観音山_樫ヶ峰_岩倉山14 |
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| そして、もう一体の石人。参道の右側。(東)
どちらの石人も同じポーズをとっているように見えた。
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| 仁王堂。 残念だが時間の関係で立ち寄らず。
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| 神呪寺、本堂への参道。
神呪寺 - Wikipedia によると、 神呪寺(かんのうじ、神咒寺)は兵庫県西宮市甲山山麓にある仏教寺院。山号は武庫山。真言宗御室派別格本山。甲山大師とも呼ばれ、地元では「お大師さん」とも呼ばれている。寺号の「神呪寺」は、「神を呪う」という意味ではなく、甲山を神の山とする信仰があり、この寺を神の寺(かんのじ)としたことによるという。なお、「神呪」(じんしゅ)とは、呪文、マントラ、真言とほぼ同義で、仏の真の言葉という意味がある。開山当時の名称は「摩尼山・神呪寺(しんじゅじ)」であり、「感応寺」という別称もあったようだ。
またの機会に四国八十八ヶ所を含め訪問したい。
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| 阪急バス甲山大師バス停前を通過。“阪神バス”の停留所と隣り合っている。
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| 右(北)に甲山を見る。 この道はお寺関係者への専用道路。
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3月4日(土)20:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山13 |
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| 山裾に掘られた石窟の中に祀られている。 残念ながら石窟の中は写っていない。
右の石に「願主 鯛屋新兵衛」の記銘がある。 その右の三角の人工的な石、ここに置かれた意味が何かありそうだ。
祀られているのは、第十一番札所 藤井寺、薬師如来。
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| 車道の反対側にも石仏が見えたが、近づかなかった。 番外とみられる。
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| 地蔵菩薩像。 四国八十八ヶ所の札所ではないようだ。
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| 西宮市立甲山自然環境センター、甲山自然の家分岐を右に見送と、左手に神呪寺(かんのうじ)の仁王門の建物が現れる。
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| そして大きな石人が一対。
こちらの石人は神呪寺に向かって参道の左側。(西)
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3月4日(土)20:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山12 |
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| 車道の向こう側に立派な石仏が見えたが、車道横断が危険で、時間もないので石仏には近づかず。 またの機会に、ここを時間をかけてゆっくりと訪れたい。
第八番札所 熊谷寺、千手観世音菩薩像。
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| 左に竹下石材店の店舗が見え、右に石仏が見える。
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| 竹筒に記された数字が見えにくいが、9だろう。 第九番札所 法輪寺、釈迦如来像。 弘法大師像のお顔が新しい。 新調されたお顔は小さ過ぎて不自然に見えてしまう。
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| 第十番札所 切幡寺、千手観世音菩薩像。 やさしい顔をされている。 撮影した画像は左に傾いてしまった。
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| 阪神バス 甲山大師下バス停前を通過。
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3月3日(金)20:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山11 |
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| クルマに注意しながら車道脇を歩く。(甲山大師道)
この先にも石祠が見える。
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| 第五番札所 地蔵寺、地蔵菩薩像。 すまし顔が面白い。えくぼが印象的。
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| 竹筒に6の数字が見える。 第六番札所 安楽寺、薬師如来像。 如来像の台石にも彫られている。
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| 第七番札所 十楽寺、阿弥陀如来像。(左) これまで観てきた石仏とは、大きさや趣きが違っている。 台石がないことも含め、創立当初のものではない様に見えてしまう。
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| クルマがスピードを上げて頻繁に通行する。 道路の右に寄って一列で歩く。
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3月3日(金)20:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山10 |
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| 四国八十八ヶ所 第二番札所 極楽寺、阿弥陀如来像。 表情豊な作り。
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| 甲山森林公園の西入口。
画像中央、三角の石には「甲山公園」と彫られていたが、“園”から下は地中に埋もれていた。
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| ブロックで作られた祠。
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| 第三番札所 金泉寺、釈迦如来像は、影になって上手く撮影出来なかった。(右) クルマの排気ガスで汚れているのが気になる。 左の石仏二体は弘法大師像とみられる。砂岩?
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| 更に右側に石祠が続いており、「本尊 大日如来」と彫られている。 第四番札所 大日寺、大日如来像。(石祠の中の左側) 右側は弘法大師像。これも大師像は砂岩に見えた。 大日如来像は花崗岩。
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3月3日(金)20:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山9 |
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| この先、車道の両脇に甲山森林公園の無料駐車場が設けられている。
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| 神呪寺方面歩行者用散策路分岐を左に見送る。 この日のコース設定は、この散策路を歩かずに車道沿いに歩いた。
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| 駐車場。
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| 阪神バス森林公園駐車場前バス停前を通過すると丁石(三丁)が現れる。 車道を挟んで反対側にあった。
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| 今度は右側に石仏が現れる。 左の石仏の下に「第二番」と彫られており、またその前に置かれた竹筒にも2と記されている。 「甲山八十八ヶ所」の第二番と見られる。
甲山八十八ヶ所とは、この先にある神呪寺の南側一帯に四国八十八ヶ所を模したミニ巡礼地のことを指す。
神呪寺は平安時代初めに弘法大師空海が開山とされる。 甲山八十八ヶ所が作られたのは江戸時代の寛政10(1798)年。 この石仏はその第二番。
甲山八十八ヶ所 位置図
甲山88ヶ所巡り
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3月2日(木)18:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山8 |
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| コース脇にトイレがあったので早めに済ませた。
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| みくるま池に架かる橋を渡る。
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| みくるま池と左後方は甲山309.2m。 池の水は清く澄んでいた。
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| 分岐。 管理事務所分岐を右(北)に見送る。
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| バス通り(甲山大師道)に出合ってこれに沿って右へ歩く。北西。
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3月2日(木)18:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山7 |
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| この先、左右に雑木林を見ながら道なりに西へ進む。
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| 甲山(かぶとやま)森林公園の入口に到着。
お日様が当たって汗ばんできた。 服装を整える皆さん。
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| 「甲山森林公園マップ」。
現在地は右下。(東) 至 甲東園駅(関学方面)と記載されている。
この先、西(左)へ進み、みくるま池を経て市道に出合いこれを西方向へ歩く。 阪神バス停、正面入口、西入口から神呪寺、更に北山貯水池から鷲林寺へと向かう。
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| 甲山大師へ八丁の町石と案内板。
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| シンボルゾーン・展望台方向分岐を右に見送り、正面入口・管理事務所・みくるま池方向へ進む。
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3月2日(木)18:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山6 |
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| 左手に駒札と石造物(供養塔)が現れる。
六十六部供養塔
日本六十六ヶ国の霊場に法華経を収める目的をもって諸国を遍歴する行脚僧のことを六十六部という。そけら行脚僧が、全国行脚の途次、このあたりに庵を建て、大師詣でのお遍路さんや修業僧などを善導したが、後世にそれら諸僧の徳を偲び供養塔が建てられた。神戸市上ヶ原浄水場の創設は大正九年であるが、昭和三十九年工業用水道の建設に際しその整地を始めたころ、この石塔も雑石とともに捨てられたが、以後、工事人などの病気や怪我が続出、驚いて元の場所に戻し、また粗末に扱った古墳ともども鄭重に供養した結果、その凶事も止み、それから工事が順調に進んだと今もなお関係者の悟り草になっている。
甲東文化財保存会
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| 柵がしてあったので、供養塔に近づくことが叶わなかった。
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| 「学校法人 関西学院 第4フィールド」前を通過。
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| 大師本堂へ九丁の町石
心ない人の仕打ちで無残な姿となってしまった町石である。碑面の梵字「バ」で水天(密教では西方の守護神)の種子である。五輪(地水火風空)の塔の場合は風に該当する悉曇(梵字の字母)である。このあたりは昔、仏性原といい寛保元年(1741)から十五年間、大師堂のあったところとされている。しかし、今は開発されその面影はなく、わずかに六十六部石塔が残っているだけである。
甲東文化財保存会
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| “心ない人の仕打ちで無残な姿”とあるのは、丁石が折れたこと、更に、その片割れが、見当たらないことを指しているのかもしれない。
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3月1日(水)20:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山5 |
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| 三叉路。「ゆりのガーデン」方向へ右折する。 Wikipediaに記載されていた「ゆりの会」の関連と思われる。
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| 甲山大師へ十一丁の町石と説明板。
関西の名刹 甲山神呪寺へ寄進された町石群中十一番目の標石である。頭に戴く梵字の「ダ」は果た していずれの釈尊の種子であろうか。これら町石は十三基たしかにあった。しかし、ここ周辺でも十 、十二町、二基が心ない者のために持ち去られたかそのあとかたもない。 甲東文化財保存会
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| 右に「甲山調整池」の施設。
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| そして左には「上ヶ原浄水場」。
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| これらの施設を左右に見ながら西方向へ歩く。
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3月1日(水)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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観音山_樫ヶ峰_岩倉山4 |
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| 橋の上から歩いて来た方向を振り返る。
後続の人たちが続々と歩いて来る。
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| 橋を渡ってすぐ階段を登る。
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| 突き当たりを右折し、道なりに歩くと「仁川百合野町地区 地すべり資料館」が現れる。 “自動観測システム監査棟”と表示されている。
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| 仁川百合野町地すべり資 料館 - Wikipedia によると、1995年1月17日早朝の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)によって 、西宮市甲山の阪神水道企業団甲山事業所北斜面で、幅約100m、長さ約100m、深さ15m、移動土塊 約10万m3という大規模な地すべりが発生した。この地すべりで斜面東側に位置する仁川百合野町 と仁川6丁目の家屋13戸が押しつぶされ、住民34名が死亡した。災害から2年後の1997年11月18日 、被害状況と土砂災害の恐ろしさ、災害対策の仕組みなどを学べる施設として、災害現場の一角 に本資料館が開館した。資料館は2階建てで、ビデオ映像・パネル展示・ジオラマ模型などを備え る。資料館の近くには慰霊碑が建つ。資料館周辺にはアジサイやスイセンなどの花々が植えられ 、地すべりが発生した斜面には地域住民団体「ゆりの会」が2004年からシバザクラを植えており 、現在では6000株を超える花の名所となっている。震災の発生時期には、2002年から毎年「ゆり の会」が地すべり資料館で追悼コンサートを催してきたが、主催メンバーや遺族らの高齢化によ り、10回目となる2011年で幕を下ろした。
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| 「地すべり資料館」を右に見送って道なりに進む。
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3月1日(水)20:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
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