山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


山歩き

観音山_樫ヶ峰_岩倉山9

この先、車道の両脇に甲山森林公園の無料駐車場が設けられている。


神呪寺方面歩行者用散策路分岐を左に見送る。
この日のコース設定は、この散策路を歩かずに車道沿いに歩いた。



駐車場。


阪神バス森林公園駐車場前バス停前を通過すると丁石(三丁)が現れる。
車道を挟んで反対側にあった。



今度は右側に石仏が現れる。
左の石仏の下に「第二番」と彫られており、またその前に置かれた竹筒にも2と記されている。
「甲山八十八ヶ所」の第二番と見られる。

甲山八十八ヶ所とは、この先にある神呪寺の南側一帯に四国八十八ヶ所を模したミニ巡礼地のことを指す。

神呪寺は平安時代初めに弘法大師空海が開山とされる。
甲山八十八ヶ所が作られたのは江戸時代の寛政10(1798)年。
この石仏はその第二番。

甲山八十八ヶ所 位置図

甲山88ヶ所巡り



3月2日(木)18:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

観音山_樫ヶ峰_岩倉山8

コース脇にトイレがあったので早めに済ませた。


みくるま池に架かる橋を渡る。


みくるま池と左後方は甲山309.2m。
池の水は清く澄んでいた。



分岐。
管理事務所分岐を右(北)に見送る。



バス通り(甲山大師道)に出合ってこれに沿って右へ歩く。北西。


3月2日(木)18:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

観音山_樫ヶ峰_岩倉山7

この先、左右に雑木林を見ながら道なりに西へ進む。


甲山(かぶとやま)森林公園の入口に到着。

お日様が当たって汗ばんできた。
服装を整える皆さん。



「甲山森林公園マップ」。

現在地は右下。(東)
至 甲東園駅(関学方面)と記載されている。

この先、西(左)へ進み、みくるま池を経て市道に出合いこれを西方向へ歩く。
阪神バス停、正面入口、西入口から神呪寺、更に北山貯水池から鷲林寺へと向かう。



甲山大師へ八丁の町石と案内板。


シンボルゾーン・展望台方向分岐を右に見送り、正面入口・管理事務所・みくるま池方向へ進む。


3月2日(木)18:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

観音山_樫ヶ峰_岩倉山6

左手に駒札と石造物(供養塔)が現れる。

   六十六部供養塔

日本六十六ヶ国の霊場に法華経を収める目的をもって諸国を遍歴する行脚僧のことを六十六部という。そけら行脚僧が、全国行脚の途次、このあたりに庵を建て、大師詣でのお遍路さんや修業僧などを善導したが、後世にそれら諸僧の徳を偲び供養塔が建てられた。神戸市上ヶ原浄水場の創設は大正九年であるが、昭和三十九年工業用水道の建設に際しその整地を始めたころ、この石塔も雑石とともに捨てられたが、以後、工事人などの病気や怪我が続出、驚いて元の場所に戻し、また粗末に扱った古墳ともども鄭重に供養した結果、その凶事も止み、それから工事が順調に進んだと今もなお関係者の悟り草になっている。

      甲東文化財保存会



柵がしてあったので、供養塔に近づくことが叶わなかった。


「学校法人 関西学院 第4フィールド」前を通過。


   大師本堂へ九丁の町石

心ない人の仕打ちで無残な姿となってしまった町石である。碑面の梵字「バ」で水天(密教では西方の守護神)の種子である。五輪(地水火風空)の塔の場合は風に該当する悉曇(梵字の字母)である。このあたりは昔、仏性原といい寛保元年(1741)から十五年間、大師堂のあったところとされている。しかし、今は開発されその面影はなく、わずかに六十六部石塔が残っているだけである。

     甲東文化財保存会



“心ない人の仕打ちで無残な姿”とあるのは、丁石が折れたこと、更に、その片割れが、見当たらないことを指しているのかもしれない。


3月1日(水)20:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

観音山_樫ヶ峰_岩倉山5

三叉路。「ゆりのガーデン」方向へ右折する。
Wikipediaに記載されていた「ゆりの会」の関連と思われる。



甲山大師へ十一丁の町石と説明板。

関西の名刹 甲山神呪寺へ寄進された町石群中十一番目の標石である。頭に戴く梵字の「ダ」は果た していずれの釈尊の種子であろうか。これら町石は十三基たしかにあった。しかし、ここ周辺でも十 、十二町、二基が心ない者のために持ち去られたかそのあとかたもない。
       甲東文化財保存会



右に「甲山調整池」の施設。


そして左には「上ヶ原浄水場」。


これらの施設を左右に見ながら西方向へ歩く。


3月1日(水)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

観音山_樫ヶ峰_岩倉山4

橋の上から歩いて来た方向を振り返る。

後続の人たちが続々と歩いて来る。



橋を渡ってすぐ階段を登る。


突き当たりを右折し、道なりに歩くと「仁川百合野町地区 地すべり資料館」が現れる。
“自動観測システム監査棟”と表示されている。



仁川百合野町地すべり資 料館 - Wikipedia によると、1995年1月17日早朝の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)によって 、西宮市甲山の阪神水道企業団甲山事業所北斜面で、幅約100m、長さ約100m、深さ15m、移動土塊 約10万m3という大規模な地すべりが発生した。この地すべりで斜面東側に位置する仁川百合野町 と仁川6丁目の家屋13戸が押しつぶされ、住民34名が死亡した。災害から2年後の1997年11月18日 、被害状況と土砂災害の恐ろしさ、災害対策の仕組みなどを学べる施設として、災害現場の一角 に本資料館が開館した。資料館は2階建てで、ビデオ映像・パネル展示・ジオラマ模型などを備え る。資料館の近くには慰霊碑が建つ。資料館周辺にはアジサイやスイセンなどの花々が植えられ 、地すべりが発生した斜面には地域住民団体「ゆりの会」が2004年からシバザクラを植えており 、現在では6000株を超える花の名所となっている。震災の発生時期には、2002年から毎年「ゆり の会」が地すべり資料館で追悼コンサートを催してきたが、主催メンバーや遺族らの高齢化によ り、10回目となる2011年で幕を下ろした。


「地すべり資料館」を右に見送って道なりに進む。


3月1日(水)20:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

観音山_樫ヶ峰_岩倉山3

洋風のモダンな建物が建ち並ぶ。


地すべり資料館 (300m先)の案内板を見て前進。


仁川の様子。

溶岩が冷えて固まった岩なのかもしれない。



仁川に架かる橋を渡る。


橋から上流方向の眺め。
この先、川に沿って車道はなかった。



2月28日(火)20:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

観音山_樫ヶ峰_岩倉山2

東口にて、この日歩くコースの説明をするリーダーのA氏。

この後、右後方に見える地下道入口へ入る。



仁川駅西口への地下道を歩く。


仁川沿いに左岸を歩く。この道は東向きの一方通行となっている。

地すべり資料館 (1500m先)の案内板あり。



阪急オアシスを右に見て歩く。

前方に見える丸い山が甲山。
今日はこの山には登らない。



西宮市のマンホールの蓋。

日本マンホール蓋学会 によると、甲子園球場はもちろん、酒蔵と酒樽、そして市の花である桜の花びらがちりばめてある。



2月28日(火)20:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

観音山_樫ヶ峰_岩倉山1

2017年2月19日(日)は、山を登る会の第934回例会に単独で参加した。

六甲山系の観音山_樫ヶ峰(馬の背)_岩倉山の三座に登った。
時節柄、北斜面では所々残雪が見られた。

岩倉山は六甲全山縦走路上にあってよく歩かれているが、観音山と樫ヶ峰はマイナーな山。
今回登った鷲林寺から観音山へのルートは、山地図では危険マークがついている。
また、樫ヶ峰の南斜面も危険マークと迷いマークが幾つも付加されており、単独や個人のグループでは行きにくい山域。

このようなところは、激登りと激下りがつきもの。そして、藪っぽいところやガレ場も。
また、観音山では少しだが岩登りもあった。
分岐や踏み跡がいたるところにあって、道標はほとんどない。
もう一度、GPSなしで歩け、と云われても私には無理。

今回のリーダーはA氏。
彼のコース設定は、昼食後も、かなりのウエイトを歩く設定になっている。
この日も盤滝で昼食後、樫ヶ峰と岩倉山に登った。

1月3日に「山を登る会」で歩いた生駒山以来、1ヶ月半振りの山歩き。
出発前、駅前で準備体操を少し行ったが、観音山への登山途中、右足のふくらはぎが2回痙攣を起こした。
1回目は軽く、それで、2回目の痙攣をある程度予測出来た。
幸い大事には至らず、様子を見ながら、そのまま歩き続けた。

帰宅後、お風呂で足の筋肉をマッサージしたが、翌朝、両足の太ももが筋肉痛。
山を歩く時と平地を歩く時に使う筋肉とは違う。
最低でも、1ヶ月に2度は山を歩かないと、このようなことになる。反省。

今回、初めて先頭集団と一緒にゴールまで歩いた。
参加人員は89名で、昼食時点では目測45名程度いたが、ゴールの宝塚駅では10人程度。

この会では、昼食以外、ほとんど休憩を取らない。
従って、各自で休憩する必要がある。
甲山森林公園に到着して、服装の調整を行ったが、休憩というほどでもなく、立ち止まったのは僅かに1分。
それ以外では鷲林寺境内でのトイレ休憩。

また、聞いていた通り、Tリーダーは終始立ったまま昼食を取っていた。
彼のトレードマークである“菅笠”を被る姿を最近見ないので、本人に確認したところ、冬場は“菅笠”を被らず“カウボーイハット”とのこと。

コース
8:49阪急今津線仁川駅東口9:18_仁川駅地下道を歩く_仁川(にがわ)左岸_道標(地すべり資料館 1500m先)_阪急オアシス前_仁川百合野町地区 地すべり資料館前_丁石(甲山大師十一丁)_上ヶ原浄水場前_供養塔(六十六部供養塔)_学校法人関西学院第4フィールド前_丁石(九丁)_甲山(かぶとやま)森林公園入口_丁石(八丁)_展望台・シンボルゾーン分岐_みくるま池に架かる橋を渡る_管理事務所分岐_車道出合い(甲山大師道)_神呪寺方面歩行者用散策路分岐_森林公園駐車場前_バス停(阪神バス 県立甲山森林公園前)_丁石(三丁)_石仏(第二番)_石仏群_バス停(阪神バス 甲山大師下)_石仏群_甲山自然の家分岐_神呪寺(かんのうじ)前_石人_バス停(阪神バス 甲山大師)_石仏群_北山貯水池_アガペ甲山教会前_甲山墓園前_鷲林寺町交差点を横断_常夜燈_道標(鷲林寺参道)_鷲林寺会館前_鷲林寺参道取り付き_石仏群_カトリック シトー会 西宮の聖母修道院前_鷲林寺(じゅうりんじ)・トイレ休憩_観音山頂分岐(別ルート)_八臂荒神(はっぴこうじん)お堂脇から山道に取り付く_堰堤_岩場登り_展望岩_観音山526m_フェンス・分岐_奥池あそびの広場方面分岐_境界標識(西宮市)_六甲山最高峰分岐_渡渉_堰堤_渡渉_舗装道路(車両通行止)出合い_簡易トイレ(西宮市美化第1G)_11:55盤滝(ばんたき)・仁川堰堤・昼食12:18_県道16号線出合い_仁川に架かる上盤滝橋を渡る(県道82号線)_山道取り付き_小笠峰・外れ峰分岐_<社家郷山展望ルート>_道標(西三ツ辻出合から東三ツ辻出合方向へ歩く)_馬の背(樫ヶ峰山頂手前)_樫ヶ峰山頂分岐_逆瀬川河原歩き_渡渉_堰堤_河原駐車場_ゆずり葉第3公園前_宝塚エデンの園前_駒札(譲葉社)_宝塚市ゆずり葉台二丁目15_行者山ハイキングコース取り付き_行者山ハイキングコース案内板_白瀬川源流方面分岐_行者山分岐_分岐(六甲縦走路を左に見送り岩倉山反射板方向へ)_岩倉山反射板_六甲全山縦走路出合い_岩倉山488m_砂山権現前_塩尾寺(えんぺいじ)前_塩尾寺駐車場_常夜燈_甲子園大学前_塩尾川に架かる月見橋を渡る_道標(左 塩尾寺 是ヨリ十五丁)_武庫川に架かる宝来橋を渡る_14:35阪急宝塚線宝塚駅。

歩行距離:約16km。参加者89名。

画像はこの日歩いた阪急仁川駅から阪急宝塚駅までのGPSログを表示。



早朝の蛙股池。7時過ぎに撮影。
池の水位は徐々に回復してきている。



阪急仁川駅東口。

仁川駅は西口と東口があるが、どちらが集合場所なのか案内されていなかった。
この日歩くコースや、電車に乗る人の利便性からみて、西口だろうと思っていた。

ところが、駅前にはそれらしき人の姿が見えず、東口に向かうとお馴染みの人たちが居られた。
結果、西口付近は狭いので東口の方がベターだった。



宝塚市の住居表示案内図。

仁川駅は宝塚市にあるが、西宮市との市境に位置する。
この地図では、宝塚市の表示となっており、これから歩く西宮市内の参考にはならない。



阪急仁川駅東口にて出発時間待ちの皆さん。


2月28日(火)20:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

観音山_樫ヶ峰_岩倉山

2017年2月19日(日)は、山を登る会の第934回例会に単独で参加した。

六甲山系の観音山_樫ヶ峰(馬の背)_岩倉山の三座に登った。
時節柄、北斜面では所々残雪が見られた。

岩倉山は六甲全山縦走路上にあってよく歩かれているが、観音山と樫ヶ峰はマイナーな山。
今回登った鷲林寺から観音山へのルートは、山地図では危険マークがついている。
また、樫ヶ峰の南斜面も危険マークと迷いマークが幾つも付加されており、単独や個人のグループでは行きにくい山域。

このようなところは、激登りと激下りがつきもの。そして、藪っぽいところやガレ場も。
また、観音山では少しだが岩登りもあった。
分岐や踏み跡がいたるところにあって、道標はほとんどない。
もう一度、GPSなしで歩け、と云われても私には無理。

今回のリーダーはA氏。
彼のコース設定は、昼食後も、かなりのウエイトを歩く設定になっている。
この日も盤滝で昼食後、樫ヶ峰と岩倉山に登った。

1月3日に「山を登る会」で歩いた生駒山以来、1ヶ月半振りの山歩き。
出発前、駅前で準備体操を少し行ったが、観音山への登山途中、右足のふくらはぎが2回痙攣を起こした。
1回目は軽く、それで、2回目の痙攣をある程度予測出来た。
幸い大事には至らず、様子を見ながら、そのまま歩き続けた。

帰宅後、お風呂で足の筋肉をマッサージしたが、翌朝、両足の太ももが筋肉痛。
山を歩く時と平地を歩く時に使う筋肉とは違う。
最低でも、1ヶ月に2度は山を歩かないと、このようなことになる。反省。

今回、初めて先頭集団と一緒にゴールまで歩いた。
参加人員は89名で、昼食時点では目測45名程度いたが、ゴールの宝塚駅では10人程度。

この会では、昼食以外、ほとんど休憩を取らない。
従って、各自で休憩する必要がある。
甲山森林公園に到着して、服装の調整を行ったが、休憩というほどでもなく、立ち止まったのは僅かに1分。
それ以外では鷲林寺境内でのトイレ休憩。

また、聞いていた通り、Tリーダーは終始立ったまま昼食を取っていた。
彼のトレードマークである“菅笠”を被る姿を最近見ないので、本人に確認したところ、冬場は“菅笠”を被らずカーボーイハットとのこと。

コース
8:49阪急今津線仁川駅東口9:18_仁川駅地下道を歩く_仁川(にがわ)左岸_道標(地すべり資料館 1500m先)_阪急オアシス前_仁川百合野町地区 地すべり資料館前_丁石(甲山大師十一丁)_上ヶ原浄水場前_供養塔(六十六部供養塔)_学校法人関西学院第4フィールド前_丁石(九丁)_甲山(かぶとやま)森林公園入口_丁石(八丁)_展望台・シンボルゾーン分岐_みくるま池に架かる橋を渡る_管理事務所分岐_車道出合い(甲山大師道)_神呪寺方面歩行者用散策路分岐_森林公園駐車場前_バス停(阪神バス 県立甲山森林公園前)_丁石(三丁)_石仏(第二番)_石仏群_バス停(阪神バス 甲山大師下)_石仏群_甲山自然の家分岐_神呪寺(かんのうじ)前_石人_バス停(阪神バス 甲山大師)_石仏群_北山貯水池_アガペ甲山教会前_甲山墓園前_鷲林寺町交差点を横断_常夜燈_道標(鷲林寺参道)_鷲林寺会館前_鷲林寺参道取り付き_石仏群_カトリック シトー会 西宮の聖母修道院前_鷲林寺(じゅうりんじ)・トイレ休憩_観音山頂分岐(別ルート)_八臂荒神(はっぴこうじん)お堂脇から山道に取り付く_堰堤_岩場登り_展望岩_観音山526m_フェンス・分岐_奥池あそびの広場方面分岐_境界標識(西宮市)_六甲山最高峰分岐_渡渉_堰堤_渡渉_舗装道路(車両通行止)出合い_簡易トイレ(西宮市美化第1G)_11:55盤滝(ばんたき)・仁川堰堤・昼食12:18_県道16号線出合い_仁川に架かる上盤滝橋を渡る(県道82号線)_山道取り付き_小笠峰・外れ峰分岐_<社家郷山展望ルート>_道標(西三ツ辻出合から東三ツ辻出合方向へ歩く)_馬の背(樫ヶ峰山頂手前)_樫ヶ峰山頂分岐_逆瀬川河原歩き_渡渉_堰堤_河原駐車場_ゆずり葉第3公園前_宝塚エデンの園前_駒札(譲葉社)_宝塚市ゆずり葉台二丁目15_行者山ハイキングコース取り付き_行者山ハイキングコース案内板_白瀬川源流方面分岐_行者山分岐_分岐(六甲縦走路を左に見送り岩倉山反射板方向へ)_岩倉山反射板_六甲全山縦走路出合い_岩倉山488m_砂山権現前_塩尾寺(えんぺいじ)前_塩尾寺駐車場_常夜燈_甲子園大学前_塩尾川に架かる月見橋を渡る_道標(左 塩尾寺 是ヨリ十五丁)_武庫川に架かる宝来橋を渡る_14:35阪急宝塚線宝塚駅。

歩行距離:約16km。参加者89名。

画像はこの日歩いた阪急仁川駅から阪急宝塚駅までのGPSログを表示。



2月20日(月)19:00 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

五月山_六個山_鉢伏山65

妙見口駅前の道標。
妙見山の周回コースを表示している。



ゴールに到着。
本日の参加者、555名。
お疲れさまでした。おしまい。



2月3日(金)20:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

五月山_六個山_鉢伏山64

「吉川東の石燈籠」には、○の中に“金”、その下に“講中”と彫られている。
“金”は、“金毘羅講”を指すらしい。
側面には、「秋葉山 / 愛宕山」と彫られている。

豊能町観光ボランティアガイドの会 | 東の燈篭 によると、能勢電妙見 口駅から妙見山への初谷川コースを進むと、府道477号の交差点左前方の吉川保育所から約200m先の右側に高さ2.6 mの大きな自然石五段組をした立派な燈籠が鎮座している。全面には○の中に金、下 講中、右面には秋葉山(左)愛宕 山(右)裏面には嘉永七甲寅九月吉日と刻まれている。吉川地区は過去三回、享保、天明、嘉永の各年に大火に合ってい る。特に嘉永5年(1852年)2月には住宅のみならず郷蔵、神社、寺等ことごとく焼失している。このため、金毘羅講の 方々が防火・鎮火の神(迦具土神)を愛宕神社、秋葉神社より分霊を戴き、吉川地区秋葉山に祭祀する神社を建立し、更 に上之町、下之町に日常的に祭祀するために石燈籠を建立したものと思われる。



「豊能町シルバー人材センター」を左に、吉川保育所を右に見て歩き、R477を横断。
左の河川は初谷川。
この頃になると雨が止んだ。



阪急バス保育所前バス停前を通過。


道路の右に西方寺を見ながら歩く。


能勢電鉄の線路が見えた。
この線路が見えると、ハイキングはもうすぐ終わり。



2月3日(金)20:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

五月山_六個山_鉢伏山63

小雨が降り続くので、傘を指さずにはおられない状態となる。
参加者の中には、傘を指さずに歩く人もいたが、気の毒にズブ濡れ。

豊能町のマンホール。

日本マンホールの蓋学会 のサイトによると、豊能町の花、たんぽぽと町章がデザインされている。



田圃の中にポツンと建つ旧家。
庭木はサツキだろうか、綺麗に剪定されている。



祠と常夜灯が現れる。
いつも思うが、こういうところには、ナンテンがよく似合う。
左右にあって仏花の役割もしている。



祠の中を覗く。
撮影した画像を見ると地蔵菩薩に見える。
涎掛けが邪魔してよくわからない。

頭の部分のみ彫りだしている。
下に置かれた台の石、元々、この石仏を安置するために作られたようには見えないが。

それにしても、造花であっても、ないよりは、ずっとまし。



この常夜灯、地元では「吉川東の石燈籠」と呼ばれている。
火袋は後の時代のものだろう。

手前に何か説明文でも書いてあったのかもしれない。
よく見たが、文章らしきものはなかった。



2月2日(木)20:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

五月山_六個山_鉢伏山62

歩いて来た方向を振り返って撮影。

正面の薄暗い道からここ吉川峠へやって来た。



吉川峠に立つ道標。
この道標では、「下止々呂美」からここへ来たことになる。
実際には下止々呂美の集落は歩かず、新しい町、箕面市森町から来た。



左手に比較的新しい住宅地、「東ときわ台」が現れる。
この住宅地には、以前、妹一家が住んでいた。



古い道標。
この道標を見ると、吉川峠から天台山、光明山、妙見山の縦走は定番コースのようだ。



左に住宅地、右に雑木を見ながら歩く。

やがて住宅地はなくなり、左右が雑木の林道を歩くと、展望が開けた場所に出る。

この頃、小雨がぱらついてきたので、折り畳み傘を出す。



2月2日(木)20:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

五月山_六個山_鉢伏山61

北山川に沿って林道歩きが暫く続く。


単調な林道歩きに飽きてきた頃、右に見覚えのある分岐が現れる。


分岐は青貝山、上止々呂美方面となっている。

以前、この取り付きから青貝山、天台山、光明山、妙見山、四等三角点(点名:吉川)まで縦走した。
今調べると2014年5月1日。

2014年5月の記録を表示



これまた見覚えのある吉川峠に到着。


右上、貯水タンク手前の道は天台山、光明山、妙見山方面へ至る。


1月31日(火)20:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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