山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2017年2月を表示

神戸八社巡り18

境内に集められた破損した古い燈篭など。


真新しい石鳥居は川崎重工業が奉納。


七宮神社を後にし、北西方向に歩く。

左に、みなと八幡神社の社標が立っている。



八幡宮と記された扁額。
この日は時間の都合で、湊八幡神社は拝観せず。



新しい道標。
「西國街道 兵庫 湊口惣門跡」と彫られている。



2月12日(日)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り17

こちらは吽形(うんぎょう)。


奉納されていた白鶴の酒樽。


社殿の前に錨。これも奉納されているのだろうか。
いずれにせよ、錨は港神戸の象徴。
六甲山系の「錨山」(いかりやま)には、イカリの電飾がある。



港神戸守護神、厄除八社の案内。


扁額には「七宮神社 大己貴大神」と記されている。


2月12日(日)20:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り16

七宮神社(しちのみやじんじゃ)由緒記

由緒沿革(抜粋)

・創建は不明。千年以上の歴史を有する。

・「七宮」の名の由来について以下の三つの説がある。
 1.「神功皇后の三韓征伐説」。二○一年、三韓征伐凱旋帰国途中に七番目に巡拝したことによる。
 2.「七つの神を祀る説」。「白藤家記録」を根拠に延喜式に載する「八部汝売神」が七宮の前身、主祭神「大己貴命」は「大国主命」「大物主命」「葦原醜男」「八千矛神」「大国玉神」「顧国玉神」の七つの御名を称すことによる。
 3.「七宮神社築城伝説」。平清盛の大輪田泊・経ヶ島造営工事に伴うエピソード。応保元年(1161)。暴風雨で工事が進まない事から原因を調べたところ、塩槌山に祭られていた神「大己貴命」の存在を知らずに土砂を採石していたため、この神が怒っていると考え、清盛自筆の「南無七大明神」の神号を奉り、現在の七宮町に祀られたのが七宮神社。この効果があってか無事経ヶ島が完成し、以降は兵庫津北浜の土産神として崇拝されることとなった。

・沿革 高田屋嘉兵衛の奉納。寛政11年(1799)。淡路島出身の高田屋嘉兵衛が西出町に居を構え、辰悦丸を含む持ち船三隻の模型を奉納し、航海安全を祈願、以降海上業者は嘉兵衛に倣って、七宮神社を参拝するようになった。しかし戦災により奉納された船はことごとく焼失。



真新しい石鳥居を潜ってお参りする。
前方に見える高架道路は阪神高速3号神戸線。



神社の建物というイメージではないが。


こちらが本殿らしい本殿。

私は本殿に近づかず、少し離れたところから参拝しておいた。
これだとお賽銭が不要―笑。



狛犬。阿形(あぎょう)。


2月11日(土)20:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り15

「高田屋嘉兵衛と西出町」

高田屋嘉兵衛と西出町のつながりは深く、寛政二年(1790)、淡路島から来住した嘉兵衛は、当地で船乗りとしての頭角をあらわし、嘉兵衛が引退する文政五年(1822)まで、高田屋の本店は西出町に置かれていました。
 嘉兵衛は、津名郡都志本村に生まれ、二十二歳のときに西出町の廻船問屋・堺屋嘉兵衛のもとに身をよせ、もちまえの勇気と努力によって、わずか四年後には、千五百石の辰悦丸を建造し船持ち船頭になりました。やがて廻船問屋として独立し、蝦夷地(北海道)の開発、日露間の紛争の解決などに活躍し、兵庫津の繁栄につくしました。
 嘉兵衛が本店の地に定めた西出町は、ふるくは「佐比江の入り江」が深く入り込んだ浜辺でしたが、江戸時代の前期に、兵庫津の出町として町場が形成され、北前船などの廻船がさかんに兵庫津へ寄港するようになると、「佐比江の入り江」は船入り江(北舩入)として整備され、西出町は東出町とともに問屋・船大工などの町として活況を呈すようになりました。
 この碑のすぐ西側には、明治中期まで船入り江がありました。かつて船入り江をのぞんで高田屋の本店・倉庫などが建ち並んでいたと、古老の話が残されています。

     2012年3月 西出東出まちづくり協議会



やがて七宮神社南交差点に到着。


歩道橋を渡る。


歩道橋から南、和田岬方向の眺め。


歩道橋を降りると、そこが「七宮神社」の門前。


2月11日(土)20:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り14

清風荘の入口。
昭和30年代にタイムスリップしたような気分。
下駄箱は共用。当然、お風呂も銭湯。



再び「菜の花ロード」に出合いこれを歩く。
が、菜の花は何処にも見えず。



「横溝正史…」から一旦「菜の花ロード」を離れ、「松尾稲荷…」へ立ち寄り、再び「菜の花ロード」を歩く。

「高田屋嘉兵衛・本店の地記念碑」まで100m。



道幅が広く歩きやすい歩道。
ということは、近年、建設された道路。



「高田屋嘉兵衛 本店の地」記念碑が現れる。


2月11日(土)20:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り13

松尾稲荷神社から南方向へ歩く。
このあたり、古い町並みが残っている。



神戸東出郵便局に到着。

版画家、川西英氏が初代局長を務めていた郵便局。
川西英氏の名前は初めて知った。



郵便局の中に入る。


現在は息子さんが後を継いでおられる。
突然の訪問にも関わらず、局長の息子さんが顔を出され挨拶された。

木版画版 神戸百景 川西英



神戸東出郵便局を後にする。

懐かしい雰囲気のアパートが現れた。



2月10日(金)20:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り12

稲荷市場の店、「ホルモン焼 中畑商店」。


ホルモン、安くてうまい。
1本50円と書かれている。



どの商品が50円なのか、わからないが…。
画像は100g当たりの価格を表示しているようだ。



稲荷市場を後にする。
今回、松尾稲荷神社の訪問はパス。



この神社には、日本最古のビリケンさんが祀られているという。

ビリケン様(松福大神)の由来 によると、ビリケン(BILLIKEN)は、1907年(明治40年)にアメリカの女流彫刻家が神の姿を夢想して制作し、翌年シカゴの美術博覧会に出展したものです。これが人々の好奇心をそそり、練り大理石製の坐像やセルロイド製の人形が幸運のマスコット、ラッキーゴッドとして世界中に流行したもので日本には明治の終わりの頃に渡ってきました。ビリケンの由来は、当時のアメリカ大統領ウィリアム・タフトの愛称ビルにちなんだものといわれていますが、近年ビリケンのモデルはアラスカのイヌイット族の間で500年以上前からセイウチの牙で作られているべリケン(BELLIKEN)という人形ではないかといわれています。



2月10日(金)20:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り11

稲荷市場、お好み焼の店「ひかり」。
イチロー選手が訪れたことがある。



こちらは駄菓子屋、六條商店。


22円、33円と変則的な価格設定となっている。


イチロー選手が、お向かいの、お好み焼の店「ひかり」を訪れた時に撮影された写真。


六條商店の中に入る参加者の皆さん。
右の鳥打帽の男性が店主。



2月10日(金)20:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り10

湊川の付け替え工事により埋め立てられ、現在は道路になっている道を、神戸電鉄新開地駅方向(北西)へ歩くと、左手に東出町公園が現れる。


東出町公園を過ぎて左折すると鳥居が見える。
次のチェックポイントである松尾稲荷神社。



残念ながら松尾稲荷神社の訪問は時間の都合でカット。

案内されたところがこの場所。
ここには、かつて店舗兼住居があって、1階で薬局を営業されていた。
そして、この住居の2階には、ダイエーの創業者、中内功氏の家族が住んでいた。



「サカエ薬局 跡地 (ダイエー発祥の地)」の記念碑が立っていた。
ここにあった店舗兼住居は、流通科学大学構内に保存されている。

ダイエー発祥の地

サカエ薬局(流通科学大学構内)



稲荷市場と呼ばれる小さな市場の入口。
お店の店主と親しくお話しされる、い-ウォーク代表のI氏。
(人の群れでI氏の姿は画像に写っていない)

「ヤマザキパン」の看板が掛かっている店は、駄菓子屋、六條商店。
この後、店内にお邪魔した。



2月9日(木)20:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り9

「菜の花ロード」の石柱が立っているが、菜の花らしき草花は見なかった。


記念碑が現れる。


「横溝正史 生誕の地碑について」。

横溝正史は明治35年に、ここ神戸市東川崎町に生まれた。大正10年処女作「恐ろしき四月馬鹿」を発表して 以来、多くの傑作を著し、神戸が生んだロマン的傾向をもつ本格探偵小説の基礎を築いた。昭和56年没。
代表作
 本陣殺人事件 蝶々殺人事件 獄門島 犬神家の一族 悪魔が来りて笛を吹く 八つ墓村 悪魔の手毬唄



東川崎町3丁目交差点から東を向くと、川崎重工業・神戸工場の正門。


同じく西を向く。ここはかつて湊川が流れており、湊川の付け替え工事により埋め立てられ、道路になっている。
この道路の先には神戸電鉄新開地駅がある。



2月9日(木)20:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り8

「はねっこ」は、はね橋の愛称。
入江の係留ドック入口に設けられている。



この入江が「水陸両用船 スプラッシュ神戸」の上陸、入水地点となっている。
※現在、この船の運航は不明。

水陸両用船 スプラッシュ神戸 上陸



海の水は、とても綺麗だが、この辺りに魚はまったく、いないとのこと。
理由は食べ物となる餌がないから、だそうだ。



ハーバーランド公園を横切る。


神戸市立湊小学校の建物を左右に見ながら南へ歩く。


2月9日(木)20:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り7

南国的な椰子の木が植えられたエリア。

正面の建物にはJRのマークが見えたが駅ではなかった。



立派な記念碑。

「八時間労働発祥之地」と彫られている。



大正八年(1919年) 当時の川崎造船所の松方幸次郎社長が我が国で最初に八時間労働制を実施したことを記念し てここに碑を建立した。
 平成五年(1993年)十一月
  (社)兵庫労働基準連合会
  製作者 井上武吉



ふと、対岸を眺めると、作業員の姿が見えたが、この人達、24時間働いているそうな!?

実は人形だったが、八時間労働発祥の地に引っ掛けて、遊び心でこのような仕掛けを作ったのだろう。



更に西へ歩くと、はね橋が現れる。


2月8日(水)19:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り6

「神戸アンパンマンこどもミュージアム&モール」を右(北)に見て西方向へ歩く。

チビッコは楽しめそう。



正面に煉瓦造りの「神戸煉瓦倉庫ショップ」が現れる。


少し立ち寄る。


この建物ではトイレが利用出来たが、この時は誰も利用する人はおらず。

廊下から店の中をパチリ。
営業時間外なのでお店は閉まっていた。



「煉瓦倉庫ショップ」を後にする。


2月8日(水)19:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り5

「びっくりドンキー・神戸ハーバーランド店」。

相変わらず、“びっくり”するような派手な店造り。



神戸オリエンタルホテル。


比較的早い時間だったが大観覧車は既に動いていた。


旧神戸港信号所。

旧神戸港信号所 - Wikipedia
神戸港に現存する最古の信号所建造物。高さは46.3m。内部には2階にのぼるための手動のエレベーターがある。当初は信号旗を使用。その後発光信号に変更され、1990年(平成2年)に新港第5突堤で信号所としての役割を終えた。現在はハーバーランドのシンボルタワーとして高浜岸壁南端に移築され、保存処置が講じられている。 夜間はライトアップされる。



三菱倉庫 高浜倉庫跡地の石碑。


2月8日(水)19:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

神戸八社巡り4

「真珠の橋」を渡って、商業施設「mosic」へ入って行く。


時間がまだ早く、また平日ということもあって客をほとんど見ない。


一般客は、まず歩かないであろう、非常階段のようなところを抜けて2Fへ。


お馴染みの風景。
神戸ポートタワーは、阪神淡路大震災の時、ほぼ無傷だった。



海面に反射した朝日が眩しい。


2月7日(火)20:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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