神戸八社巡り33 |
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| 県庁2号館の裏側にやって来た。
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| 左の道を歩く。
後で気付いたが、2号館地下1階にある食堂に行く最短コースのようだ。 一般には、このような道を歩くことはない。
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| そして、裏庭があって、この日、食事を持参された人は、ここが昼食場所として利用出来た。
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| 大半の参加者は事前に案内のあった、県庁内の食堂で昼食を取ることになる。
ここがその食堂というかレストランの入口。 時間は正午少し過ぎ。
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| 中に入ると、客は少なく空いていた。
この日の集合時間は8時30分で、幾分早目の時間設定となっていたが、食堂が混雑するのを避ける為、少し早めの空いている時間帯を利用するという意図だった。
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2月17日(金)21:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り32 |
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| 四宮(よのみや)神社の社標。
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| 綺麗に塗装された鳥居。
大きなマンションに囲まれて窮屈そうに見えるが、左の建物、神社が分譲したマンションとか。4階~14階。
兵庫県神社庁HPによると、平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災で社務所が半壊したため、現社殿、本殿の改築、1階から3階の神社会館、4階から14階の分譲マンションを平成9年(1997)4月末日に新築した。
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| 四宮神社を後にして、南へ歩き、四宮神社の交差点を横断すると、巨大な兵庫県庁の建物が現れる。
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| 県庁の建物は幾つかあって、この1号館が本庁。
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| 本庁を右に、2号館を左に見て進み、2号館の建物を過ぎたところで左折。 公園のようなところに入る。
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2月17日(金)21:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り31 |
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| 道路の角に祀られていた石仏。 コンパクトに祀られている。 雨は防げるし、風通しも良さそうだ。
京都市内でよく見かける鍵を掛け厳重に祀られている石仏とはエライ違い。
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| 神戸山手大学3号館の建物横を歩いて南へ下ると、相楽園の立派な白壁が現れる。
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| 相楽園の敷地を左に見て歩き、車道を横断すると、左手に四宮神社参道の案内板。
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| 参道を真っ直ぐに進むと本殿が現れる。 「四宮弁財天」の提灯が見える。 ご祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)。
案内によると、この神は広島県安芸の宮島より招かれたとされ、織田信長の命で荒木村重が花隈城を築くと、鬼門鎮護の神として信仰された。芸能神として芸能人の崇敬も篤く、花隈芸者の守り神といわれた時代もあった。
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| 港神戸守護神の案内。
ここまで、七宮を皮切りに、八宮・六宮、五宮、そしてここ四宮にお参りした。 この後、兵庫県庁内で昼食を済ませ、一宮、二宮、三宮の順にお参りする。
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2月16日(木)20:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り30 |
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| やがて水の科学博物館の前に到着。 この施設、あまり見所はないとのこと。 時間の関係もあり、立ち寄らず通過。
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| 博物館前に置かれていた道標。
「従是神戸ち加道 / 右 熊野神社」と彫られている。 熊野神社は、平清盛が福原遷都にあたって王城鎮護のため紀州熊野権現を勧請したと伝えられており、兵庫区熊野町3丁目1に鎮座する。
兵庫区の道標
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| 再度筋町(ふたたびすじちょう)の交差点を通過。
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| 左手に神戸山手大学の建物が現れる。
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| 神戸山手大学の建物の横を流れる川が宇治川。
今朝、訪れたハーバーランド、「史蹟 明治天皇御用邸跡」の横、暗渠となっていた宇治川の上流ということになる。
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2月16日(木)20:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り29 |
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| 岩松大神と記された扁額。 御祭神は倉稲魂命。
社の中に花隈芸者の絵馬が残されているとのこと。 (未確認)
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| 擁壁の上に立つ自然石の社標と御神木。
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| 御神木はクスノキと見られる。
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| 五宮神社を後にする。
この道が昔からの参道だろう。 とても狭い。
旗を持つ左の男性、い-ウオークのスタッフだが、経常的なメンバーではなく一時的なようだ。 彼は今年、高校を卒業し、兵庫県内の大学に進学するとのこと。
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| 南へ下り、バス通に出て、これを左折。(東)
画像は北方向、有馬街道の東側の山並み。 この奥に、六甲全山縦走路にあたる鍋蓋山が位置している。
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2月16日(木)20:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り28 |
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| この日は社務所の方が居られたが、普段は無人とのこと。 画像はご朱印を受ける参拝者。
下記は神戸市交通局が作成した動画。
【交通局】五宮神社でのお話(歴史家:田辺眞人氏)
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| 境内の様子。 紀念燈と狛犬。
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| 常夜燈。
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| 常夜燈には「文化十四丁丑年五月」の記銘。
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| 境内に祀られている「岩松稲荷」。
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2月15日(水)20:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り27 |
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| 残念ながら、時間の都合で祥福禅寺には立ち寄らず、擁壁に沿って右方向に迂回。 狭い道を進む。
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| 前方に五宮神社を示す可愛い道標を見て左折。
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| すると、正面に五宮神社の石鳥居が現れた。
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| ご由緒
御祭神 天穂日命(あめのほひのみこと)
生田神社の裔神(えいしん/お供の神) 八社(一宮~八宮)の一社
ご御祭 神天穂日命は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、弟神 素戔嗚尊(すさのおのみこと)と剣玉を交換して誓約の時にお生まれになった五男神の一神で、天照大御神のご命令により出雲国に降り、国土発展と経営に努力された神。
この神社は、神功皇后三韓出征の帰途、巡拝された一社でもあり、厄除け・天下泰平・五穀豊穣のご神徳の高い神社としても知られている。
出雲国能美郡天穂日神社と関係があり、古来より、平野一帯の氏神としてまつられている。
例祭日 九月十二日
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| 境内は広々としており、背景の山並みが景観にマッチしている。 高台にあって眺めも良く、この日お参りした八社の中で、一番印象に残った。
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2月15日(水)20:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り26 |
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| 大倉山公園の北の入口に到着。 ここから一方通行となっている狭い道を北西方向に歩く。
正面、山の麓に薄っすらとお寺らしき堂宇が見えているが、次のチェックポイントとなっている祥福禅寺。
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| 信号のある比較的大きな車道を横断する。
車道の手前に、北方向、祥福寺。北西方向、祇園神社を示す道標。 ここは直進して北へ向かう。
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| 車道を横断したところに、「従是 祥福禅寺」と彫られた道標。
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| 「浄土宗 東福寺」と記された寺標を左に見送る。
住所は「神戸市兵庫区五宮町19」となっている。 これから向かうところが、この住所にもなっている「五宮神社」。
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| 祥福禅寺の山門下に到着。
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2月15日(水)20:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り25 |
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| 神戸市立中央図書館のエントランス。 動物をかたどった造形物が面白い。
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| ここから更に急な階段を登る。
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| 階段を登り詰めたところは、小倉山公園。 野球場もあって広々としている。
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| 園内を北西方向へ抜ける。
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| 「大倉山公園」と記された石柱。 撮影した画像は逆光になっている。
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2月14日(火)20:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り24 |
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| 鳥居のすぐ前に、地下鉄・西神山手線・大倉山駅への出入口。
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| 車道を横断して北方向へ向かう。
信号待ちのランナー。 奈良ではあまり見かけない光景。
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| 神戸文化服装学院の前を通過。
右折して、いきなり階段を登る。
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| 階段を登り詰めたところが、神戸市立中央図書館。
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| 後続の人達を待って列を詰める。 図書館ではトイレも利用出来る。
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2月14日(火)20:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り23 |
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| 八宮神社には、かつて同じ旧坂本村に鎮座されていた六宮神社が合祀されている。
六宮神社 祭神:天津彦根命・応神天皇。 八宮神社 祭神:熊野杼樟日命・素戔嗚尊
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| お参りされる参加者の皆さん。
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| 境内の様子。
先に訪れた七宮神社と同じで、付近には住宅や道路が建設されており、都会の中の神社というイメージ。
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| 神社の北側に建つ鳥居。
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| 「村社 八宮神社」と彫られた社標。
八宮神社を後にする。
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2月14日(火)20:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り22 |
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| この建物は神戸地方裁判所。 元々はレンガ造二階建の建物。保存・再生の一つの例ということだろう。 歴史ある部分を尊重しつつ、新築の部分と共存するように建築された。 率直なところ、私的には、かなり違和感がある。
近代建築Watch
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| 神戸地方裁判所の東裏側に、兵庫県弁護士会館がある。 ここでトイレを借用した。
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| 兵庫県弁護士会館に飾ってあった絵画。 中央の建物は旧兵庫県庁(現:兵庫県公館)と見られる。
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| 北西方向に歩くと、やがて八宮神社(はちのみやじんじゃ)に到着。
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| 本殿。
案内によると、もとは楠通りの旧警察庁舎のところに鎮座されていたが、その地に明治四十二年に旧神戸市役所を建設したため、現在の大倉山南東の地に移転された。
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2月13日(月)20:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り21 |
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| 西国街道の道標。 比較的新しい。
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| 「東横INN 神戸駅北口」の前を通過し、直進すると、再び、今朝の出発地点、JR神戸駅前に到着。
正面のやたらよく目立つ青色のビルは川崎重工業本社ビルで、神戸クリスタルタワーと呼ばれている。 このビルの中には、兵庫県庁(神戸ハーバーランド庁舎)も入っている。
神戸クリスタルタワー - Wikipedia
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| チサンホテルを左に見て歩く。 正面に見える鎮守の森が湊川神社。
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| 湊川神社の正面を通過。 この日、湊川神社には参拝せず。 神社の創建は明治5年(1872)と新しい。
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| 湊川神社を左に見て、北西に歩くと、右にビックリするような建物が現れる。
赤レンガ造りの古い洋館の上に、ガラス張りの建物を建て増ししたようだ。
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2月13日(月)20:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り20 |
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| 近くのスーパーの店先。
この日は2月3日で節分の日。 なので、恵方巻を売っていた。
中に入っている具にもよるが、高めの価格設定になっている。
恵方巻の販売粗利は大きい。 売れ残った寿司は廃棄処分か売価ダウンして販売する。 廃棄費用や価格対策費も、当然、この販売価格に上乗せして売っている。
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| まだ時間が早かったが、店は想いの外、賑わっていた。
私が子供の頃には、恵方巻を食べた記憶がない。 私は積極的に恵方巻を食べない。 食事のメニューに出たら食べる。
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| 山陽本線の高架下を潜る。
何の店かわからなかったが、今、調べたら、カレーなどインド料理のレストラン。
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| 新開地南公園の前を通過。
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| これは、新開地のシンボル。 「ビッグマン」と呼ばれている。 帽子をかぶった男(空間の部分)をモチーフにしたシンボルゲート。
※新開地は明治38年(1905)に旧湊川の付け替えにより生まれ、平成17年(2005)に100年を迎えた。
新開地 - Wikipedia
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2月13日(月)20:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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神戸八社巡り19 |
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| 「西国街道 兵庫 湊口惣門跡」
西国往還に設けた兵庫の出入口の惣門である。東より来る西国往還は相生橋より相生町を経て、市電気局前に来り、進んで此の惣門を入り、兵庫津の湊・江川・木戸・木場・小物屋・北仲の諸町、今の所謂兵庫本町を進み、南仲町今の神戸商業銀行の前を右折し、小廣・神明・逆瀬川・東柳原・西柳原の町々を過ぎ、柳原口にあった柳原惣門を出て、斜めに今の長田交叉点に出て、西代を経て須磨に向かった。 兵庫の惣門は天正年間、池田信輝が織田信長の命によって、花隈城を攻略し、その功によりて兵庫を治し、城を築く。 其時、湊口・江川口・永澤口・三川口・関屋口・皆関門番所を設け、市中にも宮内・匠・松屋・魚棚・島上の諸町に、中濱門として番所を設けたが、徳川時代に入り、青山氏が此の地を領した時悉く之を破却し、只湊口・柳原区との両門を残した。 古図によれば惣門内には何れも番所があった。更に此番所の傍に高札があったが、幕末の地図によれば門外左側に高札場が移転している。これは門の修築に当たり番所を廃し、高札場を門外に移したものと思科する。
昭和四年十二月 岡九殻三郎 福原潜三郎 著 「神戸古今の姿」抜萃 昭和六十一年十月吉日
神戸市 岡方協議会
説明文によると、湊口惣門は“兵庫津”の東の玄関口にあたる。 一方、西の玄関口は、柳原惣門。
明治34年(1901)若林秀岳作の絵図
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| 湊八幡神社付近の地図。 オレンジ色で記された道が西国街道。 この後、我々は西国街道を歩いて相生町から神戸駅方面へ向かう。
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| 「湊口惣門跡碑」を過ぎると、JR山陽本線の高架が現れる。 東海道本線は神戸駅から西は山陽本線となる。
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| 貨物列車。 奈良県内ではJR貨物列車をまったく見ない。 この貨物車両、かなり長く繋いでいた。
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| この先、横断歩道を渡って山陽本線の高架下を潜る。 このような新しい建造物によって、西国街道は所々遮断され、歩きにくくなっている。
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2月12日(日)20:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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