太子道(筋違道)7 |
|
| 阿波神社を後にする。
| |
| クルマ一台がギリギリ通れそうな狭い道。
| |
| 妙覚寺前を通過。
| |
| 石作りの郵便受けが目を引く。
| |
| 成福寺跡に到着。金網のフェンスが張り巡らされており、境内への立入は出来ない。画像は「太子道」と彫られた道標(石碑)。
| |
|
7月7日(火)20:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
太子道(筋違道)6 |
|
| 素盞嗚神社を後にする。神社の周りには旧家が見られ道は狭い。
| |
| 東へ2分ほど歩くと阿波(あわ)神社に到着。
| |
| 涎掛けを外した阿形。涎掛けがしてあった部分は黒ずんでいない。
| |
| 足先や渦巻きも精巧に彫られている。
| |
| こちらは吽形。顔に地衣類が付着している。
| |
|
7月7日(火)20:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
太子道(筋違道)5 |
|
| 何やらSさんが石灯籠の後に向かう。その後を追うF氏。
| |
| 盃状穴(はいじょうけつ)。この石灯籠だけに見られた。他の石灯籠には確認出来ず。
| |
| この巨樹はケヤキに見えるが違っているかもしれない。
| |
| 社殿は奈良県指定文化財になっている。
| |
|
| 素盞嗚神社のご由緒。 ※境内の案内より 重要文化財 興留 素盞嗚神社 この社の主神は素盞嗚命(すさのおのみこと)を祀られ創紀由緒は不詳であるが「興留」地名の起こりとされる天智天皇(六七〇年頃) の頃の貴人・興間人王子(おきまびとのおうじ=後の天武天皇)の宮殿内(興留五丁目一・二・四付近)に祀られていた神々を遷座されて旧指定村社となっていたのが現在の神社と伝えられています。 社殿は春日造一間社にして桧皮葺・向背付朱塗で様式上室町末期と推定され中世社殿の著例として昭和四十四年三月奈良県指定文化財に認定されています。 尚 当神社には貴重なる文化財として語れるものがございます。 一、石燈籠 本殿右側の三社前に建つ 貞享二年(一六八五年五代将軍綱吉が生類憐みの令発布) 壱基 貞享三年(一六八六年) 壱基 二、獅子・狛犬 横に広い顔・奥に引込んだ目・大きく深い彫りの巻毛・流れ毛は獅子(阿形)は前へ靡き、狛犬(吽形)は後ろへ靡く、力強く躍動的な姿体である。 獅子台座正面の「奉」の右払いの先端は十四糎もの深い彫りである。 裏面には「作師照信 花押」とあり、狛犬、台座の「献」も深いものである。 裏面には「安政四年丁巳九月日」(一八五七-アメリカのハリスが下田に着任した頃)が刻まれている。 作者は「村上照信」通称「丹波の佐吉」と言われ天才的技能に長じ、狛犬をはじめとし石灯籠・石仏・道標など多岐に及んでいる。 三、奉納絵馬 拝殿に沢山掲げられている中に西南戦争(一八七七~)の薩摩軍の西郷隆盛と幹部の描かれた二枚の絵馬がある。
| |
|
7月7日(火)20:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
太子道(筋違道)4 |
|
| どの狛犬も同じような場所に亀裂が生じるそうだ。
| |
| こちらは吽形。全体の印象としては力強く躍動的。
| |
| よく観ると細部まで丁寧に彫ってある。
| |
| これは花立だろう。
| |
| ズラリと並んだ石灯籠。この場所に集められたのかもしれない。
| |
|
7月6日(月)20:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
太子道(筋違道)3 |
|
| 鳥居に掲げられた扁額は「素盞嗚社」となっている。
| |
| 社殿に向かって右側に置かれた狛犬。開口の阿形(あぎょう)。
| |
| 台座の裏面に「作師 照信 花押」が彫られている。
| |
| 阿形の後姿。
| |
| 第二台座の正面。彫が深い。
| |
|
7月6日(月)20:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
太子道(筋違道)2 |
|
| この朝顔は、元々こういった色あいなのだろうか。私的にはイマイチという気がする。悲しい色だ。
| |
| 斑鳩町のマンホールの蓋。 ※奈良県のHPによると、「町木「黒松」、町花「さざんか」、いかるがの里をイメージした「塔」、多くの古歌に詠まれた「竜田川」と「もみじ」を図案化している。 周囲には、お寺の金堂上層の高欄に使われている万字くずしの形体を配置している。」
| |
| 信号を渡って、これまで歩いて来た北から東へ向きを変る。
| |
| 暫く歩くと左(北)に鎮守の森らしきが見える。
| |
| 素盞嗚(すさのお)神社に到着。
| |
|
7月6日(月)20:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
太子道(筋違道)1 |
|
|
| 2015年6月28日(日)は、第33回歩く・石仏の辻「太子道(筋違道/すじかいみち)」に参加した。参加者は20名程度。筋違道を目的に歩くにはこれが初めて。コースに沿って佐吉の狛犬を三体見ることが出来た。(素盞嗚神社/阿波神社/杵築神社・吐田) 天気予報では晴れだったが、午前中は曇りがちで風があったので比較的歩きやすかった。午後からは晴れたが、蒸し暑さはさほどなかった。反省会は毎度お馴染み餃子の王将・王寺店。
コース 9:23JR大和路線・法隆寺駅9:51_10:02素盞嗚(すさのお)神社・佐吉の狛犬(斑鳩町興留東/おきどめひがし)10:14_10:18阿波(あわ)神社・佐吉の狛犬10:25_10:38上宮(かみや)遺跡公園10:45_11:08善照(ぜんしょう)寺11:15_11:22広峰(ひろみね)神社11:25_11:40飽波(あくなみ)神社11:49_11:52大道教本部教会11:56_12:08安堵中央公園(昼食)12:56_13:11杵築(きつき)神社(安堵町窪田)13:21_13:28常徳寺13:29_13:39杵築神社(川西町吐田/はんだ)13:42_13:47油掛地蔵尊13:53_14:13島の山古墳_14:15比売久波(ひめくわ)神社14:35_15:03杵築神社(三宅町屏風/びょうぶ)15:12_15:17忍性菩薩御誕生碑_15:29杵築神社(三宅町伴堂/ともんどう)・佐吉の狛犬15:37_15:43融観寺前_15:52近鉄田原本線・黒田駅15:59 ★反省会 16:24餃子の王将・王寺店18:13
画像は当日歩いたコースをGPSログで表示している。法隆寺駅から黒田駅まで。
| |
| 集合場所のJR関西線王寺駅改札口前にて9時23分撮影。
| |
| 駅の北口へ降りてこの日歩くコースの概略を聞いて出発。
| |
| 民家の庭先にて。ノウゼンカズラのピンク色の品種。
| |
| デュランタ・タカラヅカに少し似ているが、ルリマツリだろう。
| |
|
7月6日(月)20:43 | トラックバック(0) | コメント(13) | 石仏 | 管理
|
山辺の道は石仏の道 |
|
|
| 2015年2月22日(日)は、「歩く・石仏の辻」に参加した。題して「山辺の道は石仏の道」。桜井駅を起点に山辺の道に沿って石仏を見て回りゴールは長柄駅。単に歩くだけではないので、ペースとしては遅れ気味となり、最後は時間がなく、割愛したところもあったようだ。この日の目玉は普段は観ることが出来ない金屋の石仏が開放されたこと。また、時間が遅れ気味だったのは、突如、予期せぬ人物(N氏)が現れたことも理由の一つ。
コースタイム 9:30桜井駅9:40_9:51桜井線横断_10:04仏教伝来の地(説明板)_10:13海柘榴市観音堂(つばいちかんのんどう)10:17_10:26金屋の石仏10:46_10:54平等寺_11:00大神神社_11:05狭井神社前_11:22玄賓庵(げんぴあん)前_11:30桧原神社・昼食12:16_12:28笠山荒神分岐_12:29水車庵_12:46大福餅無人販売所12:54_13:02万葉の楽園前_13:19景行天皇陵前_13:28渋谷町公民館前13:30_13:37車坂_13:51地蔵石仏(櫛山古墳土手)_14:03山の辺霊園(柳本墓地)14:22_14:24天理市トレイルセンター14:30_14:40弥勒丘弥勒石龕仏14:44_14:55長岳寺山門前15:04_15:16中山観音堂15:21_15:26念仏寺・墓地15:35_15:43R169を横断_15:47素盞嗚神社(成願寺町公民館前)15:55_16:02大和(おおやまと)神社16:10_16:14素盞嗚神社前(兵庫町)_16:14神護(じんご)寺16:17_16:21長柄駅16:40
画像はこの日歩いたGPSログ。
| |
|
2月24日(火)19:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵33 |
|
| ほどなく長谷寺駅に到着。
| |
| この日の反省会は、この近辺では、お馴染みとなっている「白木屋 大和八木北口駅前店」。おしまい。
| |
|
10月13日(月)14:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵32 |
|
| 伊勢辻に立つ道標。「右 いせミち 」。
| |
| 洗い場。野菜などを洗ったのだろう。初瀬川から水を引いているようだ。
| |
| 天神山(与喜山)を振り返って撮影。シーズンオフで時間も夕方に近いこともあり、人影は少ない。
| |
| この先、R165を横断。
| |
| 急坂を登って長谷寺駅へ向う。
| |
|
10月13日(月)14:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵31 |
|
| どことなく、懐かしいにおいが漂ってきたが、すぐ近くで野焼きをやっていた。
| |
| 山靴では舗装道路は歩きにくい。先行する人とどんどん距離が開く。
| |
| やがて、右手に長谷寺の駐車場を見る。左には初瀬川と与喜天満神社への参道を見送る。このあたりは美観地区でもないようだが、思わず歩いてみたくなる。
| |
| 長谷寺の山門(仁王門)を右に見遣る。
| |
| 私は参道の土産店で、「素麺のふし」を購入した。100円。味噌汁に入れると美味しい。
| |
|
10月13日(月)09:21 | トラックバック(0) | コメント(6) | 石仏 | 管理
|
来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵30 |
|
| 東海自然歩道の道標。榛原、初瀬ダム方向を左に見送り、長谷寺へ向う。ここから長谷寺まで(距離1.7m)東海自然を歩くが、“自然歩道”とは名ばかり。
| |
| 舗装された車道をクルマに気をつけながら歩く。
| |
| 初瀬ダムを左に見て歩く。
| |
| やがて、見廻(みかえり)不動尊が右手に見えてくる。画像は説明板だが、色あせてよく読めない。 ※ネット情報によると、「弘法大師豊山に参籠を終わって笠山の方に向かわれた時此処で回顧され、まことに金剛界・胎蔵界の深理おのずと顕れた秘宝荘厳の霊場故、この山に入る者は心を定め浄めるようにと、この霊山の護り神である堅固不壊なる須彌山王の上に不動明王の御形をほられたものだと傳えられる。誰しも不動明王の加護を蒙り心地決定を祈るべきである。」 この山とは、背後にある初瀬山だろう。
| |
| 説明板のみならず、肝心のお不動さん(磨崖仏)がどこに彫ってあるのか、よく見えない。
| |
|
10月12日(日)21:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵29 |
|
| 瀧蔵神社へ登る車道を左上に見送り、正面の旧道を歩く。
| |
| 旧道沿いにあった梵字の石碑。何か文字が刻まれていたようだが、磨耗して判読できそうになかったので、そのまま通過した。
| |
| やがて「天落神六社権現」(あまのおちがみろくしゃごんげん)に到着。小休止となる。 ネット情報によると、「初瀬ダムによってできたまほろば湖の底に沈んだ磐座を遷座した神社。旧暦の1月11日に網掛け行事が行われた名残りとして、磐座を模した宝篋印塔が線刻された石碑には、網掛けの注連縄が掛けられている。」
| |
| 説明にある「宝篋印塔が線刻された石碑」。網掛けの注連縄が掛けられていた。
| |
| 天神山。手前は人造湖の「まほろば湖」。
| |
|
10月12日(日)21:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵28 |
|
| やがて覆屋が現れる。
| |
| 覆屋の中には阿弥陀石仏が祀られていた。彫が深いのが印象に残る。尚、この覆屋は鳥居堂、“とりいどう”又は“とりんどう”と呼ばれているようだ。
| |
| 南正面奥に見えた山。中央は天神山(455.3m)だろう。別名:与喜山(よきやま)。右のピークは岳山(525.5m)。左のピークは山名を知らない。
| |
| アケビに続いて、今度は栗を採ろうということになり、この後、私が枝を手繰り寄せたが、いかんせん、素手ではなかなかイガのある栗を採れなかった。
| |
| 県道38号線に降り立つ。後はこの県道を歩いて長谷寺駅へと向うことになる。
| |
|
10月11日(土)20:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|
来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵27 |
|
| 瀧蔵神社。この日はお参りせず。
| |
| 瀧蔵神社社そうの説明。“社そう”(社叢)とは聞きなれない言葉だが、ネット検索すると、神社において社殿や神社境内を囲うように密生してる林のことをいう。
| |
| この後、弥勒菩薩石仏に向う。
| |
| 自然の光を受け、真に素晴らしい菩薩様を拝むことが出来た。
| |
| 参道だが、歩いてお参りする人が少ないのか、かなり荒れている。
| |
|
10月11日(土)20:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理
|