山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2018年4月を表示

20日ならウォーク(佐保川の桜並木)

2018年4月20日(金)は、奈良市主催のウォーキングイベント「20日ならウォーク」に単独で参加した。

<概略>
佐保川沿いの桜並木を歩くコースだが、勿論、桜(ソメイヨシノが中心)は終わっている。
このイベントは毎月20日開催。春の開催は3月20日か4月20日なので、ソメイヨシノの見頃とは多少ズレることになる。

イベントタイトルに“名刹を巡りて”とあるが、大安寺近辺の佐保川沿いにソメイヨシノ他が植えられたのはそれほど古くない。
30年くらい前のことで、私が十代の頃にはなかった。
但し、法蓮桜町近辺の佐保川沿いのサクラは古く、江戸時代の奈良奉行が植えたと伝えられている。しかしこの区間は距離が短い。
その他、八重桜も少しだが植栽されており、これは少し花が残っていた。

ニュース 奈良の声 「1000本超 佐保川の桜並木 歩いて数えた」

法蓮桜町街区公園近辺のGoogle map

歩行距離が7kmと短いので、自宅から集合場所の近鉄西ノ京駅まで(約3.6km)と、解散場所の芝辻町四丁目緑地から自宅まで(約5.0km)の区間を歩いた。
この日は全国的に暑い日となり、大分県で30℃の真夏日を記録した。

<コース>
自宅8:00_奈良パークホテル前_蓬莱神社前_佛願寺山門前・阿弥陀石仏_R308を横断・フラワーショップクボ前_山中商店前_中城酒店前_きりん一番館前_薬師寺龍蔵院前_近鉄橿原線の踏切を横断_近鉄西ノ京駅前_8:48薬師寺北駐車場(集合場所)9:03_秋篠川に架かる橋を渡る_県道9号線を横断_田舎料理草ノ戸前_奈良朱雀高校前_柏木公園・休憩_佐保川に架かる歩道橋を渡る_R24高架下を潜る_JR関西本線のけた下を潜る_史蹟 大安寺塔阯_元石清水八幡宮 八幡神社前_大安寺_推古天皇社前_史跡 大安寺旧境内_大安寺小学前_JR関西本線の踏切を横断_菩提川に架かる橋を渡る_佐保川出合 佐保川沿いに北上_県道1号線を横断_R369(大宮通り)を横断_近鉄奈良線の地下道を歩く_芝辻町四丁目緑地(解散)_出屋敷地蔵尊_彩華ラーメン・昼食_石造り地蔵菩薩立像_自宅

<その他>
・参加者約280人。
・コース歩行距離約7km。
・実歩行距離約19km。(自宅~近鉄西ノ京駅約3.6km 芝辻町四丁目緑地~自宅約5.0km等を含む)
・歩数2万7千歩。

画像は自宅を起点にこの日歩いたルートのGPSログを表示している。



阿弥陀石仏。鎌倉時代後期 花崗岩。
残念ながら鼻が欠けている。
また、来迎印を結ぶ手の指先も。
奈良市宝来4丁目 仏願寺(ぶつがんじ)山門前にて。



民家の垣根に咲くモッコウバラ。
奈良市平松町にて。

モッコウバラは昨年、挿し木したら、2本根付いた。
内、一本は早々と花を咲かせている。



楓の古木。
大安寺境内にて。



佐保川沿いに植えられたソメイヨシノ。
奈良市恋の窪3丁目にて。



4月22日(日)20:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士41

北野町へ下る。
この先急斜面なので、フィックスロープが設けられていた。



急斜面をクリアすると、今度は薄暗い茂みの中を下る。


登山道の右手にフェンスが現れる。
このあたりも急降下。



登山道はフェンスに突き当たる。


道なりに左折してフェンスに沿って歩く。


4月21日(土)18:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士40

潅木の隙間から神戸市内と大阪湾が見えたが、生憎霞んでいる。


イノシシが体に付いたダニを取り払う為に、木の幹に体を擦り付けた跡。


急階段でおまけに杭が出ているので慎重に下る。


登山道の脇には落ち葉が見られるようになる。


このあたり大量の落ち葉がある。
足を取られ滑りやすい。



4月21日(土)18:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士39

ベンチがあったが、この日は霞んでおり展望はイマイチ。
登山道はこの先を下る。



丸太の階段。
ここは膝のバネを利用してリズミカルに下る。
突っ張ると膝を痛めてしまう。



釘が出ている“年季の入った”ベンチ。

後の真新しい説明板(画像の左下)には、堂徳山国有林の治山事業について説明している。
(治山事業の必要性と森林整備について)



森林整備により、明るくなった林の中を歩く。
前方に道標が見える。



二本松、堂徳山国有林を経てここへ来た。
この先北野町へ下る。



4月21日(土)18:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

なら20日ウォーク(大佛鐵道遺構めぐり)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2018年1月20日(土)は、奈良市主催のウォーキングイベント「なら20日ウォーク」(大佛鐵道遺構めぐり)に単独で参加した。

<概略>
・大佛鐵道の遺構は、過去にクルマや徒歩で何回か訪れているが、ウォーキング協会等(今回は奈良市主催)のウォーキングイベントとして参加するのは初めて。
・私が知らなかった遺構もいくつかあったので参加して良かった。
・イベントのスタート地点は「ならでんフィールド(奈良市鴻ノ池陸上競技場)」だが、近鉄奈良駅からバス又は徒歩になる。(タクシーも)
・もとよりバスには乗る気はないので歩くことになるが、どうせ歩くなら、一層のこと自宅から歩いてみようと決めた。
・駅まで歩く時間、電車を待つ時間、電車に乗っている時間を合計(この時の場合32分)すると、実際には3.2kmを歩くことが出来た。
・「なら20日ウォーク」は午前中で切り上げとなっており、午後からのウォークはない。

<コース>
自宅7:28_平城宮跡_9:00ならでんフィールド(奈良市鴻ノ池陸上競技場)9:23_黒髪山トンネル跡_鹿川(しかがわ)隧道に通じる道路を工事中に付き進入出来ず_松谷川隧道_井関川橋梁跡_城山台公園(大佛鐵道公園)_赤橋_梶ヶ谷隧道_美加ノ原カンツリークラブ前_鹿背山橋台(かせやまきょうだい)_観音寺小橋台_観音寺橋台_石仏群_祠・常夜灯_実験動物之諸霊×_C57SL展示_12:00JR関西本線加茂駅
昼食:RAJA(加茂駅前 インド・ネパールレストラン)

<その他>
・コース距離約9.5km。
・参加者約200人。
・実歩行距離約22km。(自宅からイベントのスタート地点「ならでんフィールド」までの距離ほかコース以外を含む個人的な記録)
・歩数3万1千歩。

画像はこの日歩いた自宅近くの蛙股池付近から、昼食場所の加茂駅前レストラン「RAJA」までのGPSログを表示。



黒髪山(くろかみやま)トンネル跡。
昭和41年頃まで残っていた大佛鐵道唯一のトンネル。
道路拡張により取り壊された。
現在の車道にかつてトンネルがあってレール(単線)が敷かれていた。



松谷川隧道。
レンガ造りの隧道。この上を大佛鐵道が走っていた。
隧道の中は松谷川が流れる。(右下)



梶ヶ谷隧道。
アーチの部分はレンガ造り。
下部は石積み。人が通り抜けられる。
この上を大佛鐵道が走っていた。



鹿背山橋台(かせやまきょうだい)。
石積みの橋台。
この上を大佛鐵道が走っていた。



4月20日(金)19:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士38

右折すると「イカリ(錨)山~スワ(諏訪)山 方面」。
直進して「城山コース布引方面」へ向かう。



左右に展望はないが歩き良い尾根筋の道となる。


分岐で「城山(滝山城跡)を経て布引の滝1.0km・新神戸駅1.25km」を左に見送り、「堂徳山国有林を経て北野町4丁目0.8km・北野道方面」へ向かう。


この先、展望が開けそう。


何かと思ったが、ヤブツバキの花を並べたもの。


4月19日(木)18:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士37

「湊川神社神苑」と彫られた石碑が立っている。
右のバス停は反対側車線の二本松バス停。



周辺のハイキング地図。
「城山を経て新神戸駅」。
この地図は北が左。

現在地から上(東)へ歩き、堂徳山分岐を右に見送り城山方面へ。
分岐で右折し北野町へ向かう。
更に分岐では下(西)の道(天神谷東尾根)を下る。



階段を登り詰めると地道の登山道が現れる。


風雨や登山者によって登山道が大きくえぐれ浸食されている。
元の地表の高さから(右)と較べると一目瞭然。



この先分岐。
ルートは直進。



4月19日(木)18:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士36

舗装道路(再度山ドライブウェー)に降り立つ。
そして右方向へ。



道標を見て「城山0.8km 新神戸駅1.2km 方面へ向かう。
バス停は二本松バス停。



暫く車道(再度山ドライブウェー)を歩く。


車道に降り立ったところを振り返って撮影。


この先、車道から離れ、前方に見える階段を登る。


4月19日(木)18:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

(続き)ご近所散策(王龍禅寺)

くねった旧道を道なりに歩くと真新しい祠が現れ、中に二体の石仏が安置されていた。
祠はごく最近、新調された。
石仏は二体とも弘法大師だろうか。

すぐに分岐となり、石の道標が立っている。
「← 上 王龍寺」。
分岐は三叉路でアルファベットのYのようになっており、どちらへ行っても左となるが、上の方の道を行くという意味。

学園前西特別養護老人ホームの前を通過。
特養を過ぎると付近の景色は一変する。

一面の芝生とメタセコイアの並木が現れる。
飛鳥CCの敷地の中を歩いているようだが、実際は勿論、ゴルフ場が後に建設された。

ゴルフ場と道路の間に潅木が残されているが、シイや山柿があったりする。



暫くゴルフ場を左右に見ながら進むと、「石佛観音岩屋大黒天 王龍寺」と刻まれた石柱が立っている。

画像は山門前に置かれていた石造物。
動物のような形をしている。
猿のようにも見えるが、正体は不明。



奈良市指定文化財 「王龍寺境内のコジイ林」を歩く。
ここには貴重な自然林が残されており、散策にはとてもよいところ。

石段を登って本堂の手前に「宇宙菴吉村長慶寿像碑」と刻まれた石柱が立っている。
“吉村長慶”は地元奈良では比較的知られている人物。

おびただしい石造物を各地に寄進!奈良出身の実業家・吉村長慶の知られざる業績



お寺の社務所に行って、拝観を希望することを伝えると、息子さんらしき僧侶が現れ、案内して頂いた。
普段、ご本尊を祀っている本堂には鍵が掛かっており、中に入ることは出来ない。



磨崖仏にはローソクの明かりがよく似合う。

説明板によると、
奈良市指定文化財 王龍寺磨崖仏
堂内にある大きな花崗岩の正面に建武三年(一三三六)の刻銘を有する十一面観音立像 その脇に文明元年(一四六九)の刻銘を有する不動明王立像が彫られている。これらの像はこの地区に残る数少ない磨崖仏の一つでなかでも十一面観音立像は南北朝時代の様式をよく伝える貴重なものである。
昭和六十二年一月 奈良市教育委員会

20分程度、本堂の中に居た。
最初、お寺の人と私は本堂の中に一緒に居たが、その後、知り合いの方が来られたようで、本堂の外で待っておられた。

最後にお礼を言って別れたが、「また、いつでもお越し下さい」と言われたのが嬉しかった。
おしまい。



4月18日(水)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ご近所散策(王龍禅寺)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2018年1月16日(火)は、前日の西千代ヶ丘、大和国鹿島香取本宮に続いてご近所を散策した。
もっとも片道7km以上あったので、とてもご近所とはいえない。

この日の目当ては、奈良市の王龍禅寺(おうりゅうぜんじ)へ行き、以前から観たかったご本尊の磨崖仏を拝顔すること。
このお寺は過去に何回か訪れている。
その時は磨崖仏を観ていない。
では以前は何を目的に訪れたのかといえば、お庭が素晴らしい。境内自由。
お寺に問い合わせてみると、磨崖仏を観るのに、特に予約は必要ないそうで、社務所(自宅?)で拝観したい旨を申し出て下さいとのこと。

画像はこの日歩いた自宅近くの蛙股池から王龍禅寺までの区間を明治41年側図の古地図で表示している。

コース(ピストン)
蛙股池(*1生駒郡伏見村疋田)_(*2新田)_(*3富雄村谷奥)_(*4北生駒村春日)_王龍禅寺(*5北生駒村)。

現在の住所表示
*1 奈良市あやめ池南
*2 奈良市学園新田町
*3 奈良市二名1丁目
*4 奈良市二名3丁目
*5 奈良市二名6丁目

画像の地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成。
1/20000 「西大寺」明治41年側図・明治45.3.30発行

歩行距離約15km。
歩数2万1千歩



近鉄奈良線の跨線橋を跨いですぐ、東側に立てられている石柱。
撮影した画像ではわかりにくいが、「南無阿弥陀仏」と刻まれている。
大正時代の刻銘あり。



学園前駅に到着。ここまでゆっくり歩いて27分。
学園北一丁目に地蔵山と呼ばれる丘があって、お地蔵さん他の石仏が祀られている。
今回は立ち寄らず。
この地図では緑色で表示されている。

争乱伝える地蔵道 /奈良
住宅地に響く法螺貝 /奈良

一方、古地図に表示されている新田(現:学園新田町)は、地蔵山から北西の方向に位置する。

奈良女子大学付属幼稚園の建物を右に見て西へ進むが、その先で道に迷ってしまう。
行止りと勘違いした。
ひと一人がようやく通れる路地のような、人家の軒下に続く小道があったのだが、気づかずに引き返してしまった。
少し戻って付属幼稚園の建物を右に見て北へ歩き、遠回りして本来歩く予定だった旧道に出合う。



時間はたっぷりある。ここは急ぐことはない。
迷ったところへ逆方向から歩き、どこで間違ったか確認することにした。

画像がひと一人がようやく通れる路地のような、人家の軒下に続く小道。
丁度、向こうから人が歩いて来られたので、撮影した場所で待った。

新田公民館の前を通って、旧道に復帰。
このあたりは畑や田んぼが残っているが、住宅地として部分的に開発も行われている。
分譲中の看板には、「大阪難波」駅へ25分。「本町」駅へ28分。「梅田」駅へ33分。
そして「学園前」駅 徒歩15分と案内されている。

「みねのてら阿弥陀寺」分岐を右に見送って直進。
分岐までは上り坂で分岐を過ぎると下り坂となる。
尚、このお寺は古地図にも記載されていた。



人家の横に「二名小学校跡」の石柱が立つ。
古地図にもそれらしき学校の表示があるが、集落の表示は「谷奥」と記されている。
現在「谷奥」の住所表記はない。

道なりに歩くと三叉路の角に法融寺の寺標と「日限地蔵尊」と彫られた石柱が立っている。
富雄川に架かる月見橋を渡って、上流方向へ少し歩くと、「左 海瀧山 王龍寺」ほかの石柱が立っている。
ここを左折し西へ向かう。



4月18日(水)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士35

痛々しいので木の根を踏まないようにして歩いた。


登山道は大きく下る。


滑落注意。


堰堤の向こうに未舗装の車道が見える。


車道は二本松林道。


4月17日(火)18:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士34

再度ドライブウェーを左下に見ながら歩く。
登山道は再度山ドライブウェーと部分的に接近しているところもある。



穏やかな傾斜の登山道。
歩いて気持ちがよい。



倒木。
ここは下へ回り込む。



二本松・新神戸駅2.7km方面へ向かう。


地面の土が侵食され木の根が地表に出ている。


4月17日(火)18:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士33

石碑には「毎日登山発祥の地 善助茶屋跡」と彫られている。
六甲山系には毎日登山の会が各地(高取山、旗振山など)にあるが、ここ再度山が発祥の地。



周辺のハイキング地図。
この地図は右が北。
現在地から大師道分岐を右に見送り、再度ドライブウェーと平行するハイキング道を歩く。
二本松で再度ドライブウェーに出合い、堂徳山、城山分岐を見送って、この地図には表示のない天神谷東尾根を下る。



大師道分岐を右に見送って、二本松1km 新神戸駅3km 方面へ直進。


土留(どどめ)と呼ばれる自然石の擁壁。


下山だが、歩くスピードが早く、暑いくらい。
前方を歩くTさんが上着を脱いだ。



4月17日(火)18:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

七三峠_鍋蓋山_洞川梅林_神戸富士32

分岐を右へ。


善助茶屋跡を示す道標。


KWSシーダーカテジ跡
(神戸徒歩会休憩所跡)
神戸徒歩会は、明治43年7月に誕生した日本人最初の登山会で、この広場周辺にあるスギにちなんで、その休憩所をシーダーカテジ(Cedar Cottage)と名付けた。神戸市

説明板を読んでもイマイチよくわからず、考え込んでしまう。
“KW”は神戸 ウォーキングの略と思われるが“S”はハテ?サークルの“C”でもない。
“シーダー”はマツ科ヒマラヤスギ属の植物の総称。 シーザー=スギという意味。
“カテジ”はコテージのこと。



歩きよい道が続く。


自然石の階段。右手前に東屋。
そしてその前方に石碑らしきものが見えた。



4月17日(火)18:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

ご近所散策(西千代ヶ丘_大和国鹿島香取本宮)

【2017_10_25~2018_02_14の記録】

2018年1月15日(月)は、午後からご近所を散策した。
以前から気になっていた奈良市西千代ヶ丘付近を歩いてみることにした。

千代ヶ丘及び西千代ヶ丘地区は、鉄道路線では近鉄奈良線学園前駅と富雄駅の間の南側に位置している。
クルマでは阪奈道路の学園前インターから阪奈三碓(みつがらす)インターまでの区間の南側に位置。
東に秋篠川、西に富雄川が南北に流れる西ノ京丘陵の南西部。
学園前駅などと同じく、かつては山林だったが開発によって住宅地を形成。
同じ奈良市とはいえ、私には馴染みのない地区。

地図を見ると、このエリアの東側に、同じく藤ノ木台住宅地があって、その名前となった「藤之木」と呼ばれる昔からの集落があることを知り、近辺を歩いてみた。
住所表示では、奈良市中町となっている。奈良市に合併前では生駒郡富雄村なのだろう。
この狭いエリアに大和国鹿島香取本宮、聖徳寺、大倭(おおやまと)神宮、浄福寺等の社寺仏閣があるが、一度も訪問したことはない。

自宅を出て、奈良西警察署の一筋南側の通り、「だいわ通り」を歩く。
学園大和町三丁目のバス停を過ぎて、りそな銀行学園大和町支店前の交差点手前で車道を北へ横断。
細い道を歩いて左折(西)すると路地のようなところに「つよしのコロッケ本舗」がある。

このお店、それなりに有名らしい。
一度テイクアウトして食べた限りでは、特にもう一度食べたいという気にはなれず。
ここを訪れたのは、まだ店をやっているのかどうか知りたかったから。
結果、お店は営業中。

りそな銀行前の交差点を南へ向かう。
奈良交通のバス停があり、意外にも「自由乗降」と表示されていた。
このあたりは住宅地で、東西南北に通り抜けられる大通りがなく、クルマの通行量が少ないとみられる。
なので「自由乗降」が可能なのだろう。
通常は山間部でよく見かける。

更に南へ歩くと、阪奈道路を跨ぐ陸橋が現れる。
画像は跨道橋から東方向の眺め。
霞んでいなければ、高円山(たかまどやま)が見える位置だが、撮影した画像ではわからない。
※この日の歩行距離約10km。歩数1万4千歩



千代ヶ丘一丁目のバス停が現れる。
バスの路線図を眺めていると、偶然にもバスがやって来て停車した。
運転手が「バスに乗りますか」と、尋ねられたので、慌てて手を横に振って否定の合図をした。

西千代ヶ丘一丁目第1号街区公園前を通過。
歩き疲れているわけでもないので休憩せずに道なりに南へ歩く。

台地状の“丘”が下降線を辿るところに「大和国 鹿島 香取 本宮」のたて看板を発見。
「鹿島」は鹿島灘や鹿島宮の鹿島だろう。
「香取」にしても、下総国香取神宮を指すのだろうから、いずれも東国の神。

坂道を下ると鳥居が現れ、ここまで歩いて来た住宅地の景色と一変する。



境内は手入れが行き届いており静寂という言葉がぴったり。
一葉の貼紙があったので読んでみると豊臣秀長の時代に東国から勧請。
その後、開発の為、西千代ヶ丘よりこの地に移転し、平成28年に鎮座50周年を迎えたとあった。

駐車場の方の入口から境内に入ったので、帰りは参道を逆に歩いてみると、鳥居の横に立派な屋敷が建っている。
おそらく宮司のお住まいだろう。



鹿島香取本宮に隣接する「登彌山 聖徳寺」。
融通念仏宗のお寺。
登彌山の“登彌”は富雄川や登美ヶ丘の“とみ”と同じ読み。

山門を潜って境内に入ろうとしたが、丁度、お寺の方が何かの用事でこちらの方にやって来られた。
どうも境内には入りにくい雰囲気だったので、挨拶だけして立ち去った。



お寺の前の旧道を歩くと昔の看板を発見。
現在、奈良市役所は近鉄新大宮駅の西側にある。
この表示は移転前の住所。ちなみに移転前は猿沢池の南側。

このお仏壇屋さんは、今も同じ場所にあるようだ。
ストリートビュー
おしまい。



4月16日(月)18:17 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理


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