山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2024年4月を表示

金剛山(寺谷源流_馬の背西道)9

最後の登り。


黄色のテープ(立入禁止)が張られている。


遊歩道に出合う。
画像はロープウェイ方向。(南)
単独行の男性の後姿を見た。



寺谷の源流に架かる小さな橋。


橋を渡って山頂広場方面へ向かう。

つづく。



4月22日(月)06:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

金剛山(寺谷源流_馬の背西道)8

再び歩いて来たところを振り返って撮影。


この辺りになると谷筋を遡上しているようには見えない。


なるべく霜柱を避けて歩く。


この先、金剛山遊歩道に出合う。
目印の赤テープ。(赤丸印)



スギの巨樹が見られる。

つづく。



4月22日(月)06:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

金剛山(寺谷源流_馬の背西道)7

白い粉をまぶせたように見える霜柱。


ルートを示す古いテープ。(赤丸印)


こうして眺めると、谷筋を避けて植林されている。
(ルートになっている)



振り返って撮影。


霜柱がどっさり―笑。

つづく。



4月22日(月)06:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

金剛山(寺谷源流_馬の背西道)6

五輪塔の“空輪”だろうか。
五輪塔



少し動かしてみた。
すると梵字らしきが刻まれているが、“空輪”の梵字ではなさそう。



寺谷の源流を遡上。
伏流水となっている。



V字の谷の傾斜がきつくなる。


薄い霜柱が見られた。

つづく。



4月22日(月)06:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

オリヴィエ・メシアン 世の終わりのための四重奏曲 ソル・ガベッタ&ザビーネ・

オリヴィエ・メシアン 世の終わりのための四重奏曲 ソル・ガベッタ&ザビーネ・マイヤー他を視聴してみよう。
オリヴィエ・メシアン
世の終わりのための四重奏曲
Sol Gabetta
ザビーネ・マイヤー

Messiaen: Quatuor pour la fin du temps / Weithaas, Gabetta, Meyer, Chamayou
【Google翻訳】
オリヴィエ・メシアン(1908-1992: 世の終わりのための四重奏曲)(1941)
I. クリスタル典礼
II. ヴォカリーズ 時の終わりを告げる天使へ
Ⅲ. 鳥の深淵
IV. 間奏曲
V. イエスの永遠への賛美
VI. 怒りのダンス 7つのトランペットのための
VII. 虹の入り乱れ 時の終わりを告げる天使へ
Ⅷ. イエスの不滅への賛美
..........
アンチェ・ヴァイタース(ヴァイオリン)
ソル・ガベッタ(チェロ)
ザビーネ・マイヤー(クラリネット)
ベルトラン・チャマユー(ピアノ)
ソルスベルグ・フェスティバル(2016)で撮影。


【参考:ソル・ガベッタ】
モーツァルト 弦楽三重奏のためのディヴェルティメント K. 563 ヴェロニカ・エーベルレ ソル・ガベッタ他
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc64A761C6D1C3/1/
シューマン ピアノ四重奏曲 作品47 (ソル・ガベッタ他)
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc63UR604B21F7/1/

【参考:ザビーネ・マイヤー】
シューベルト 八重奏曲 ザビーネ・マイヤー他
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc65Qr62C60319/1/
ソルスベルク・コンサート June 26, 2020 ザビーネ・マイヤー他
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc64WP61E27F30/1/
ザビーネ・マイヤー モーツァルト クラリネット協奏曲
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc63ZN60BB457E/1/
モーツァルト クラリネット五重奏曲 (ザビーネ・マイヤー)
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc606l5ED3774E/1/



4月21日(日)20:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

金剛山(寺谷源流_馬の背西道)5

腐っているので梯子は使わない。
左の踏み跡を辿る。



この辺り歩きやすい。


石ころがゴロゴロしており、足元に注意して遡上。


この先、テーブルが置かれている。


いつの間にか、シートが被せられていた。
テーブルの上に置いてあったのは100円ライター。忘れ物らしい。
ここは寺谷の一般ルートと源流ルートの分岐になっている。

つづく。



4月21日(日)07:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

金剛山(寺谷源流_馬の背西道)4

再び歩きはじめる。
寺谷の右岸を歩く。



せせらぎを聞きながら、連続する木製の階段を登る。


谷に降りて遡上。


ここにも休憩コーナーが設けられている。


又しても休憩コーナーがある。
但し、丸太を置いただけ。

つづく。



4月21日(日)07:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

金剛山(寺谷源流_馬の背西道)3

崩落場所にはフイックスロープが設けられている。


やがて右下から沢の流れる音が聞こえ、谷が見えてくる。


登山道脇の水場。


巨樹の横を通り抜ける。


休憩コーナーは随所に設けられている。
服装調整、水分補給など。
ここで立ち休憩する。

つづく。



4月21日(日)07:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

金剛山(寺谷源流_馬の背西道)2

ササの葉を伝って岩清水を飲むことが出来る。
コップも置かれている。



ここから寺谷に取り付く。


分岐に到着。
直進すると文殊東尾根。
文殊東尾根は緑と赤色のテープが目印。(赤丸印)



分岐を右折して寺谷を歩く。(画像)
最初から谷筋を歩くのではなく、取り付きから途中まで尾根筋歩き。



この先、崩落場所。
修復されているので、危険なく歩ける。

つづく。



4月21日(日)07:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

金剛山(寺谷源流_馬の背西道)1

2024年3月4日(月)は、週一恒例Na氏と金剛山へ登った。
百ヶ辻駐車場を利用。
登りは寺谷源流、下山は馬の背西道を下った。

画像はこの日歩いたGPSログを表示。
周回ルートの左側が寺谷源流、右側が馬の背西道。



トイレを済ませ、旧R309(=R705)に出て左折。(西)
左の建物は駐車場の管理小屋。
コースはこの先右折。(北)



橋には「もまつじばし」と記されている。
漢字表記の“百ヶ辻”は、“もまがつじ”ではなく、“もまつじ”と読むようだ。



いつも通り伏見峠登山道を歩く。


寺谷登山道直下の水場。

つづく。



4月21日(日)07:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡30/30

狛犬。
口を開いている「阿形」。



口を閉じている「吽形」。
時代はさほど古くなさそうだが、精巧に造られ、台座もしっかりと彫られていると思った。



ブラブラと歩いて帯解駅に向かう。


桜井線に出合い、線路に沿って左折。(南)


15時8分、ゴールのJR桜井線帯解駅に到着した。
【参考】
歩行時間: 5時間28分(9:40→15:08)
歩行距離: 14.8km

おしまい。



4月20日(土)06:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡29

県道187号福住上三橋線の「上の池」付近で後続の人達を振り返って撮影。


八坂神社に立ち寄る。
どちらかと云えば、後続の人達を待つ時間調整的な休憩。
この辺りには同名の八坂神社が複数ある。
訪れたのは奈良市窪之庄町の八坂神社。



常夜燈には“八阪”と刻まれていた。


こちらは“八坂”。
造られた時代によって漢字が違っている。



社殿。
光がほとんど入らなく薄暗い境内。
ネット検索すると、この神社は窪之庄城という中世・戦国の城跡に造られたそうだ。
【参考】
窪之庄城(奈良県)

つづく。



4月20日(土)06:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡28

森本寺山遺跡を後にし、来た道を分岐まで戻り、引き続き北へ向かって歩く。


色あせてほとんど読めないが、「←奈良 To NARA」へ。


分岐で左折。
この道標には「←サムライ街道」と記されているが初めて見た。



更に「←帯解寺・帯解駅 1.3km」を指す道標を見て北西方向へ歩く。

つづく。



4月20日(土)06:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡27

お迎え地蔵さんの前を通って、足場の悪い踏み跡を南へ向かう。
すると、樹木の中に六地蔵が祀られていた。
お迎え地蔵さんからは、少し離れておりわかりにくい場所。
この六地蔵、大きくて立派。



損傷もほとんどなく、地衣類も付着していないようだ。
風通しが良くお日様が適度に当たる方が風化しないのかも。



六地蔵のすぐ傍をこのような小川が流れていた。


裏側に回って六地蔵を撮影。
壊れた瓦などから、かつてはここに建物があったとみられる。



阿弥陀仏だろうか。脇侍のお姿も。
光がお顔に当たっていないのが残念。
手前に見える長方形の石の上に棺桶を安置したのだろう。

つづく。



4月20日(土)06:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡26

社殿を正面から撮影。
境内にこの神社の御由緒や沿革についての掲示板がなかった。
【参考】
和爾坐赤阪比古神社 神奈備

上記サイトによると、
「鎮座地は古墳の上だそうだ。和爾下神社の場合には明らかにわかるのだが、ここの場合にはただの丘のごとく開発されているので、気が付かない。神域は小さい。」



和爾坐赤阪比古神社を後にする。
ここにも先程見た同じパターンの道標があった。
「←和珥坂下傳稱地道」。
コースは残念ながら、この辻を左折ではなく右折。(東)



「←奈良」を指す方向(北)へ。


暫く歩いて辻を左折。(西)
すると「六地蔵」の案内板が立っていた。

六地蔵
この地域は、森本寺山遺跡の中にあり、昔は森本町・蔵之庄町・中之庄町・楢町・石川町(大和郡山市)の共同火葬場のお迎え地蔵さんであったという。
のどかな田園地帯の野辺にやさしく微笑む姿は、大和路の写真集でも紹介されています。
この少し奥にある六躰の地蔵は、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の迷界から人々を救うために六つのお地蔵さんを立てるのだといわれています。
  天理市



「天保」の銘が刻まれているお地蔵さん。
それにしても、なんか“メルヘン”というイメージ。
或いは“今風にドレスアップ”。
この演出をされたのは一体、誰??

つづく。



4月20日(土)06:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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