山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2014年12月9日を表示

山背古道とことんウォーク25

真新しいはず、平成22年4月落慶法要が営まれていた。画像は扁額。


蟹満寺縁起の「蟹と蛇」。HP「京の観光」によると、※蟹満寺の「蟹の恩返し」の縁起とは、「ある日、村人が蟹を捕えて食べようとしているところを娘が助けてあげます。その頃、娘の父が田を耕していると蛇が蛙を飲もうとしているのを見て、「その蛙を放してやってくれたら娘の婿にしよう」と言いました。すると蛇は蛙を放し、姿を消しました。その夜、衣冠を着けた紳士が現れ昼間の約束を迫ってきましたが、父娘は震えながら雨戸を閉ざしていました。約束を守ろうとしない父娘に怒った紳士は、本性を現し、蛇の姿となり荒れ狂い始めました。恐ろしさに震えながらも娘が観音経の普門品をひたすら誦えていると、観音さまが現れ、お告げを言い残して姿を消しました。しばらくして、雨戸を打つ暴音は消え、夜が明けると外にはハサミで切られた大蛇と無数の蟹の死骸が残されていました。親子は娘の身代わりとなったたくさんの蟹と蛇の霊を弔うため御堂を建て観音さまを祀りました。たくさんの蟹によって恐ろしい災難が救われた因縁で建てられたので蟹満寺と名付けられたと伝わります。」


香炉のデザインも蟹をイメージしている。


国宝の本尊、釈迦如来を次の機会に是非、拝観したい。この日は約23km歩くので、拝観の時間を調整できなかった。


丁重に祀ってあった地蔵菩薩。


12月9日(火)22:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山背古道とことんウォーク24

アスファルトの地面に取り付けられていた山背古道の道標。


集落の中を歩く。


この先、分岐となる。


左折し蟹満寺(かにまんじ)へ立ち寄る。


本堂は最近、再建されたのか真新しい。木津川市のHPによると、※「寺の名前は蟹幡(かむはた)郷という美称である「神(カム)」と織物を意味する「幡(ハタ)」からなる地名に由来し、この地は古代には渡来系民族で織物にたずさわる人が多く住んでいたようで、白鳳時代末期に国家かそれに準ずる豪族によって建てられたと考えられている。平安時代以降は今昔物語集に出てくる「蟹の恩返し」縁起で有名になった。本堂は宝暦9年(1759年)に建て替えられ以降そのまま250年間経ち、このたび改築されて平成22年4月落慶法要が営まれた。本堂中央の釈迦如来像(国宝)は創建当時より不動であることが調査の結果解った。」


12月9日(火)22:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山背古道とことんウォーク23

モミジの紅葉。一番の見頃


昔ながらの集落の中を歩く。


木津川市山城町綺田山口の「山口会館」前を通過する。すると女の子が私に挨拶してくれた。「こんにちは」と返す。


筍水煮の小さな町工場を通過。


綺麗に剪定された庭木のモミジ。


12月9日(火)22:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山背古道とことんウォーク22

集落の中から抜け出すと展望が開ける。不動川に架かる不動中橋を渡る。


山城町にまつわる民話「蟹の恩返し」の説明板。


そしてこれから向かう「蟹満寺」の案内板。


一旦、堤沿いに歩くが、すぐに北へ下る。


JR奈良線の踏み切りを横断。このあたり線路は単線になっている。そして前方のトンネルの上を不動川が流れている。つまり“天井川”。


12月9日(火)22:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

山背古道とことんウォーク21

棚倉駅前「ほっとコーナー」を後にする。JR奈良線の踏み切りを横断。


幅1m程度の狭い路地を歩く。地図によると、この路地に商店があるらしい。


これがその商店「もりむら商店」。クルマでは買いに来れないだろう。


民家の庭木の紅葉。


三叉路に出る。画像は三叉路を振り返って撮影。左の小路から歩いて来た。


12月9日(火)22:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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