バッハ ブランデンブルク協奏曲第4番 佐藤俊介&オランダバッハ協会
バッハ ブランデンブルク協奏曲第4番 佐藤俊介&オランダバッハ協会を視聴してみよう。第4番 佐藤俊介 (ヴァイオリニスト) Netherlands Bach Society Bach - Brandenburg Concerto no. 4 in G major BWV 1049 - Sato | Netherlands Bach Society 0:00 Allegro 6:41 Andante 10:20 Presto ......... Netherlands Bach Society Shunske Sato, violin and directionVIDEO 【参考:ブランデンブルク協奏曲第4番】 バッハ ブランデンブルク協奏曲 クラウディオ・アバドhttp://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc64n461AF1B55/1/ バッハ ブランデンブルク協奏曲第4番http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc63zE6083DD73/1/ 【参考:佐藤俊介】 バッハ (無伴奏ヴァイオリンのための)パルティータ第2番ニ短調 BWV1004 佐藤俊介 2015http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc64ap62189B6A/1/ バッハ ヴァイオリン協奏曲第1番(BWV 1052R) 佐藤俊介 2018http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc662e6550B288/1/
11月25日(土)19:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池6
静かな佇まいの忍阪街道を歩く。
畑に植えられていたダリア。 手前の紅葉している葉はオタフクナンテンだろう。
石位寺の裏参道、取り付きに到着。 花壇がよく手入れされている。 画像の右後方から続く坂道を登ると境内。
「高円山 石位寺」の説明板。 この説明板も忍坂坐生根神社と同様、最近、新調されたようだ。 「伝 薬師三尊石仏」で知られる石井寺は、いずれの宗派にも属さない無住寺で、忍阪区で管理しています。 【一部割愛】 入江泰吉の写真でも知られる寄棟造りの旧本堂(薬師堂)は老朽化で惜しくも昭和53年(1978)に建て替えられました。 この旧本堂は元禄2年(1689)12月、領主と関係があった奈良奉行の大岡忠高が、資金を助力して建立されたと言われていますが、寺の歴史については、諸説があり定かではありません。 本尊は、白鳳時代(644〜710)に製作されたと思われる我が国では最も古い石彫りの三尊仏として『国の重要文化財』に指定されています。 丸みをおびた安山岩(諸説あり)に彫刻されています。 中尊は方形の台座に腰掛けた如来形で、頭上に天蓋が、背後に頭光と背もたれが表現され、両脇侍は合掌して立ち頭光が描かれています 三尊とも薄い法衣を通して内部の肉体の起伏がよく現れており、布の質感も巧みに彫りだされています。 作られたときは彩色されていたらしく、そのあとが像の唇と着衣に僅かに残っています。 石仏は、万葉歌人・額田王が晩年信仰したとも伝わります。 1300年以上前に、作られたれたとは思えないくらい保存状態もよく、この石仏の前に座っているだけで、慈愛に満ちた石仏さんの心が伝わり、「ずっとここにいたい」そんな気持ちになる石仏さまです。 【一部割愛】
説明板の「伝・薬師三尊石仏」をズーム撮影。 つづく。
11月25日(土)06:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池5
忍坂坐生根(いくね)神社に到着。 祭神 一、少彦名命 (すくなひこのみこと) 一、天津彦根命(あまつひこねのみこと) 境内社 一、神女神社(しんにょ) 一、愛宕神社(あたご) 一、天満神社(てんま) 当社は天平ニ年(730年)の、「大倭国正税帳」に、また延長五年(927年)の「延喜式内社」にも名前がみえる古社で、本殿を持たず宮山をご神体とし拝殿の北側に神が鎮座する「石神」と称する自然石十数個を並べた「磐座」があります。 ここ忍阪の地は隅田八幡宮所蔵の国宝人物画像鏡に刻まれた「意柴沙加宮」の地ともされ、第二十六代継体天皇が磐余玉穂宮に即位される以前におられた処とされています。 また忍坂大中姫命や衣通姫が居られたとも伝わり、「大和志料」では額田部氏の祖天津彦根命を祀るとも記され、平安時代の医書「大同類聚方」に当社相伝の「以久禰薬」(額田部速の上奏)のあることを伝えています。 その薬の製法は昭和の初期まで伝わり、また額田部氏が居住したとするこの地で額田王と鏡女王姉妹との繋がりや息長足日広額天皇(第三十四代舒明天皇)の陵墓があることから息長氏の大和での拠点の一つであったとされています。 拝殿への石段の左右には境内社の「神女神社」と「愛宕神社」を、北側には「天満神社」を祀ります。 石燈籠二十四基の最古のものは拝殿した左右の延寶二年(1674年)、正面登り口の石橋は正徳五年(1715年)の刻銘があります。 また年代不詳の陰陽石が一基あり、静かに村の安全と繁栄を見守っています。 桜井市忍阪区
説明文にある陰陽石。
ベンチに桜の花びらのようなものが見えた。
季節はずれなので、まさかと思ったが、フユザクラ(冬桜)だろう。コバザクラ 撮影した画像は逆光で開花の状態が分かりにくい。
「生根社」と刻まれた石燈籠。 説明文によると、このような石燈籠が境内に二十四基ある。 つづく。
11月25日(土)06:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池4
外鎌山(とがまやま)こと“朝倉富士”を南東に眺めながら住宅地の中を下る。
石位寺へ。距離約1.0kmと表示。(赤四角) 右上に黄色四角で囲んだ三ヶ所は、この日、全て見て回った。
醤油の醸造所らしいが、この付近にはないようだ。 大和 手造り みやま 紫 昔風 向上・・・?
桜井市忍阪区の散策マップ。 ここから忍阪街道を歩く。
これはムラサキエリアでは? まだ花の数が少ない。ムラサキルエリア つづく。
11月25日(土)06:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池3
忍阪1号墳。 石室の大きさがわかるように、人と一緒に撮影した。
この画像は先程の画像で赤四角の場所に立って石室を撮影したもの。
忍阪1号墳の説明板。 これまで見てきた説明文と、ほぼ同じ内容となっている。
移設した古墳の丘陵地の尾根には山道が通っており、大量のドングリが落ちていた。
丘陵地の尾根から整備された石段を降りる。 この後、忍阪街道に出て、次のチェツクポイント石位寺へ向かう。 つづく。
11月25日(土)06:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
忍阪街道_石位寺_粟原寺跡_倉橋溜池2
公園の中を通り抜けたが、“ひっつき虫”がズボンなどに付着。 これを取り除くのに少々手間取った。ひっつき虫 尚、この付近は高級住宅地となっている。
忍阪9号墳の説明板。 磚(レンガ)を模した榛原石を積み上げて石室を構築しているところが非常に珍しいらしい。
忍阪9号墳の画像。 榛原石は、奈良県三輪山東方の宇陀郡榛原地方に分布する火成岩で、板状に剥離する特徴がある。(下記サイトより)東京国立博物館
忍阪2号墳の画像。
忍阪2号墳の説明板。 石室内部からは、鉄刀・金環の他、須恵器・土師器なども出土した。 つづく。
11月25日(土)06:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理