山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


山歩き

もう一つの三室山と雁多尾畑14

蒸し暑いものの、時折、谷筋から風が吹くので森の中は歩きやすい。


登りの勾配が緩やかになってきた。


植栽されたところに出る。

下草が刈り取られ、手入れが行き届いている。



植栽されていたのはサクラ。
サクラの種類は不明。
ソメイヨシノかもしれない。

「桜の里山公園 神社跡7号園」の看板が立つ。



コンクリート舗装された小道を歩く。

左側が植栽地だが、右側に雑木が生い茂り薄暗い。



7月29日(土)20:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑13

展望台から降りて、西へ向かう。

道標には「→留所 龍田神社本宮跡 龍田本宮御座峰」と表示。

ここから先は大阪府柏原市となり、この類の道標を見なくなる。
なので、ここで見納め。



展望台を後にする。


展望台から先は一転して整備されていない自然の道。

落葉が積もって足の裏に優しい。



三室山の山頂から、更に高度を稼いでいる。

三室山は後方に続く山塊の単に中間地点というイメージで、地形図を見ても独立峰ではないことがわかる。

よくあるパターンだが、麓から見える山に、山の名前がある。
実際には、その後方にもそれより高い山が続くのだが、麓から見えないので山名はない。

三室山の後方に続く山の名前は、特定出来ないようだが“龍田山”或いは“留所の山”別名“小鞍の嶺”又は“嶽山”なのかもしれない。



ヤマザクラ。

植栽したとしても、最近、したものではない。
ヤマザクラはソメイヨシノと違って成長が遅い。
このヤマザクラもかなりの年数が経っているようだ。
因みにヤマザクラは何百年と生きる。
ソメイヨシノはどんなに長生きしてもせいぜい百年。



7月29日(土)20:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑12

大阪府の消防組合が設置したもの。

三室山の山頂は奈良県三郷町と大阪府柏原市の境に位置する。



山頂から南東方向の眺め。

大和川に架かる関西本線の鉄橋や橋が見える。



山頂に埋まる四等三角点。
(点名:三室山 標高:137.06m)



「葛城の雀」さんが設置した私製の山名板。
奈良の山々では、時々見かける。
展望台の軒下に取り付けられていた。



展望台の様子。
広くはない。



7月29日(土)20:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑11

この先、展望が開けそう。


広範囲に渡って潅木が伐採され、変わって植栽された若木が見られる。


左の道標には展望台と記されているようだ。

右の道標に「留所」と表示されている。
留所とは“留所の山”別名“小鞍の嶺(おぐらのみね)”又は“嶽山”と称される山のことを指すようだ。
この日は訪れていない。

関西地図の会

4/13ウォーキングにて「小鞍の嶺」



登山道を振り返って撮影。

植栽した苗木が多く見られる。



展望台が現れる。

白いシャツが干してあり、展望台には先客の男性が一人居た。



7月27日(木)20:16 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑10

表示板。
「桜の里山公園 三室山10号園 NPO法人 龍田・三室山桜の会 電話・FAX XXXX」

今まで見てきた龍田古道の道標は、この人達によって立てられたのかもしれない。



引き続き林道を歩く。


分岐となる。

すっかりお馴染みとなった茶色の道標が見える。



三室山へは真ん中の道を登る。


道標を見て進む。
「 ← 三室山展望台 龍田神社本宮跡 龍田本宮御座峰」。

登山道脇には椛や山桜が植栽され、寄進した人の名前の札が付いている。



7月27日(木)20:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑9

先ほどのグループは、この道標「三室山2・3号古墳 → 」の方向へ歩いて行った。


更に林道を進むとベンチに男性が居たので挨拶した。
服装から見てハイカーではなく学者風。

左の建造物はトイレ。



三室山展望台へ向かう。

道標には、龍田神社本宮跡 龍田本宮御座峰と表示。



   歴史を彩る神の山。
 ここ三室山は、信貴生駒連山の南端に位置し、龍田山の一部を指す。平成八年(一九九六年)に制定された「金剛・生駒紀泉国定公園」の中にあって、万葉時代は三室山・龍田山として親しまれ、多くの万葉集に詠われている。
 四季の風景にも恵まれ、春は山桜につつじ、そして、若葉の楓、秋には全山黄葉し、その美しさに誘われ、多くの遊山客で賑わっていた。
 また、旧官幣大社・龍田大社のご神域でもあり、山中には龍田大社本宮跡の石碑も見られ、本宮の社殿が建てられていたとの伝承も残され、往時が偲ばれる。
 近くの林の中に入ると直ぐに、三郷町指定文化財の古墳「三室山二号墳・三号墳」が見られる。他に例のない「双墓双室」の方形墳である。【以下割愛】
       平成二十五年三月 三郷町教育委員会



ここにも古墳へと続く見られる小道がある。

画像の道標は「←休憩所」と記されていた。



7月27日(木)20:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑8

三叉路となり、ここでも道標を見て左折。

するとクルマ止が現れる。
歩行者は通行可。



前方にハイカーがいた。
女性ばかりのグループの様子。



舗装道路を歩くと広場に出る。

挨拶して、情報収集しようとしたが、グループはこの先、ベンチの右側に続く小道を歩き、森の中に入って行った。

私達と歩くコースが違うようだったので追従せず。



万葉歌碑。

「龍田山 見つつ越え来し 桜花 散りか過ぎなむ 我が帰るとに / 信幸書」。



解説板。【一部割愛】

現代語訳
 龍田山を見ながら越えて来た。
 桜花は散ってしまうのではなかろうか。私が帰る時までに。

歌の背景
 天平勝宝七年(七五五)二月十七日(太陽暦の四月六日)の大伴家持の作。この当時、家持は兵部少輔という役職にあり、筑紫に派遣される防人を検校(けんぎょう)する職責のため、難波に往き来することがあった。一首は難波に赴く時に龍田山の桜を見て詠んだ作である。万葉集に残された防人の歌は、家持が兵部少輔であった縁で、この折に採集したものである。

三郷町 万葉歌 巻20-4395



7月26日(水)20:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑7

右折すると、結構な登り坂となっている。

次の辻にまたしても道標が見えたので、道標に従い左折する。



正面に森が現れ、住宅地はここで途切れる。


森の方向へ歩くと池が現れる。

道標を見て右に回り込む。
この公園は「農住5号公園」。



池を左下に見て右へ上る。


このあたり、住宅地として開発されたようだが、空き地が目立つ。

電信柱に付けられた住所表示板は「三郷町立野南三丁目25」。



7月26日(水)20:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑6

格子を外そうとしたが、簡単に外れそうになかったので、格子越しに撮影。

例によって涎掛けがしてあり、お姿はほとんど何も見えない



     関地蔵
天武天皇在位の時代(六七三~六八六)、大和を中心にして、東国へは不破の関(岐阜)、中国へは吉備の関(岡山)、山陰へは石見の関(島根)、そして、難波へは龍田の関(奈良)が設けられた。これが日本四関と言われている。
この地蔵石仏は、通称「関の地蔵さん」と呼ばれており、龍田の関近くに祀られていたと言われ、水害などでお顔も破壊されているが、龍田関跡を示す貴重な資料である。  【以下割愛】
        平成二十二年八月 三郷町教育委員会



関地蔵を後にする。

前方の電信柱に茶色の道標が見える。



直進方向、峠八幡神社を見送り、右折して三室山へ向かう。


右折するとすぐに分岐となるが、ここにも電信柱に道標が設置されており、迷うことなく右折する


7月26日(水)20:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑5

道標を見て右折。
「→関地蔵 三室山 峠八幡神社」。



右折した道路の角地に石の道標が立つ。

「左 大阪堺道 右 龍田神社道」。
大阪の“阪”が新字体なので、比較的新しいものだろう。
しかし、磨耗が激しく、表面がボロボロとめくれ落ちている。



裏面。
「釋寂照」と彫られている。
戒名に見えなくもない。



道なりに西方向へ進む。
やや登り坂。



地蔵堂が現れる。


7月25日(火)20:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑4

道なりに三郷駅の方向へ歩くと、実盛川が暗渠となっているところに道標が立っている。

龍田古道の道標で、「←三室山 →龍田大社 神奈備神社」。
この道標に、三室山が表示されていたので、かなり安心した。

この後、三室山まで道標が完備されており、迷うことなくたどり着くことが出来た。
道標に感謝!



JR三郷駅前を通過。


駅前には「信貴山」を示す道標が見える。


「磐瀬の杜」と彫られていた。

この日は立ち寄らなかったが、元あった場所から移転されたようだ。

三郷町



大和川の右岸、県道195号線を歩く。

前方の電信柱に道標のようなものが見える。



7月25日(火)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑3

祠には「延命地蔵尊」と記されている。


こちらのお地蔵様はずっと新しい時代に作られたように見える。
両手で宝珠を持つ。



分岐となり、「みさと第2児童遊園地」を左に見て歩く。


稱名寺前を通過。

お寺の後の建物はマンションかと思ったが、そうではなく町営住宅。



進行方向左側、手前に県道194号線、その向こうにJR関西本線、更に大和川。
大和川の対岸、丘陵地の上には新しい住宅地が建設されていた。



7月25日(火)20:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑2

交差点に出合う。
コースは大和川に沿って歩く。

画像中央、横断歩道を渡ったところに地蔵堂が見えた。



多聞地蔵尊と記されている。


涎掛けを外さなかったが、こじんまりとした容姿のお地蔵さんに見える。
画像左下に「祈 交通安全」と記された木片が置かれていた。



     多聞地蔵

花崗岩製で保存状態良好である。半肉彫り地蔵菩薩で、両手を胸前に組み宝珠を持つ請花連座に座している。
下部に左記の記念銘がある。
    (右)弘化三牛年
    (中央)三界萬霊
    (左)七月建
古来当地より信貴山への参拝者が多く、坂根(坂上・坂下)地区には信貴山への道標が今も残されている。
この地蔵も信貴山への参拝者の交通安全を祈り作られたものと考えられる。以来、現在に至るまで参拝者をはじめ王寺方面への通勤・通学の人々が足を止め祈念している姿もよく見られる。
坂根(坂下)地区の人々の信仰も深く、手厚く祀られている。

   多聞地蔵尊和賛
幾百年の歳月を 雨ふる夜も風の夜も みちゆく人々御守護成し 受けしすくいは数しれず 皆その姿をしたいつつ 朝夕御香のたゆるなし げにありがたや地蔵尊 げにありがたや地蔵尊

本地蔵菩薩横の多聞橋は、木橋、石橋、コンクリート潜水橋、そして、現在の鋼製の永久橋と変遷している。この石材は当時の石橋のひとつであり、その頃の面影を今に残す貴重な資料となっている。



多聞地蔵尊を後にして歩くと、小さな祠が現れる。


7月23日(日)20:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

もう一つの三室山と雁多尾畑1

2017年7月14日(金)は、N氏と生駒山地の南端、三郷町の三室山(みむろやま)に初めて登り、大阪府柏原市の雁多尾畑(かりんどおばた)地区を歩いて近鉄大阪線安堂駅へ下山した。

三室山と云えば、生駒郡斑鳩町、竜田川(たったがわ)が大和川に合流する手前にある山を思い浮かべるが、この日登った三室山は、まったく同じ山名で、生駒郡三郷町立野と大阪府柏原市雁多尾畑との府県境に位置する。

雁多尾畑では山間部の急斜面に驚くほど多くの住居があった。
この地区の歴史を調べてみるのも面白いだろう。

尚、雁多尾畑の名前の由来だが、この地区に光徳寺というお寺があり、本堂は別称“雁林堂”(かりんどう)とも言い、これが地名の由来ともいわれる。

【参考】
龍田大社万華鏡

河内の式内社/金山孫神社・金山孫女神社(柏原市)

光徳寺 (柏原市) - Wikipedia

コース
近鉄生駒線信貴山下駅_町立図書館前_三郷町役場前_大和川の右岸に沿って歩く_多聞地蔵_延命地蔵尊_稱名寺前_実盛川_道標(龍田古道 ←三室山 →龍田大社 神奈備神社)_三郷駅前_磐瀬の杜前_道標(→関地蔵 三室山 峠八幡神社)_道標(左 大阪堺道 右 龍田神社道 釋寂照)_関地蔵_道標(→三室山)_農住5号公園_住所表示板(立野南三丁目25)_クルマ止_広場_万葉歌碑(龍田山 見つつ越え来し 桜花 散りか過ぎなむ)_道標(三室山2・3号古墳→)_道標(←三室山展望台 龍田神社本宮跡 龍田本宮御座峰)_説明板(歴史を彩る神の山)_表示板(桜の里山公園 三室山10号園)_分岐道標(←三室山展望台 龍田神社本宮跡 龍田本宮御座峰)_展望台・四等三角点(点名:三室山 標高:137.06m)・道標(→留所 龍田神社本宮跡 龍田本宮御座峰)_表示板(桜の里山公園 神社跡7号園)_農具小屋跡_石碑(龍田神社本宮址)_石垣_井戸_分岐(ぶどう園分岐を左に見送り直進)_表示板(桜の里山公園 桜の園14号園)_車道出合・四つ角を右へ_竜田古道の里山公園南口前_留所山霊園前_竜田古道の里山公園入口_案内図(竜田古道の里山公園)・休憩_府道183号を南へ歩く_柏原堅上郵便局前_大阪中河内農業協同組合 堅上支店前_柏原市役所堅上出張所前_高見商店前_祠(石仏群)_道迷い_高見商店前_上町青年会館前_道標(左 大坂 加し王ら 道 / 右 やまミち)_三叉路を左折(岡本ガーデン・山田自動車方面を右に見送る)_道標(おおさか環状自然歩道)_スーパースター(工場)前_どんどう不動尊・説明板(どんどの滝)・昼食_道標(←青谷・堅上 2km / →安堂・高井田 2.5km / ここは横尾出荷場 / 竜田道)・道標(勅願所松谷××堂)_覆屋(石造物)_分岐道標(←安堂・高井田 2.1km / このあたりはブドウの名産地 / 竜田道)_車道陸橋の下を潜る_安堂池・分岐道標(JR高井田駅 1200m / 近鉄安堂駅 500m / 横尾 2000m)_説明板(伝 木沢長政の墓)_道標(←平尾山古墳群 雁多尾畑光徳寺 4km)_堅上南中学校前_安堂・太平寺共同墓地前_分岐(大日禅寺を左に見送る)_祠_正休寺前_近鉄大阪線安堂駅

画像はこの日歩いた近鉄生駒線信貴山下駅から近鉄大阪線安堂駅までのGPSログを表示。



信貴山下駅の改札口を出ると、駅前はロータリーになっており、正面に立派な建物が見える。
これは三郷町立図書館。



駅前を南方向へ歩く。

近鉄生駒線の向こう側に見えたのは三郷町役場。
踏切を渡らず、県道194号線を歩く。



「観音寺 地蔵菩薩 重要文化財」の表示が目に入ったが、これは道標ではなく案内板だった。

帰宅して地図を見ると、この近くに観音寺があって、地蔵菩薩が重要文化財に指定されていた。

三郷町

観仏日々帖

それにしても、もう少し親切に案内板を設置できないものだろうか。



龍田古道を歩くなら、駅から龍田大社へ立ち寄るのが正当だが、まだ1ヶ月も経たない6月24日に、土曜会で訪れており、この日は大和川沿いに歩くことにした。

正面、大和川に架かる橋は、歩行者専用で多聞橋と呼ばれる。



7月23日(日)20:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

青山高原(髻山_円山草原)43

東青山駅へ向かう。

この先、クルマは通行出来ないが、歩行者は右側に見える歩道を歩く。



案内図によると「フロントガーデン」。

暑い時季でもあり、我々以外の訪問客はなかったようだ。



14時13分、近鉄大阪線東青山駅に到着。


画像は反対方向、伊勢中川行の普通電車で、2両編成で運行されていた。


14時26分発、大阪上本町行急行に乗って帰宅した。おしまい


7月22日(土)20:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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