山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2017年3月21日を表示

黒岩谷西尾根_蛇谷北山【補足】

ナマズ石
ナマズ石は阪神大震災で、荒地山の山頂付近(ナマズすべり)にあったものが、この場所まで転がり落ちたものとされる。地震で移動し た石では最大のものと説明されている。この、ナマズ石の名前の由来は・・地震を引き起こしたナマズが動かした石・・・からきている そーだ。また、石の表面の文字のようなものは弥生時代に書かれた中国古代文字(ロンサン文字)とされる。稲作の文化を大陸より伝え た古代人により書かれたものといわれる。この石には、壮大な歴史浪漫を感じる。

土樋割(どびわり)峠
土樋割は、山の水が集まり住吉川の大きな流れとなるところです。徳川の時代に住吉川の水を土の樋をつくり芦屋方面に流れるようにし たところ、住吉川の水が枯れてしまい、もともと住吉川の水で、酒造りをしていた灘の酒蔵さんたちが、この土の樋を割って以来ここを 土樋割峠というようになったそうです。

魚屋道(ととやみち)
魚屋道は江戸初期から灘地方と有馬を結ぶ東六甲最古の山越え交通路で、同時の絵地図では、森から山に上り、蛙岩、山の神、風吹岩、 東お多福山、本庄橋、一軒茶屋、射場山山腹、有馬のルートを通り、「六甲越え」と呼ばれていた。幕府が、灘から有馬への正規の街道 を西宮、宝塚、船坂、有馬の線に定めた後も、遠まわりを嫌った人々はこの道を利用した。そこで、街道沿いの西宮や生瀬などの宿場の 商人は、これを「抜け荷の道」と称して、通行禁止を大阪奉行所へ訴え、しばしば紛争が生じた。文化3年(1806)に、灘本庄と有馬の人 々がひそかに道の大修理をしている。深江浜の魚は大正時代まで、ここから有馬に運ばれていた。

岡本梅林
岡本梅林」は、1796年頃「摂津名所図会」に紹介さるほど、昔から有名な梅の名所でした。大正末期まで西摂津の梅の名所として、 「梅は岡本、桜は吉野、蜜柑紀の国(みかんきのくに)、栗丹波(くりたんば)」と謳われていました。 昭和13年の阪神大水害で大半を喪失し、昭和20年の神戸大空襲で焼失、その後の宅地化でほとんどの梅を失ってしまいました。 宮崎元神戸市長が、昭和46年に渦が森三角公園、昭和50年に保久良梅林、昭和57年に岡本梅林公園を開園、その後、梅まつり実 行委員会が阪神淡路大震災の復活を願って「梅まつり」を開催、梅一つ火会が東灘区の区の花「 梅」の普及活動を推進、岡本商店街が 「岡本の梅ブランディング事業」を、そして、区役所のリードで「梅いっぱいプロジェクト」を推進して現在に至っています。



3月21日(火)17:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

黒岩谷西尾根_蛇谷北山

2017年3月19日(日)は、3週連続で「山を登る会」に参加した。

山域は六甲山地で、コースは阪急芦屋川駅(標高30m)から、芦屋川の右岸を遡上、ナマズ石、弁天岩を見て歩いた。
リーダーによると、本来は弁天岩から先、芦屋川の左岸を歩くが、直近の下見では浮石があったので、ドボンを回避する為、舗装道路を歩いて芦屋ゲートへ向かった。

ここまでのルート、山地図には危険マークが付いており、単独や個人のグループでは行きにくいルートとなっている。
また、「降雨直後、山腹からの落石注意」とある。
以前から、このルートを歩きたいと思っていたのでチャンスだった。

芦屋ゲートからは、東おたふく山登山口バス停前を通って、蛇谷沿いに歩き、土樋割(どびわり)峠に到着。

六甲山最高峰直下で昼食後、再び土樋割峠を通過するので、六甲山最高峰直下をパスして、土樋割にて昼食する短縮コースの設定があった。
下山時に土樋割峠を通過すると、80歳トリオのお三人を含め、何人か短縮コースを利用していた。

通常コースでは、土樋割峠からこの日のハイライトとなる、黒岩谷西尾根を歩き、六甲山最高峰931.3m直下の一軒茶屋前の広場にて昼食。

会としては、この“黒岩谷西尾根”を歩くことを目玉としていた。
実際に歩いてみると、このコースこそ危険マークが必要なくらい、単独や個人のグループでは行きにくいという印象。
このルートは、そもそも山地図には記載がない。なので危険マークを付けていないのかも。

ガレ場もあり、フィックスロープが二箇所あった。
このルートをよく知っている人と出かけても、この道を下りに使うのは避けたい。
当日、この道を下って来たのは、30歳代くらいの若いカップルが一組のみ。

下山は石の宝殿に登り返し、この日の二つ目のハイライトとなる芦屋市最高峰、蛇谷北山(じゃたにきたやま)840mの山頂を踏み、土樋割峠で短縮コースの人達と合流した。
従って、短縮コースを歩いた人たちは、この日のハイライトを二箇所、パスしたことになる。

土樋割峠で小休止の後、見晴らしのよい東お多福山697mを経て、雨ヶ峠に出てからは魚屋道を歩いた。
風吹岩では、イノシシが頻繁に出没しているとの情報で、これも危険を避ける為、休憩せずに蛙岩分岐へ。
ここで魚屋道から離れ、金鳥山(きんちょうざん)338mを経て、保久良(ほくら)神社で観梅。
岡本梅林公園には、出かけたことがあったが、ここはお初だった。
その後、天上川に沿って下り、阪急岡本駅(標高30m)にゴールした。

尚、 岡本駅近くにベルギー産チョコレートの美味しい店、モンロワール本店があるので、自分用の土産に購入した。家族にも好評♪

リーダーは、急遽、A氏に代わってT氏。
A氏は腰の調子が悪いと聞いた。

参加者90名。

コース
8:45阪急芦屋川駅9:16_芦屋川に架かる開森橋を右に見送る_高座川に架かる開僧橋(おうぞうばし)を渡る_道標(高座の滝 ロックガーデン→)_分岐道標(←高座滝・ ロックガーデン)_会下山遺跡分岐_道標(→城山 鷹尾山を経て荒地山)_案内板(城山(鷹尾城跡))_最奥住宅右から山道に取り付く_分岐道標(弁天岩方面へ)_手作りベンチ_送電線鉄塔_陽明水_荒地山方向分岐_道アゼ谷砂防ダム(堰堤)_分岐を右へ_ナマズ石_10:10弁天岩_県道344号線沿いに歩く_奥山精道線カーブNo.5_カーブNo.4_カーブNo.2_分岐 芦屋ゲート(芦有(ろゆう)ドライブウェイ)を右に見送り芦屋カンツリー倶楽部方向へ_芦屋川に架かる谷川橋を渡る_道標(奥池 東お多福山方向へ)_芦屋川むら玄(そば)前_芦屋カンツリー倶楽部管理道路・ゴルフ橋を左に見送り芦屋川沿いに歩く・道標(奥池あそびの広場 東お多福山方向へ)_左に芦屋川 右に芦有ドライブウェイを見て山道を歩く_芦屋川に架かる橋を渡る(2回)_芦有ドライブウェイ沿いの歩道を歩く・道標(東お多福バス停 奥池あそびの広場 ゴロゴロ岳方向へ)_分岐 芦有ドライブウェイ沿いの歩道を右に見送る_奥池制水池横_芦屋川に架かる橋を渡る_千谷砂防ダム(堰堤)_住宅地出合・道標(奥池あそびの広場 東お多福山方向へ)_道標(東お多福バス停への石段を登る_道標(東お多福山 土樋割峠方向へ)_東お多福バス停前_芦有ドライブウェイを横断_分岐道標(東おたふく山ハイキング道へ)_分岐道標(東お多福山 土樋割峠方向へ)_分岐道標(東お多福山へ1.0kmを左に見送り 土樋割峠0.9km方向へ)_蛇谷第二砂防ダム_11:02土樋割峠(石宝殿 東お多福山山頂を見送り土樋割を経て六甲山最高峰方向へ)11:04_分岐(本庄堰堤・六甲最高峰・住吉分岐を左に見送る)_黒岩谷西尾根取り付き_フィクスロープ(1回目)分岐を右に見送る_フィクスロープ(2回目)_11:38六甲山頂 一軒茶屋・昼食12:03_県道16号線を石宝殿に向かって歩く_山道取り付き・道標(宝塚方向へ)_県道16号線出合_鉢巻山トンネルを潜る_石鳥居(石宝殿 白山の宮)_白山姫観音像_道標(蛇谷・北山コース取り付き / →土樋割峠 東お多福山)_分岐を左へ_道標(蛇谷・北山コース / →土樋割峠 東お多福山)_蛇谷北山山頂840m_道標(蛇谷・北山コース / 現在地は黒岩堰堤北)_分岐を右へ_12:36土樋割峠12:38_東お多福山頂697m_東お多福山バス停方向分岐_四等三角点(点名:雨ヶ峠 621.3m)_雨ヶ峠_<魚屋道>_芦屋カントリー倶楽部横断・獣除け扉開閉(2回)_道標(←風吹岩1.2km・阪急芦屋川駅4.0km →雨ヶ峠0.8km・六甲最高峰3.1km)_黒五谷分岐_打越峠1.0km 住吉谷・八幡谷分岐_風吹岩前_道標(→金鳥山・保久良神社を経て阪急岡本駅・JR本山駅)_分岐を右へ_八幡谷・十文字山・住吉川(約4km)分岐_道標(←保久良神社 約0.6km 阪急岡本駅 約1.8km)_<石の階段>_案内板(東灘山麓自然歩道案内図)_案内板(保久良梅林)_堰堤_天上川沿い_天上川公園_天上川に架かる禊(みそぎ)橋を渡る_岡本八幡神社前_岡本梅林公園分岐_天上川に架かる榮田橋を渡る_阪急神戸線の高架下を潜る_モンロワール岡本本店(買い物)_14:10阪急岡本駅。

画像はこの日歩いた芦屋川駅から岡本駅までのGPSログを表示している。



東お多福バス停付近にてYMCAの子供たちと一緒になった。


YMCAの子供たちとは、下山時に東お多福山頂付近にて再会した。
可愛い笑顔を見ると疲れも吹っ飛ぶ。



雨ヶ峠から風吹岩へ下山時にて撮影。
この子はYMCAとは別。
今の時季、学校が休みなので、子供達を多く見た。



保久良梅林にて。


3月21日(火)17:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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