Tue)22:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵14

この神社には氷室がある。M氏を誘って氷室を見に行った。画像は「氷室について」の説明板。


氷室とM氏。氷室の大きさがわかるだろう。


こちらは氷室跡の説明。「葛神社略誌」より。


画像は勧請縄。前に見える池は宮池。


葛神社を後にする。


Oct.6(Mon)22:22 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵13

ツバキの実。はでている。


青竜寺からすぐ、葛神社に到着。


旧都祁村教育委員会が設置した葛神社の説明板。


この神社で昼食となったが、日が当たる場所は暑かったので境内の木蔭を利用して昼食場所とした。


ご神木の杉だろう。


Oct.6(Mon)22:21 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵12

サンショの実。緑や茶色は知っていたが、これほど赤くなるとは知らなかった。実を採って匂いをかいでみたが確かにサンショ。そして、この木、サンショにしては随分と大きいと思う。


本堂裏の墓地にて。古い石仏と新しい墓石が整然と並べられている。


こちらは古い双石仏と新しい仏花器。


双石仏のオンパレード。


青竜寺を後にする。


Oct.6(Mon)22:20 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵11

青面金剛像の従者とされる三猿(見ざる、聞かざる、言わざるの3匹の猿)。
青面金剛像について下記のサイトに詳しく紹介されていた。
※青面金剛の庚申塔(北摂みのおの春夏秋冬)
60日に一度回ってくる庚(かのえ)申(さる)の日には、一晩中寝ないで徹夜をする。これを庚申待ちと云う。庚申の日と云うのは帝釈天の縁日である。これは、中国の道教に由来する習俗で、人の身中には三尸(さんし)と云う三匹の虫が住んでおり、帝釈天の縁日の夜、人が眠っている間に、この虫がこっそりと身体の中から抜け出して天に昇り、その人の犯した罪を帝釈天に報告し、帝釈天はそれに応じて、その人の寿命を縮めるので、この夜は眠らないで、虫を抜け出せなくすると云うものである。青面金剛というのは、この三尸の虫を押さえる力を持った金剛童子で、青い顔で憤怒の形相をしている。しばしば、三猿(見ざる、聞かざる、言わざるの3匹の猿)を従者としている。この習俗は平安時代に我が国に伝わって来て、江戸時代に全盛となり、明治になってからもなお行われていた。本来は、この夜は眠らないで身を慎み、夜通し青面金剛をお祭りすべきなのだが、いつしか、夜通し飲み食いして騒ぐ風習に変わっていった。この青面金剛をお祭りしている石塔が庚申塔。これには、「庚申」「青面金剛」「猿田彦」(神道では青面金剛の代わりに猿田彦を祀る)などの文字を刻んだ文字塔と、青面金剛の像を刻んだ刻像塔がある。



畑で見つけたトウガン。これはどちらかといえば夏野菜になるのだろう。


大きくて立派な宝篋印塔。破損もないようだ。


奈良市が設置した説明板。


見事な茅葺屋根。


Oct.6(Mon)22:18 | Trackback(0) | Comment(0) | 石仏 | Admin


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