山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2023年11月21日を表示

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社15/15

庚申塔の右隣にお地蔵さん。


次のチェックポイント「本薬師寺跡→」へ。
西へ向かって歩くが、途中、飛鳥川に架かる橋を渡る。



本薬師寺(もとやくしじ)跡に祀られている庚申塔。
通常は「見ざる、聞かざる、言わざる」だが、この庚申塔の脇侍?は二体。
左は「聞かざる」、右は???。
どうも、赤ちゃんを抱いた母親だろう。



「史蹟元藥師寺阯」の石碑が立つ。
裏面には大正十三年三月の銘。
本薬師寺



14時52分近鉄橿原線畝傍御陵前駅にゴールした。

おしまい。



11月21日(火)19:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社14

橿原市南浦町から法然寺を左に見て右折、西方向、上飛騨町へと歩く。


香久山少林院法然寺前の四つ辻に立つ道標。
残念ながら撮影した画像ではほとんど読めない。
北面「××お× ×天の×」。



西面「×× すぐ×」。

地元南浦の施主によるもので、岡寺、天岩戸神社、多武峰、吉野、香久山、安倍文殊院、長谷寺、當麻の各方面を案内している。
(下記サイト参照)
0086-明日香村小山の道標-1 (法然寺前四つ辻)



更に西へ歩くと、右手に「県史跡 紀寺跡」の説明板。

「紀寺跡は小山廃寺ともいわれ、藤原京左京八条二坊に位置する。1973年以来の発掘調査で金堂跡・講堂跡・中門跡・回廊跡・南大門跡・南面と東面の大垣などが確認されている。
しかし礎石がほとんど残らないことから、詳細な建物規模は明らかではない。
伽藍配置は南大門・中門・金堂・講堂が南から一直線に並び、回廊は中門から講堂に取りついて金堂を囲む形となっている。
現在は失われているが、過去には金堂の南東に塔心礎が残っていたようであり、そこに塔が推定される。
また金堂の南西では旗を立てる憧竿支柱の柱跡が確認されている。
【一部割愛】
遺跡名は大字小山字キデラに由来しており、古代の有力豪族である紀氏の氏寺ともいわれている。
その一方で藤原京内で四町四方を占め、朱雀大路をはさんだほぼ対称の位置に天武天皇が建てた薬師寺(本薬師寺)が位置することや出土遺物の特徴から、国によって建てられた官寺とも考えられている。
創建年代は7世紀後半である。 平成27年3月 奈良県教育委員会」



庚申塔。月や日のマークが刻まれている。(赤四角)

つづく。



11月21日(火)19:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社13

「天岩戸神社→」へ。


橿原市南浦町の集落を歩く。


天岩戸神社の鳥居。


拝所。


説明書きによると、神殿はなく拝所のみで、古代の原始的な祭祀の形態。
天岩戸神社

つづく。



11月21日(火)06:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社12

向かって左側が國常立命。(くにとこたちのみこと)
右側が高龗神。(たかおおかみ)
拝所の柱が内側に傾いているようだ。



鳥瞰図があるが、潅木が生い茂りまったく何も見えない。


山頂のベンチで休憩中。


天岩戸神社へ立ち寄る。


天岩戸神社へ360m徒歩7分。

つづく。



11月21日(火)06:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社11

木製の階段が設置されている。
これを登る。



随分と下草が生い茂っている。
下草をのけると、踏み跡は明確に続いている。



「頂上→」へ。


香久山山頂(標高152m)に到着。
右の建物は國常立神社と画像の奥に拝所。
・・裏道から登って来た。



國常立(くにとこたち)神社の案内板。

国之常立神
淤加美神

つづく。



11月21日(火)06:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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