山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


石仏

宝山寺正面参道19

道標。ここは分岐となっていたようだ。彫られた字は磨耗して読めず。


この日歩いたルートは、一回行った程度では、わからないだろう。但し、GPSログがあれば迷わずに歩ける。


この先、周囲の展望が開けそう。


車道が見えた。この車道は、宝山寺へアクセスする信貴生駒スカイラインだった。


ようやく朝日地蔵とご対面。真新しい涎掛けが取り付けられており、ちょくちょくお参りする人がいるようだ。


3月5日(水)22:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道18

リーダーを先頭に、山の中に分け入る。踏み跡はないが、藪コギというほど、酷いものではない。


薄い踏み跡があるような、ないような、そんなカンジの山中を歩く。


テープを発見。登山者が目印として付けたものだろう。この後も、黄色いテープをいくつか見た。


朝日地蔵に近づくにつれて、踏み跡が明確になってくる。


積雪の中を歩く。落ち葉の上に積もった雪は滑りやすく注意しながら進む。


3月5日(水)21:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道17

宝山寺から「生駒山麓公園コースC」を歩く。


梅寺を右下に見て歩き、宝山寺川に架かる橋を渡る。道は舗装から地道となる。


やがて、「生駒山麓公園コースB」と出合い、生駒山麓公園方向へ歩く。


残雪がかなり見られたが、凍結しておらずアイゼンなしで歩くことが出来た。


登山道の左に赤い杭が打ってあったが、このあたりが朝日地蔵への取り付きだ。取り付き付近には踏み跡はない。


3月5日(水)20:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道16

ケーブルの線路を横断し、少し下ったところの小さな公園で昼食となった。


公園には梅の木が植栽されていたが、開花はもう少し先。


このお家は廃屋なのだろう。


道標。「生駒山 寶山寺」「右 大坂みち」。


昼食を終えて、再び宝山寺の境内を通り抜けて駐車場の前に出て来た。


3月5日(水)20:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道15

このマークは宝山寺のあちこちで見られる。家紋みたいなものだろう。美しい。


さて、そろそろ昼食の時間となった。


茶所。この店のくさもちを食べたことがあるが、なかなか美味しい。今日は参拝客が少なく、店番のおばさんは暇そうだ。


人数が多いので、境内の外へ出て、食事することになった。


ユニークな顔をしたお不動さん。


3月4日(火)22:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道14

本堂。


大黒堂。


延命水。少し口に含んだが、美味しかった。


般若窟。宝山寺のHPによると、この山の総称は朝日獄と呼ぶそうな。


般若窟をズーム撮影。弥勒菩薩像だろうか。


3月4日(火)22:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道13

新参道を歩いて宝山寺境内へと入って行く。所々残雪も。


惣門の手前で、生駒市観光ボランティアガイドの方がおられた。今日は寒くて客足はイマイチだとか。私たちはこれから、朝日地蔵を経て「水の神・中倉さん」へ行くことを話したが、中倉さんのことはご存知ないようだった。


地蔵堂。いつもは参拝客で混雑しているが、雪のせいか流石に空いている。


弘法大師だろう。お顔が崩れている。


宝山寺獅子閣(重文)。


3月4日(火)22:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道12

振り返れば矢田丘陵が見える。高円山、竜王山など所謂春日断層(奈良盆地の東側)の山々は霞んで見えず。


足元に残雪を見ながら更に登る。


六丁の丁石。


この階段を登り詰めると、新参道と出合った。


新参道との出合いに設置された道標。モデルはT女史。


3月3日(月)21:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道11

少し休憩してから再び歩き出す。


五丁の丁石を見る。新しいものだ。


「女人堂址」の石碑。宝山寺境内の宿坊は男性のみ宿泊可能で、女性は女人堂で宿泊したと伝える。


向って左に建てられている常夜燈。「郡山末吉組」と彫られていた。


道標。ここは三叉路となっており、「右 志ぎ山 たつた」と読める。志ぎ山は信貴山、たつたは竜田を指す。この道は“旧菜畑参道”と呼ばれているようだ。尚、我々が今日、菜畑から歩いて来た道は、正面参道と呼ばれる参道。文献(宝山寺への道 古道に残る信仰の文字 今井正弘著)によると、旧正面参道は、奈良・郡山を起点として、砂茶屋・富雄を経て、椚峠から宝山寺に至る道。


3月3日(月)21:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道10

軽井沢と名がつくだけあって、付近には豪邸が目に付く。


このあたり急登が続く。お日様が照ってポカポカ陽気。


石の階段となる。


四丁と彫られた丁石。数は増えているようだ。


このクルマ、下の坂道をバックで下って行った。


3月2日(日)22:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道9

砂利道だが、自分の歩幅で歩けるので、階段よりこちらの方が歩きやすいだろう。


石畳が現れる。


近年、セメントで補強されたようだ。


こちらは、昔ながらの石畳なのだろう。


車道と出合ったところで小休止となった。住所は生駒市軽井沢町15。


3月2日(日)21:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道8

やがて、写真などで見て見覚えのあるところへ出てきた。


「奈良宝山寺旧参道」の標石が立っているが、比較的新しいものだろう。


「敷石道の由来」の説明板。軽井沢自治会他が立てたもの。


ここで、小休止となった。


いよいよ旧参道に取り付く。先程の説明板によると、今は生駒市が管理している里道。このあたりは砂利道。


3月2日(日)21:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道7

左の小さな鉄工所と自販機が見える右の店の間の細い道を行く。


分岐。ここは左へ。右の方が旧道っぽいが。


生駒山。これから行く宝山寺は右に見えるコブ(般若窟)の下のあたりに位置する。


住宅地の中を歩く。正面に階段が見えるが、この階段を登る。


般若窟のコブが宝山寺の目印。このあたりが水越峠らしい。水越峠と名がつくからには分水嶺なのだろう。


3月2日(日)21:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道6

右手の道は雑木の中に続いていた。


雑木林は少しだけ、すぐに住宅地に出る。


ロータリーを上手く利用した花壇になっている。このあたりの住所は生駒市新旭ケ丘3。


すぐ下が急な階段になっているが、ここで生駒山をバックに写真撮影となる。もとい生駒山がメイン。


やがてバス通りに出る。「湯船」のバス停が見えた。


3月2日(日)19:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

宝山寺正面参道5

立派な屋敷が見えるが、庄屋だったらしい。


元庄屋屋敷の玄関前を通る。この先、行止りとなっておりクルマは通行不可。


田舎の日本家屋でよく見られる杉焼き板の外壁。


このような勾配の急な坂道に、クルマが停めてあるものだと感心する。


分岐となるが、右手の道を歩く。左は住宅地に入るようだ。


3月1日(土)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理


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