山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2023年11月20日を表示

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社10

車道脇に付けられた歩道を南へ歩く。
結構、クルマはスピードを出しているが、車道との間にガードレールが設置されているので安心。

この先、車道から離れ、万葉の森へ入る。



万葉の森の地図。
これを見て車道沿いに歩くのではなく、別に散策道があることを知った。
この森には、クルマで来たことはあるが、徒歩では初めて。
次の目当ては香久山山頂。(赤四角で囲んだ場所)



天香久山へ向かう。


ここから散策道を離れる。
前方に見える「香久山山頂→」の道標をチェツク。



「←香久山山頂」ここから山道を登る。

つづく。



11月20日(月)06:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社9

割(わり)拝殿と呼ばれる拝殿で、建物の真ん中に参道が通っている形式だそうだ。(下記サイト参照)
本殿と拝殿

ここで昼食タイムとなる。
藪蚊に注意しながら食べる。
私は携帯タイプの蚊取り線香を持参した。



月輪石(つきのわいし)と称されている自然石。
奈良市柳生の一刀石に似ている。



昼食後、御厨子神社を後にする。
田んぼの畦道のような小道を歩く。



左右に竹林が現れ、やや薄暗い。
多くの人が歩かれたのだろう、切通しのようになっている。



突然、視界が開け、周囲の見通しがよくなる。
どこかで見た景色だと思ったら、普段、クルマで通る道に出たので驚いた。
次の目当ては万葉の森だったので、車道を横断してから、迷わず車道脇を南へ歩いたが、車道の西側に散策道があったようだ。

つづく。



11月20日(月)06:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社8

参道脇に祀られていたが、よくわからない。
境内にあった案内板によると、
「光明不動。自然石の中にお不動さまの姿が見えれば眼病が治ると伝えられている。」



更に参道を歩く。


本堂。
御本尊は十一面観世音菩薩。
一願成就(一つのことを願えば、その願いがかなう)に霊験があると言われている。



すぐ右手に小道があって、それを辿ると御厨子神社の参道に合流した。


社務所だろう。

つづく。



11月20日(月)06:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社7

橿原市東池尻町の集落の中を歩く。


「←妙法寺」へ向かう。


過剰とも思えるほど短い区間で道標が立っている。
尚、左の傾いた道標は「みずし観音→」。



妙法寺(御厨子観音)参道。


参道入口に立つ「みずし観音」の寺標。

つづく。



11月20日(月)06:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社6

稚櫻神社を後にする。
民家の庭先で見掛けたムラサキエリア。
ムラサキエリア



「妙法寺(御厨子観音)→」の道標をチェツク。


「東池尻・池之内遺跡 (磐余池推定地)」の説明板。

「古代に築かれた巨大な人工の池の跡です。
戒外川の東岸から西方の御厨子神社が位置する丘陵にかけて、長さ300m、幅20~55m、高さ2~3mの土手状の「高まり」が存在しています。
南に広がる谷を塞ぐ位置にある、この「高まり」が池の堤の跡です。
古代には堤の南側に巨大な池が広がっていました。
堤は丘陵の延長部分に盛土を施して築かれています。
現在、堤の上は畑や宅地に、池の部分は水田となっています。
堤は6世紀後半には存在しており、堤の上では6世紀後半~7世紀前半の建物や塀が多数発見されています。
藤原京の時代(7世紀末~8世紀初頭)には、堤の一角に水量調整用と考えられる深さ4m以上の大溝が掘られています。
堤の外(北)側の裾付近には石敷が施されている地点もあります。
池は12~13世紀頃には埋没して耕作地になったようです。
この池は『日本書紀』や『万葉集』にたびたび登場する「磐余池」にあたるのではないかと考えられています。

平成27(2015)年3月 橿原市教育委員会」



説明図によると池の推定範囲は広大。


古代にはここが広大な池だったというから驚き。

つづく。



11月20日(月)05:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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