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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2023年11月17日を表示

玉手山_安福寺横穴墓群_後藤又兵衛碑_玉手橋6

「右ハ たまて山 あんふく寺ミち 施主 釈妙井」と刻まれているようだ。


安福寺の山門、ここから境内に入る。


安福寺参道脇の横穴と説明板。


説明板によると参道の両脇に、*三十五基の横穴があり、その内の一基。
*その後の調査で現在は四十基。



説明板「府史跡 安福寺横穴群」。
最新情報として下記柏原市のサイトを参照。
安福寺横穴群

つづく。



11月17日(金)06:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

玉手山_安福寺横穴墓群_後藤又兵衛碑_玉手橋5

「玉手山1号墳」の説明板。
下記柏原市のサイトによると、
玉手山1号墳

「玉手山1号墳は今から1700年ほど前の古墳時代前期に築かれました。
全長約110mの前方後円墳で、前方部を北に向けています。
これまでの発掘調査により、前方部と後円部の接続部分であるくびれ部では、白色の円礫が敷かれたテラス面が見つかり、埴輪が立て並べられていたことがわかりました。
後円部は4段もしくは3段と考えられ、墳頂部では板石を積み上げた方形の壇が見つかっています。
その中心に竪穴式石室が存在すると考えられます。
ただし、大坂夏の陣(慶長20年、1615年)で亡くなった奥田三郎右衛門忠次の墓碑があるため、調査は実施されていません。」



「大坂夏の陣と小松山の戦い」の説明板。
「この付近は小松山と呼ばれ、慶長二十(一六一五)年五月六日日、豊臣・徳川最後の決戦となった大坂夏の陣で戦場となったところです。
豊臣方は、外濠・内濠を埋め立てられて裸城同然となった大坂城を出て河内、和泉の諸所に布陣。
後藤基次・薄田兼相ひきいる一軍は道明寺に進出して小松山を占拠。
国分に到着した水野勝成・本多政明・伊達政宗らを主力とする徳川軍との間で激戦が繰り広げられました。
翌七日には大坂城も落城し豊臣氏は滅びました。
背後の丘(玉手山一号墳)の頂には、徳川軍の先鋒として小松山に攻め上がり討ち死した奥田忠次と家臣五名の供養碑が建てられています。
 二〇〇九年三月 柏原市教育委員会」



その後、玉手山三号墳を見学しようとした。(玉手山二号墳は墓地となっていたのでスルー)
しかし、入口が分からず「宗教法人 普明會教團」の敷地内に入ってしまったのでここもスルーした。
三号墳の北端、市立老人福祉センター付近に入口があるのかもしれない。

次の目当てである安福寺横穴墓群へ向かうが、道標があった。



坂道を下ると伯太彦神社の鳥居がある。
安福寺は左へ進む。
尚、赤丸印のところに、道しるべと力石がある。



道しるべ(左)と力石(右)。

つづく。



11月17日(金)06:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

玉手山_安福寺横穴墓群_後藤又兵衛碑_玉手橋4

石仏は不動明王。


片山廃寺塔跡の説明板。
説明文によると、出土した軒瓦から、塔の創建は七世紀末~八世紀初頭であった。



片山廃寺塔跡を後にして、丘陵地の更に標高の高いところへ向かう。
勝松山公園で小休止。
その東側に玉手山1号墳と奥田忠次墓碑(大阪夏の陣)を示す道標がある。
画像の石段を登る。



奥田忠次墓碑が建つ墓地からは東南方面の眺望が開けていた。
その他は潅木が生い茂り、見晴らしは良くない。
もし潅木がなければ、360度パノラマだろう。



玉手山1号墳から南へ歩くと、道標と説明板が二つ立っている。

つづく。



11月17日(金)06:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

玉手山_安福寺横穴墓群_後藤又兵衛碑_玉手橋3

リュウキュウアサガオ(琉球朝顔)。
ノアサガオ(野朝顔)の園芸品種らしい。
アサガオ



急な石段を登ると、驚くことに発掘調査をされていた。
玉手山1号墳の北東付近とみられる。



茂みの見える場所が片山廃寺塔跡。


礎石を後の時代になって手水鉢として使用した?
それにしても巨大。



大きな石をくり抜いて、その中に石仏が置かれていた。

つづく。



11月17日(金)06:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

玉手山_安福寺横穴墓群_後藤又兵衛碑_玉手橋2

北阪保育園を目当てに向かう。
その隣に天理教北阪分教会が建っている。



正面突き当たりは石段になっており、天理教北阪分教会に立ち寄った後、この石段を登って玉手山1号墳方面へ行った。


「天理教北阪分教会」(登録有形文化財)の説明板。
元は大阪市内でメリヤス業を営んでいた個人が別邸として建てた建物。



中国風にも見える。
この時は隣の北阪保育園の園児たちがお遊戯をしていた。



先程の正面突き当たりの石段を登る。

つづく。



11月17日(金)06:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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