御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社15/15 |
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| 庚申塔の右隣にお地蔵さん。
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| 次のチェックポイント「本薬師寺跡→」へ。 西へ向かって歩くが、途中、飛鳥川に架かる橋を渡る。
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| 本薬師寺(もとやくしじ)跡に祀られている庚申塔。 通常は「見ざる、聞かざる、言わざる」だが、この庚申塔の脇侍?は二体。 左は「聞かざる」、右は???。 どうも、赤ちゃんを抱いた母親だろう。
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| 「史蹟元藥師寺阯」の石碑が立つ。 裏面には大正十三年三月の銘。 本薬師寺
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| 14時52分近鉄橿原線畝傍御陵前駅にゴールした。
おしまい。
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11月21日(火)19:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社14 |
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| 橿原市南浦町から法然寺を左に見て右折、西方向、上飛騨町へと歩く。
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| 香久山少林院法然寺前の四つ辻に立つ道標。 残念ながら撮影した画像ではほとんど読めない。 北面「××お× ×天の×」。
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| 西面「×× すぐ×」。
地元南浦の施主によるもので、岡寺、天岩戸神社、多武峰、吉野、香久山、安倍文殊院、長谷寺、當麻の各方面を案内している。 (下記サイト参照) 0086-明日香村小山の道標-1 (法然寺前四つ辻)
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| 更に西へ歩くと、右手に「県史跡 紀寺跡」の説明板。
「紀寺跡は小山廃寺ともいわれ、藤原京左京八条二坊に位置する。1973年以来の発掘調査で金堂跡・講堂跡・中門跡・回廊跡・南大門跡・南面と東面の大垣などが確認されている。 しかし礎石がほとんど残らないことから、詳細な建物規模は明らかではない。 伽藍配置は南大門・中門・金堂・講堂が南から一直線に並び、回廊は中門から講堂に取りついて金堂を囲む形となっている。 現在は失われているが、過去には金堂の南東に塔心礎が残っていたようであり、そこに塔が推定される。 また金堂の南西では旗を立てる憧竿支柱の柱跡が確認されている。 【一部割愛】 遺跡名は大字小山字キデラに由来しており、古代の有力豪族である紀氏の氏寺ともいわれている。 その一方で藤原京内で四町四方を占め、朱雀大路をはさんだほぼ対称の位置に天武天皇が建てた薬師寺(本薬師寺)が位置することや出土遺物の特徴から、国によって建てられた官寺とも考えられている。 創建年代は7世紀後半である。 平成27年3月 奈良県教育委員会」
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| 庚申塔。月や日のマークが刻まれている。(赤四角)
つづく。
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11月21日(火)19:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社13 |
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| 「天岩戸神社→」へ。
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| 橿原市南浦町の集落を歩く。
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| 天岩戸神社の鳥居。
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| 拝所。
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| 説明書きによると、神殿はなく拝所のみで、古代の原始的な祭祀の形態。 天岩戸神社
つづく。
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11月21日(火)06:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社12 |
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| 向かって左側が國常立命。(くにとこたちのみこと) 右側が高龗神。(たかおおかみ) 拝所の柱が内側に傾いているようだ。
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| 鳥瞰図があるが、潅木が生い茂りまったく何も見えない。
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| 山頂のベンチで休憩中。
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| 天岩戸神社へ立ち寄る。
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| 天岩戸神社へ360m徒歩7分。
つづく。
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11月21日(火)06:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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御厨子神社_万葉の森_天香久山_天岩戸神社11 |
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| 木製の階段が設置されている。 これを登る。
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| 随分と下草が生い茂っている。 下草をのけると、踏み跡は明確に続いている。
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| 「頂上→」へ。
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| 香久山山頂(標高152m)に到着。 右の建物は國常立神社と画像の奥に拝所。 ・・裏道から登って来た。
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| 國常立(くにとこたち)神社の案内板。
国之常立神 淤加美神
つづく。
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11月21日(火)06:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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