山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2024年4月を表示

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡12

案内板に記されている“天理砂岩”だろう。(赤矢印)


坂道を暫く登ると「石上大塚古墳」の案内板が立っていた。
この日は立ち寄ることなくスルーすることに。



この道標には「平尾山(左)」と記されている。
天理市石上町(いそのかみちょう)の東にある山が平尾山と呼ばれている。
尚、この後、平尾山にある「平尾姫丸稲荷神社」に立ち寄った。



歩く方向が北から西方向に変わる。
竹が蔓延ったやや薄暗い山中を歩く。



水道施設(石上低区配水池)の横を通り抜ける。

つづく。



4月17日(水)06:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡11

山の斜面に小屋が建っている。
人が出入りしている様子がないので閉めているのかもしれない。



暫く歩くと画像のような石柱が埋められていた。
「越ノ国用地」と刻まれているようだ。
越ノ国とは、古代における呼称で、現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域。
すぐには、合点がいかなかったが、この土地は天理教の越乃國大教会信者詰所の所有地ということだろう。



コースはこの先、左方向の登り道となる。
正面は牛小屋の跡地?で行止り。



道標と電信柱にもハイキングコースの表示板がある。(赤四角)
そして、道標の横に案内板が立っていた。(赤矢印)



狂心渠(たぶれこころのみぞ)・つながりしは石上山から飛鳥の宮へ

斉明天皇は、飛鳥の地で宮地を転々と移された。
天皇は工事を好まれ、香久山の西から石上山(現天理市豊田山)まで水工に溝を掘らせ、運河を通した。
そして、舟二百隻に石上山の石(現天理砂岩)を積み、流れに従って下り、両槻宮の東の山に石を積み重ねて垣とした。
時の人々は謗って、「たぶれ心の溝工事。無駄な人夫を三万人余り。垣造りの無駄は七万人余り。宮材は腐り、山頂は潰れた」と言い、また、「石の山岡を造っても、造った端からこわれるだろう」と謗ったという。
(思うに、あるいはまだなかなかでき上らない時、この謗りをしたのだろうか。) 天理市・天理市観光協会

つづく。



4月17日(水)06:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

シューベルト ピアノソナタ第21番 D.960 リヒテル

シューベルト ピアノソナタ第21番 D.960 リヒテルを視聴してみよう。
ピアノソナタ第21番 (シューベルト)
スヴャトスラフ・リヒテル

Schubert - Piano sonata D.960 - Richter studio
【Google翻訳】
I. モルト・モデラート 0:00
II. アンダンテ・ソステヌート 24:35
Ⅲ. スケルツォ。 繊細なアレグロ・ヴィヴァーチェ 34:41
IV. アレグロ、マ・ノン・トロッポ 38:35
...........
スヴャトスラフ・リヒテル (ピアノ)
スタジオ録音:ザルツブルク 1972年


【参考:シューベルト ピアノソナタ第21番】
シューベルト ピアノソナタ第21番 アルフレート・ブレンデル
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc64dY618CC8C3/1/

【参考:リヒテル】
モーツァルト ピアノソナタ第16番 (ダニエル・バレンボイム スヴャトスラフ・リヒテル マリア・ジョアン・ピレシュ)
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc63Nv603B46D2/1/



4月16日(火)19:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡10

県道51号線に出て右折。(北)

暫く歩くと、左分岐が現れる。
分岐には「山の辺の道」の道標が立つ。
コースは左の旧道へ入る。



「白河溜池 2.5km 奈良」方面へ向かうが、白河溜池には行かない。


やがて正面に溜池が現れる。
これを道なりに右側から通り過ぎる。



鳥など獣害対策として、アルミ缶をぶら下げている。
果たして効果があるのだろうか。
最初は警戒するようだが、慣れてくると効果なしと聞いたことがある。
鳥も“学習”するようだ。



「←奈良 白河溜池 2.2km」の道標をチェツクしながら歩く。

つづく。



4月16日(火)06:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡9

案内板とその左に道標が立つ。


豊田山城跡
豊田山城は、豊田氏により築かれた中世山城です。
豊田氏は興福寺大乗院方の衆徒で、本拠地である豊田のほかにも、匂田・田村・三島・田井庄などを領地としていた大和武士でした。
豊田頼英の頃、永享元(1429)年には井戸氏との争いを発端とした大和永享の乱が起り、当時は越智党に属していました。
享徳4(1455)年には、古市氏・小泉・高山・秋篠の各氏とともに官符衆徒に任じられ、筒井氏に代わり寺門奈良中の検断権(警察権)を得たことにより筒井・古市氏に次ぐ勢力となりました。
豊田山城は、東西290m、南北380mの規模を示し、五つの郭で構成されます。
北側に主郭と副郭を配し、周囲には横堀が縦横に巡らされ随所に谷筋方向に竪堀が設けられています。 【一部割愛】
  平成24(2012)年3月 天理市教育委員会



道標によると、豊田山城址までの距離、0.5kmとなっている。
コースは豊田山城址に立ち寄らず、「弘仁寺 奈良」方面へ向かう。



山間から抜け出し平坦地に出る。
道なりに西方向へ進む。



付近は耕作を放棄しているようだ。
しかし、草は刈り取っている様子。

つづく。



4月16日(火)06:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡8

進行方向の左に池が現れる。
池の縁に沿って北へ歩く。



「弘仁寺 4.3km 奈良」を示す道標。


石上神宮からここまでの距離 1.6kmとなっていた。


山裾の方に向かう。
下草は刈り取られていた。



ここから少し下り道。

つづく。



4月16日(火)06:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡7

天理教の信者詰所駐車場を利用させて貰って休憩。
この日は天気に恵まれて最高のハイキング日和。



小休止後、再び歩きはじめる。


「←奈良 弘仁寺5.1km」方面へ向かう。


分岐。
東海自然歩道、山の辺の道 北コース共々、迂回路は左折だが、ここは豊田城跡方面へ直進。



私はこの分岐を直進したことは、逆方向からもないと思っていた。
ところが、歩いていると次第に記憶が蘇ってきた。
しかし、過去に一度くらいしか歩いていないと思う。

つづく。



4月16日(火)05:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡6

これらの梅の木はよく手入れされ、見事に咲いていた。


「豊日神社御由緒」
「豊日神社」と記された社号標の後方左右の石燈籠に、「天満宮」と刻まれている。
境内に並んでいる石灯籠にも「天満宮」が多く、「豊日神社」と刻まれているのは一基だけである。
祭神が菅原道真公であること、道真公と所縁の深い牛の像が拝所の上の石段左右に据えられていること、鎮座地が天神口であることなどから、当社はかつて天満宮であったことが分かる。
『三代実録』の貞観五年(863)十月六日日乙丑条に、「大和国正六位上豊日神授従五位下(とよひのかみにじゅごいのげをさずく)」とある記事から、『大和志』(享保十九年<1734>成立)が「豊井村今称天神(いまてんじんとしょうす)」を、「豊日神祠(とよひしんし)」に宛て、これを根拠に明治になり豊日神社と改号された。
『奈良県山辺郡誌(大正三年刊)には当社の由緒を次の如く記している。

古老ノ伝ニ云ク、又天神ト称シ、或ハ火雷天神ト称シ、社ヲ天満宮トモ云フ、而シテ社地ノ夕日朝日共ニ良キ処ナルヲ以テ、神社ヲ豊日ト申シ、天神ヲ祭ルガ故ニ地名ヲ天満口ト云フ、其村ヲ豊日村ト唱ヘシモ何時ノ頃ヨリカ豊日ヲ豊井ト誤リシナラント

豊日の称のおこりは牽強附会(けんきょうふかい)で、豊日が豊井に誤ったとするのも強弁に過ぎない。
天神は元来カミナリ(神鳴)で、稲の妻(イナズマ)として稲作に豊穣をもたらす神であった。
ところが、平安中期以降になると、道真公の神号となった。
後世になると元来の天神を祀る天神社も道真公を祭神となし、社号も天満宮と称したところが各地にみられる。
当社もその例とみなしてよく、創祀の時期は不明なるも、道真公の時代以前であったことは、間違いないであろう。
  平成二十一年五月   豊日神社氏子一同



石鳥居、常夜燈と社号標。


神社の左下は溜池。(天神池)
更にこちらからも参道がある。



引き続き、山の辺の道 北コースを歩く。

つづく。



4月16日(火)05:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

バッハ(無伴奏ヴァイオリンのための)パルティータ第2番 BWV1004 佐藤

バッハ(無伴奏ヴァイオリンのための)パルティータ第2番 BWV1004 佐藤俊介 2019を視聴してみよう。
パルティータ第2番ニ短調 BWV1004
佐藤俊介 (ヴァイオリニスト)

Bach - Violin Partita no. 2 in D minor BWV 1004 - Sato | Netherlands Bach Society
【Google翻訳】
0:00アレマンド
5:10クーラント
7:47サラバンド
11:36ジーグ
15:51シャコンヌ
........
2019年6月24日、ハールレムのリヒトファブリークで「バッハのすべて」プロジェクトのために録音。


【参考:バッハ パルティータ第2番 BWV1004】
バッハ (無伴奏ヴァイオリンのための)パルティータ第2番 BWV1004 佐藤俊介 2015
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc64ap62189B6A/1/
バッハ (無伴奏ヴァイオリンのための)パルティータ第2番 BWV1004 シャコンヌ (リザ・フェルシュトマン)
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc64ik60E41336/1/
バッハ (無伴奏ヴァイオリンのための)パルティータ第2番 BWV1004 (ヴェロニカ・エーベルレ)
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc63fB6096396A/1/

【参考:佐藤俊介】
バッハ ブランデンブルク協奏曲第4番 佐藤俊介&オランダバッハ協会
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc66Kd6561C797/1/
バッハ ヴァイオリン協奏曲第1番(BWV 1052R) 佐藤俊介 2018
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc662e6550B288/1/



4月15日(月)21:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡5

「ハタの滝」
この場所には、布留川本流(向かって左側)と支流(向かって右側)の二つの滝があります。
江戸時代に描かれた石上神宮の絵図には、この場所に「祓殿」(はらへど)があったと書かれており、かつて六月三十日の夏越大祓式の際には、この場所に神剣が渡御していたとのことです。
「ハタの滝」は、布留川の上流にある「布留の滝」(現在の桃尾の滝)と共に神社にとって、とても神聖な場所でした。
本流の滝には大きな滝壷があって、夏になると近くの子供たちが水浴びをしました。
下流には布留遺跡があり、布留川は、旧石器時代の昔から、流域の人々の命を育み生活を支え続けてきた川ということができます。
この現在の「布留の高橋」は、近年に架けられたものです。【一部割愛】
  平成26年3月 天理市



布留川に架かる「布留の高橋」を渡る。


「山の辺の道 北コース」の道標をチェック。
この辻を左折して、すぐ右折。



右折した辻には、ソーラーパネルが設置されていた。


梅の花が三分咲き程度かな。

つづく。



4月15日(月)06:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡4

北側の斜面に梅林が見られた。
ほぼ満開。
下草が綺麗に刈り取られている。
コースは布留川に向かって下る。



お日様が当たらないので、ジメジメしていて足元が滑りやすい。


布留川に架かる「布留の高橋」を渡る。


万葉集 12-2997 作者不詳
「石上 布留の高橋 高高に 妹が待つらむ 夜ぞ更けにける」。

石上の布留の高橋のように、心も高高と爪先立つ思いで、妻が待っているだろう。
夜は更けてしまったことだ。
ああ、愛しい妻よ・・



この辺りの布留川は、川幅は広くないが谷が深い。
そんな場所に架かる橋なので“高橋”なのだろう。
そして、滝が見える。

つづく。



4月15日(月)06:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡3

石上神宮の手前でトイレを済ませ境内に入る。
境内では“神鶏”のニワトリが放し飼いにされている。
【参考】
石上神宮[いそのかみじんぐう]公式サイト



国宝に指定されている「石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿」の“蛙股”。
【参考】
摂社 出雲建雄神社拝殿
蟇股



楼門の前から“北山辺の道”と呼ばれているルートを歩く。
画像は境内から出て東方向を撮影。
二座見える山の左側が大国見山500mだろう。



コースは東海自然歩道の道標を見て「奈良 白河溜池 4.2km」方向へ歩く。


赤矢印の小道を歩く。

つづく。



4月15日(月)06:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡2

左側面にも文字が刻まれているが、風化して読めない。
「右 ふ ? / 左 ?」。



道標の横に「石上神宮並びに良因寺絵図」の説明板。
【参考】
良因寺跡



布留川に架かる布留大橋を渡ってすぐ、石上神宮を示す道標を見て左折。(東)


更に右折(南)し、右手、大念寺前を通過。
坂道を登る。



畑にフキノトウの花が咲いていた。
これは植栽されているものなので、採取は出来ない。

つづく。



4月15日(月)06:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

和邇下神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡1

2024年3月3日(日)は、第86回こばこの部に参加した。
題して「山ノ辺の道から伝・山の辺の道へ~石上神宮から帯解寺へ~」。

【コース】
天理駅_石上神宮_布留の高橋_石上銅鐸出土地_平尾姫丸稲荷大明神_在原神社・昼食_和邇下神社古墳_櫟本高塚公園前_和爾坐赤阪比古神社_伝・山辺の道_森本寺山遺跡(六地蔵)_八坂神社_JR桜井線帯解駅

画像は当日歩いたGPSログを表示。
(天理駅~帯解駅)



9時40分、天理駅を出発。
天理本通商店街を東へ歩いて石上神宮(いそのかみじんぐう)へ向かう。



南北に通じる県道51号線に出合い右折。(南)

布留川に架かる橋の手前に道標が立つ。
道標の上部が欠けているが、道標をブロックの上に乗せてセメントで固定されていた。



「右 布留社 / 左 ?」。


「右 布留社 / 左 奈良」。
左は“奈良”だろう。
尚、布留社(ふるしゃ)とは石上神宮の別名。(古名)

つづく。



4月15日(月)06:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

金剛山(千早本道_水ヶ阪尾根)25/25

伏見峠登山道を下る。


「山の豆腐 まつまさ」の前で左折。


駐車場へ。


この日の反省会は、筑豊や。
画像はお勘定。



その後、この近くにオープンした店“スタンドデコピン”を下見に行った。
この日は入店せず。
約一ヵ月後の3月22日に訪問することになる。

おしまい。



4月14日(日)06:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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