山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


石仏

関の観音山石仏10

こちらの岩盤をくり貫いた石の祠に入れられていた石仏5体は、保存状態が悪く、また、暗くて上手く撮影できなかったので割愛する。N氏には懐中電灯で照らしていただいたのだが。


尚、案内板にあった5体は、5番は葛井寺・千手観音、9番は興福寺(南円堂)・不空羂索観音、13番は石山寺・如意輪観音、28番は成相寺・聖観音、30番は宝巌寺・千手観音。


そして、8番、長谷寺・十一面観音。この観音様は、一番最初に見た12番岩間山正法寺の千手観音と同じく、1体だけ祠に納められていた。しかし、こちらは石の祠で、正法寺の千手観音はコンクリートだった。元はこの長谷寺のように、すべての観音様は、1体ずつ石の祠に納められていたのだろう。


手前の灯籠は、まだ、新しいように見える。


そして、鉄格子の他に金網でも保護されていた。


7月27日(土)20:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏9

右から三つ目、同じ観音様を右下から撮影。


右から四つ目の観音様。


右から五つ目。上唇が特徴的。如意輪観音で半跏思惟像※だろう。※仏像の一形式で、台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿の像である。(Wikipediaより)


同じ観音様をやや左から撮影。


右から六つ目。千手観音。このエリアの6体は比較的保存状態が良かった。


7月27日(土)20:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏8

次に左のエリアの石仏を見に行く。6体ある。画像は逆光になってしまった。案内板にある6番は南法華寺・千手観音、10番は三室戸寺・千手観音、14番は園城寺・如意輪観音、15番は観音寺・十一面観音、20番は善峯寺・千手観音、27番は圓教寺・如意輪観音だ。ところが、6番南法華寺・千手観音は、先に3体あったエリアの観音様の一体として案内板が立っており、重複していることになる。


向かって右から順番に撮影。ここまで見てきた佐吉の石仏とは、何か違うように見える。佐吉の作品ではない可能性もあるだろう。


右から二つ目。細部に渡って、丁寧に彫られており、先程の観音様と比べれば、明らかに出来が違う。


右から三つ目。素晴らしい観音様だ。保存状態も良い。右手の小指が曲がっているところがご愛嬌だ。


同じ観音様を左から撮影。


7月27日(土)20:34 | トラックバック(0) | コメント(8) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏7

5体あるうちの、右から二つ目。亀に乗った観音様。


その亀の部分を撮影。亀に乗った観音様はこれ一体だった。


こちらは左から二つ目。頭部の光背が欠けているが、穏やかな表情で私は好きだ。


ここは観音山の山腹で、眼下に亀山市内が見渡せた。ここから観音山の頂上方向を望むと、アンテナのようなものが立っていたが、そこが頂上だったと思う。今日は頂上には行かず。


画像の右に見えるピークは錫杖ヶ岳だろう。標高は676m。


7月26日(金)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏6

案内板を見て次の石仏を見に行く。左右に石仏があるようだが、まずは右側から。案内板にある4番は施福寺・千手観音、22番は総持寺・千手観音、23番は勝尾寺・千手観音、26番は一乗寺・聖観音、29番は松尾寺・馬頭観音だ。


こちらがその5体。先程と同じのように、岩盤をくり貫いた石の祠に入れられていた。


尚、この5体の中には、聖観音はないようだ。またしても、案内板はあてにならない。なので、以後は石仏に霊場の番号を付記しないことにする。


この中で、一番目を引くのは、なんと言っても、中央の馬頭観音だ。


憤怒の顔つきで、一度見たら忘れないくらい強烈に印象に残る。石でここまで彫れるものかと感心する。


7月26日(金)21:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏5

このエリアにある3体の石仏のうちの右の石仏。千手観音だが、西国三十三霊場のうちどれに該当するかは不明。


お顔のアップ。顔の左に薄い亀裂が入っている。


足元を撮影。芸が細かい―笑。


こちらが奥に配置された石仏。青い顔料が残っている。保存状態は最高に良かった。


佐吉の“とりこ”になっているお二人。


7月25日(木)22:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏4

このエリアにある3体の石仏(番号では、3、6、25)のうち、左の一体がこちら。尚、残りの二体は右と奥にある。この観音様は、特徴から見て千手観音には見えない。不空羂索観音※のように見える。もし、そうなら、西国三十三霊場のうち、不空羂索観音が礼所本尊なのは、唯一つ、興福寺(南円堂)で、霊場の番号は9であり、3、6、25のいずれの番号とも一致しない。尚、3番は粉河寺・千手観音、6番は南法華寺・千手観音、25番は清水寺(播州)・千手観音だ。※日本では一面三目八臂(額に縦に一目を有する)とする像容が通例で、立像、坐像ともにある。胸前で二手が合掌し、二手は与願印を結ぶ。その他の四手には、羂索や蓮華・錫杖・払子を持す。(Wikipediaより)


お顔のアップ。残念ながら、合掌した指の先が欠けている。


更にお顔のアップ。目元が涼しく、口元は上品だ。


右側からお顔を撮影。右のお顔の方がより微笑んでいるように見える。


佐吉の作として照信と花押が彫られている。


7月25日(木)22:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏3

案内板に従って次の石仏を見に行く。足場が悪いので注意。


この山は関富士と呼ばれている。N氏がこのあたりは松の木が多いと、云われてみれば確かに多い。そして枯れているものは見なかった。


東芝の古いマーク。照明灯を寄進したのかもしれない。


こちらは番号では、3、6、25となっていた。後で調べたが、西国三十三霊場の番号とは一致していないようだ。この中には三体の石仏が納められていた。


そして、ここも、8年前には鉄格子がなかった。盗人対策として、やむをえないだろう。画像は8年前に撮影。


7月25日(木)20:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏2

石仏には1から33番まで番号が付けられており、まずは12番の石仏から見て行く。コンクリートで固められた祠の正面は鉄格子がはめられている。


この石仏、8年前にも撮影していたが、鉄格子はなかった。画像は8年前撮影。


鉄格子の間にカメラを入れて観音様を撮影。


ああだ、こうだ、とお話されているお二人。


12番は岩間山正法寺。


7月24日(水)21:32 | トラックバック(0) | コメント(2) | 石仏 | 管理

関の観音山石仏1

2013年7月21日(日)、N氏とT氏、私の3人で、亀山市関町にある観音山公園へ三十三体の観音石仏を見に行った。丹波の佐吉が彫った石仏(一部を除く)として、石仏好きの人たちの間では、よく知られている場所だろう。観音山に登るのは、2005年1月22日以来、8年振り2回目。当時は石仏を見るのが目当てではなく、付近の低山を歩いている中で偶然この石仏を知った。それまで、丹波の佐吉のことはまったく知らなかった。石仏ファンではない私でも、ここの石仏は凄いと思う。この日はN氏がクルマを出していただくことになり、午前8時に近鉄平端駅でピックアップしてもらった。名阪国道は、一部の区間で制限速度が70kmになっていた。N氏によると、つい最近、変わったらしい。(※福住IC付近 - 神野口IC付近の区間において2012年10月4日より70km/h規制に見直された)途中、名阪上野ドライブインで休憩し、1時間半弱で、観音山公園、関ロッジ近くの駐車場に到着。画像は観音山公園案内図。


案内板に記載されていた観音山石仏の簡単な説明。(案内板を拡大して撮影)


こちらは「観音山の由来」。それによると、「観音山の山腹には丹波国の石工彫刻師村上佐吉が嘉永七年(1854)から安政四年(1857)まで三年の歳月をかけて刻んだ、西国三十三霊場三十三体の観音像がある。」と記されていた。


石仏巡りコース入り口。


関ロッジ前に置かれていたブルートレイン。これは、展示物ではなく、実際にここに宿泊できるそうだ。ちなみに、本館に泊まるより、安いらしい。【参考】関ロッジ・ブルートレイン http://www.oyadonet.com/sekilodge/blue-train.html


7月24日(水)21:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

七曲峠から国見山15

今日の山行、石仏巡りもいよいよ終盤となった。護国神社へと向かうが、道路は直進出来ない。左かな右かなと思っていると、いい案配に、住宅地図表示があったので眺める。この先の三叉路を右折して左折だ。尚、小学校の先生の自宅に隣接する池は新池となっていた。


こちらは、旧家の石垣。


奈良佐保短期大学の前を通過する。いつの間にか、“女子短期大学”から、“女子”が消えていた。このレストラン、奈良では人気だと云う、夜景が綺麗だとか、まだ、入ったことがない。


護国神社の境内に入る。T氏によると、トイレを確認しておきたいとのこと。裏道から境内に入ると、立派なトイレが完備されていた。画像は境内にあったビルマの塔。なぜ、ビルマの塔なのか、小説と関係あるのかも知れないと思ったが、小説は、「ビルマの竪琴」だった。説明板によると、「太平洋戦争での、ビルマ戦場で、祖国の為に、お亡くなりになられた兵士の、魂を神格化する」という意味で建立された。まぁ、護国神社にはふさわしいものだと思う。


薄暗くなった護国神社バス停で19:01発のバスを待つ。当初、N氏はこの後の飲み会に参加する予定であったが、いろいろと道草を食ったので、今日はご帰宅頂くことになった。飲み会となると、最低でもあと90分はかかる。それから、香芝へは・・・私だったら遠慮する。と言うことで、N氏とは近鉄奈良駅でお別れした。尚、この後、JR奈良駅までT氏とご一緒し、かねてよりの宿題だった、「旬感居酒屋む~ちゃん」http://ameblo.jp/haru-mu/ に出向いたが、あいにくお休みだった。そこで、やむなく、「奈良の本格和食処 春日」http://nara-kasuga.com/ にお連れしたが、なんと、ここも今日はお休みだった。尚、こうしたケースは観光奈良では、珍しくもない。その後、クーポン券を有意義に消化すべく、魚民へと向かった。おしまい。


6月14日(金)23:02 | トラックバック(0) | コメント(16) | 石仏 | 管理

七曲峠から国見山14

小屋の周辺をウロウロしていると、電灯線が引いてあるのを見つけ、電灯を灯すことが出来た。こちらがその画像。大きくて立派なものだ。しばし魅入る。なるほど存在感がある。尚、ウロウロしたついでに書き加えておくが、隣に石灯籠が一基あって、子安地蔵大菩薩と彫られていた。また、その横に井戸が見えた。井戸の水は濁っていたが、おそらく溜まっている水を外に汲み出せば、水は澄んでくるだろう。


東金坊地蔵尊を後にする。ここからは、やや単調な舗装道路を歩くことになった。この道はクルマでは何回か走ったことがあるが、歩くのは小学校の時以来だ。この道、意外にもクルマが多い。やがて、右側にお地蔵さんを見る。磨崖仏だ。N氏によると、お水取りの松明調達の道は石仏が多く見られるという。そして、この石仏が二月堂に向かう最後の石仏だとか。


暫く歩くと人家があった。いかにも旧道の峠道といった趣だ。分岐があって、五聖地めぐりの道標があった。奈良市が立てたものだ。道標によると、鹿野園 2.5km 茗荷(みょうが) 3.6km 正歴寺(しょうりゃくじ) 1.1km だった。鹿野園まで まだ2.5km もある。T氏が道路にマムシの子供の死骸を発見。最初、動いていたので、警戒したが、運び屋の仕業だった。


ヤマボウシが綺麗に咲いている。自宅近辺のヤマボウシは、花がすっかり落ちているが、ここは今が見頃だ。鹿野園の集落まで下ってきた。この近くに池があって、池のすぐ隣に、池縁という名の人家がある。何を隠そう、私が小学校の時の担任の先生の自宅だ。どういう理由で、担任の自宅を知っているのかは忘れた。だが、その家には表札はあったが、誰も住まれている様子ではなかった。50年近い歳月が流れているので当然と言えば当然だが、少し寂しい気にはなった。


やがて、旧道と出合う。北、白毫寺(びゃくごうじ)、滝坂道と、南、円照寺、弘仁寺(こうにんじ)方向だが直進する。するとすぐ先に、石の道標を見つけた。指のかたちで、方向を示している。N氏によると、四国ではこうした指のかたちを模った道標が多いと言う。昔は字が読めない人もおられたのだろう。尚、N氏はお遍路さんを経験されたと聞いた。道標は田原東西陵と彫られていた。尚、反対側は八嶋陵だった。崇道天皇八嶋陵を指す。


6月14日(金)22:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

七曲峠から国見山13

こちらの放置された茶畑には、キイチゴが生っていた。このイチゴはよく知っている。というか、まず、見つけたら十中八九食べている。なので、この時も食べてみたが、期待を裏切らない味で、甘酸っぱく美味しい。T氏も先程のクサイチゴより、こちらの方が、口に合うと話していた。


暫く歩くと分岐地点に石仏が何体かあったが、どうも、この石仏は上部が、後から付け加えられたようだ。セメントのように見える。全体に比べ顔の大きさが小さい。


この男性は茶畑で奥さんと一緒に化学肥料を撒いておられた。


やがて、県道186号(福住矢田原線)に出合う。歩いてきた方向から、そのまま直進(北東)しょうとして、慌ててT氏が気付き、県道186号を北に向かって歩く。立派な歩道がついているが、葛が歩道に蔓延って歩きにくい。県道186号は、この先、県道80号(奈良名張線)に突き当たる。三叉路になっていて、県道80号を西に向かって歩く。右手に春日宮天皇陵を見遣り、田原御陵前のバス停を過ぎる。この時間、バスはない。更に右に奈良県茶業振興センターを見て、奈良県ヘリポートを左に見る。そしてこの先、分岐となっていて、左折して鉢伏峠に向かう。画像は分岐に立つ「東大寺二月堂お水取りの松明調達の道」を表す道標。


左折してすぐ、東金坊地蔵尊の小屋があった。私がカメラ撮影しょうとしたら、薄暗くて上手く撮影出来ない。N氏が機転を利かしてローソクに火を灯してくれたがダメだった。画像はフラッシュ撮影した。


6月14日(金)20:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

七曲峠から国見山12

子供みたいに、クサイチゴを食べながら、放置された茶畑の横を歩く。8年前にここを訪れた時は、まだ栽培されていた。やがて、西方向の展望が得られる茶畑に出てきた。今日一番の展望地だ。と、後方から軽トラがやってくる。


この茶畑の持ち主の方だった。このおじさんの登場で、この日の山歩きは、思い出深いものとなった。最初は運転席から顔を出して話されていたが、クルマから出てこられ、四方山話に花が咲いた。画像はまさにドアを開けクルマから出られる瞬間。


私が特に印象に残っていることは、ここから、芳山、春日山、高円山を特定できたこと。また、稀に四国の剣山が見えると話された。それは、左下に見える城山(奈良市北椿尾町にある標高529mの山)の延長線上に見えるピークということで、帰宅してから地図を見たが、やはり剣山だろう。


おじさんの話では、近くに樹齢180年くらいのサクラの木が2本あるということで、その場所へ案内していただいた。勿論、ソメイヨシノではなく、ヤマザクラだ。大の大人が両手を広げて、二抱えするほどの胴回りだった。(彼がやって見せてくれた) 画像がその内の一本。


名残惜しかったが、又、秋にアケビを採りにおいでと言われ、おじさんと別れた。すると、前方の茶畑に、450万円の機械があった。自動で茶摘をする機械で、先程、おじさんに教えてもらった機械だ。


6月13日(木)22:31 | トラックバック(0) | コメント(2) | 石仏 | 管理

七曲峠から国見山11

この日は、あいにくの天気で遠望は得られなかった。また、山頂からは西方向の展望が得られるが、雑木が生い茂っていて、以前ほど、展望はよくなかった。山頂が岩峰以外の場合、定期的に樹木を伐採しないと、すぐに展望が得られなくなる。ご覧のようなベンチが置いてあった。


虫に食われていて痛々しいコアジサイ。


稜線を北方向の矢田原へと下る。最初、山道だがすぐに地道の林道に変わる。途中、幾つかの分岐に出合うが直進する。やがてコンクリート舗装された林道となる。傾斜が急なので、滑らないように慎重に歩く。左手に簡易トイレを見送ると、蜜蜂の巣箱が設置されていた。この左手の斜面は植林が伐採されていたが、期待したほど展望はよくなかった。


これはクサイチゴと呼ばれているイチゴで、今まで、このイチゴを食べたことがなかったが、食べられると聞いていたので、思い切って食べてみた。味はそれほど甘くなく、酸っぱさもあまりないと思う。どちらかと言えば、味の印象が薄い。


放置された茶畑にこのクサイチゴが蔓延っていて、まるで、栽培されているほど、沢山生っていた。私が食べたので、N氏やT氏も食べられた。


6月13日(木)21:29 | トラックバック(0) | コメント(15) | 石仏 | 管理


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