朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社14 |
|
|
| 左手にお寺らしき建物が見えた。
| |
|
| 「真言宗 竹林寺」の寺標。 竹林寺と云えば、奈良県生駒市にある同名のお寺(行基の墓がある)を思い浮かべるが関係ないようだ。
| |
|
| お寺の前に分岐がある。 コースはこのまま車道を下る予定だった。 しかし、車道歩きは危険。 スマホを取り出してマップを見ると、どうやら集落の中に続く旧道だった。 この道を歩いてみることになった。 分岐のところに道標らしきが見えた。
| |
|
| 道標と云えるかどうかわからないが、「Hondo Kashihara CT」と記された案内板?が立つ。 Hondoは“本堂”で集落の名前。 しかし、“Kashihara”の表記は間違っていると思う。 正しくは“Kashiwara”だろう。 “Kashihara”だと橿原となる。 この案内板を立てたのは地元の人ではないと思う。 尚、最後の文字“CT”は不明。
| |
|
| 道はこの先、左にカーブしているが、前方に教会らしき建物が見えた。 しかし、近づいてよく見ると教会ではなく個人の家らしかった。
つづく。
| |
|
1月11日(木)06:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社13 |
|
|
| 日が少し翳っているので、撮影した画像はどんよりと写っているが、とっくりダムでもイチョウの黄葉が見られた。
| |
|
| とっくり吊橋を渡って左折。 大門ダムサイト方面へ向かうがダムサイトには行かない。
| |
|
| 前方の建物、左はトイレ、右は東屋。 ここで少し休憩。 コースは右(南)へ。
| |
|
| 再び歩き出す。 信貴山のどか村方面への車道を右に見送り直進。 このすぐ先が奈良県三郷町と大阪府柏原市の府県境。
| |
|
| 歩道のない車道(府道183号本堂高井田線)をクルマに気をつけながら下る。
つづく。
| |
|
1月10日(水)06:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社12 |
|
|
| 開運橋から空鉢護法堂方面の眺め。 空鉢護法堂は信貴山頂にあるお堂だが、樹木が生い茂り建物は見えない。 空鉢護法堂 - 信貴山大本山千手院
尚、開運橋周辺の眺めは奈良県景観資産に指定されている。 奈良県景観資産-信貴山朝護孫子寺の開運橋-
| |
|
| 開運橋から南方向へ歩く。 皆さん、ある方向を眺めているので何かと思った。
| |
|
| 手前の樹木の枝がイチョウを遮っているものの、一際美しいイチョウの黄葉を見ることが出来た。
| |
|
| とっくりダムに架かる、とっくり吊橋を渡る。
| |
|
| 全長約100メートル。吊橋巾1メートル。 絶対に揺らさないように!
つづく。
| |
|
1月10日(水)06:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社11 |
|
|
| 本堂の一角に生花が生けてあるコーナーがあった。 信貴山真華流で、ここ朝護孫子寺に本部があるらしい。 信貴山真華流いけばな展 - Instagram
| |
|
| 本堂を後にする。 画像の中心に写っている三重塔とその左の石仏(大地蔵尊)は塔頭で玉蔵院。
| |
|
| 聖徳太子御像。
| |
|
| 寅の石造物。親子だろうか。
| |
|
| 開運橋から眼下に大門ダムと信貴大橋の眺め。
つづく。
| |
|
1月10日(水)06:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社10 |
|
|
| 本堂の舞台からの眺めは素晴らしい。 この日は晴れていたので視界も良かった。 この場所は京都の清水寺の舞台に似ている。
| |
|
| ここからはご来光を拝むことが出来る。
| |
|
| それに加えて紅葉がまた良かった。
| |
|
| ご本尊は毘沙門天王。
| |
|
| 福神 毘沙門天王
毘沙門天王は七福神のなかでも、商売繁盛、金運如意、開運招福、心願成就の徳を最も厚く授けて下さる福の神です。 【以下簡略】 右手に如意宝珠の棒、左手に宝塔を持ち、心を強く持って何事も我慢強く行えば福徳を授けるというお姿を表しています。
尚、信貴山と寅の関係について、 下記のサイトによると、 信貴山
「今から1400年程前、聖徳太子が物部守屋の討伐の際にこの山を訪れて戦勝の祈願をすると、天空に毘沙門天王が現れ、必勝の秘法を授かりました。 その後、見事勝利した太子は、自ら天王のお姿を彫刻し伽藍を建て、信ずべき貴ぶべき山として『信貴山』と名付けました。 ちょうど毘沙門天が現れたのが寅の年、寅の日、寅の刻であったため、寅が信仰されるようになったのです。」
つづく。
| |
|
1月10日(水)06:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社9 |
|
|
| まるで寅が動物園の檻の中にいるイメージ。 檻のように見える鉄柵は、石造物を保護する為に後から設置されたのだろう。 寅の目が白っぽいのが不気味で面白い。
| |
|
| こちらのモミジは黄葉していた。 葉っぱが大きくて美しい。
| |
|
| 手前はモミジ。 後の黄葉はイチョウ。
| |
|
| 赤っぽく紅葉している。 紅葉の見頃として、この日(11月25日)前後がベストだったと思われる。
| |
|
| 実のところ、信貴山は紅葉のスポットとして、ほとんど認識をしていなかった。 この近辺(奈良県生駒郡)で紅葉が見られる場所としては、竜田川が知られていると思う。 しかし、信貴山も予想以上に良かった。 (奈良県生駒郡・・平群町・三郷町・斑鳩町・安堵町)
つづく。
| |
|
1月10日(水)06:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社8 |
|
|
| 説明文にある“木の枝振りが千手観音の手に似て”は確かにそう云われてみればその通り。 しかし、もう一つの“銀杏の形が仏の合掌される両手に似ている”は銀杏を見られなかったのでなんとも。
| |
|
| このモミジは大木で、樹齢がどのくらいなのか想像出来ない。 園芸品種ではないモミジの生長は非常に遅いと聞いたことがある。
| |
|
| 何と、郵便ポストまで寅バージョンとなっている。
| |
|
| 西の方を見ると別のイチョウの木も黄葉していた。
| |
|
| この後、石段を登って本堂にお参りする。
つづく。
| |
|
1月9日(火)06:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社7 |
|
|
| 絵馬堂に掲げられていた絵馬。 当然ながら寅だろうが、可愛い子供の寅がジャレているようにも見える。
| |
|
| 「世界一福寅」。 ここは一番の撮影ポイントかな。 大寅は電動でグイグイと動く。 かなりの迫力。 大寅の他に、仔寅、孫寅も生息?していた。
| |
|
| 赤門を潜る。
| |
|
| 黄葉した大きなイチョウの木が一際目立つ。
| |
|
| 「千手の公孫樹(いちょう) 仏手白果(ぶっしゅはっか) 樹齢五百年」
木の枝振りが千手観音の手に似て、又銀杏の形が仏の合掌される両手に似ているところから千手の公孫樹、仏手白果と名づけられた。 中国産の品種で、日本では宮崎県高千穂の岩戸神社の境内にある一本だけとされていたが、昭和五十八年七月学者により偶然発見された。 日本で二本目の極めて珍しい巨木である。
つづく。
| |
|
1月9日(火)06:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社6 |
|
|
| 参道を歩く。
| |
|
| ここにも先ほど見た、寄進した人の名前や金額を刻んだ石柱が並べられている。 左の石柱には「金貳百圓」と刻まれているので、随分と昔に寄進されているが、石柱は驚くほど新しく見える。 これは石柱を手入れされたのだろう。 まるで新品に見えてしまう。
| |
|
| モミジの紅葉がここでも見頃。
| |
|
| ここでは鳥居ではなく注連石があった。 注連石とはなんだ
右側の注連石には「廣大威神力」。 左は「福壽海無量」。 下記のサイトによると、 福聚海無量・福寿海無量
「福壽海無量(ふくじゅかいむりょう)は、しあわせをもたらす功徳の量が海のように広大であるということ。観音の福徳を賛美していった語。」 尚、「廣大威神力」は検索したがヒットしなかったが、漢字を見ればだいたい想像出来る。
| |
|
| 素晴らしい紅葉を観ることが出来た。 青、緑、黄、赤。 欲を言えば白がない―笑。
つづく。
| |
|
1月9日(火)06:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社5 |
|
|
| 仁王門。 扁額には「信貴山」と記されている。 朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、お寺の名前よりも、山号の「信貴山」の方が一般的によく知られている。
| |
|
| 仁王門を潜る。
| |
|
| 大わらじが奉納されている。 個人が奉納したそうだ。
| |
|
| 吽形像のお顔の部分が光を浴びて浮かび上がっている! 素晴らしい!
| |
|
| こちらは六地蔵さん。 よく似たお顔だけど、よく見ると少しずつ違う。
つづく。
| |
|
1月9日(火)05:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社4 |
|
|
| 三郷町のマンホールの蓋。 下記のサイトによると、 生駒郡三郷町(さんごうちょう)のマンホール
「町章と、町の木モミジと竜田川の流れを描いたカラー版。汚水管マンホール蓋」
| |
|
| 今風の石畳の道を歩く。
| |
|
| 「アベノ日本一」の看板が掛かっている。 ラーメン屋らしい。 下記のサイトによると、元は旅館だったとか。 アベノ日本一 平群店
| |
|
| 真っ赤な涎掛けが、石仏(千体地蔵)のほぼ全数に掛けられている。 丁度、モミジの紅葉もあって、タイミングが一致していた。
| |
|
| こちらのモミジもお日様の光を浴びて映えている。
つづく。
| |
|
1月9日(火)05:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社3 |
|
|
| かつての東信貴ケーブルの信貴山駅舎を振り返って撮影。 現在は信貴山バス停として利用されている。 尚、バス停の右にケーブルが通っていた。 今はハイキング道(千本桜並木道)となっている。
| |
|
| 旅館らしき建物だが、そのような表示や広告はなかった。 個人の住居として利用されているのかも知れない。 人が住まわれている雰囲気はあった。
| |
|
| ズラリと並んだ石柱は、お寺や神社に寄進した人の名前や金額を刻んだものだろう。 しかし、真ん中の祠の中に祀られている石仏に寄進されたとは思えないが。
| |
|
| 祠の中に祀られていたお地蔵さん。
| |
|
| モミジの仲間。 特定は難しいが、コハウチワカエデ(小羽団扇楓)、或いはオオイタヤメイゲツ(大板屋名月)かも。 右の黄色い花は、よく見かけるツワブキ(石蕗)。
つづく。
| |
|
1月8日(月)07:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社2 |
|
|
| ケーブル車両の中も見学出来る。 いかにも座り心地が良さそうな座席。 実際、座ってみたが心地良かった。
| |
|
| 駅前から奈良交通バスに乗車し、信貴山バス停で下車。 信貴山バス停は、かつての東信貴ケーブルの信貴山駅舎を使用している。 旧駅舎内に掲示されていた「大根だき会(え)」のポスター。 尚、ポスターに表示はないが、奉納料千円。
| |
|
| このバス停から朝護孫子寺まで徒歩15分となっている。 バスの運転者は、親切にもこの先のバス停で下車した方が、お寺に近いと声を掛けてくれた。 ところが、我々は歩くのが目的でもあるので、丁寧にお礼を云って下車した。
| |
|
| 信貴山周辺観光案内図が掲示されていた。 この地図は上が北北東を指している。 現在地は地図の真ん中右端に表示されている。
この日歩いたコースを赤線でなぞってみた。 目当ての朝護孫子寺は地図の上の方。 その後、開運橋、とっくりつり橋を渡って、南へ向かう。 赤線は地図の途中で途切れているが、車が通れない道なので、表示されていないのだろう。
| |
|
| 早速歩き始める。
つづく。
| |
|
1月8日(月)07:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社1 |
|
|
| 2023年11月25日(土)は、土曜会に参加した。 タイトルは「信貴山から竜田古道へ」。
コース 近鉄生駒線信貴山下駅_<バス>_信貴山バス停_朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)_とっくり橋_柏原市本堂_竜田古道の里山公園・昼食_三室山展望台_三室古墳_龍田大社_近鉄生駒線信貴山下駅
画像はこの日歩いたGPSログを表示。
| |
|
| 近鉄生駒線信貴山下駅前にある三郷町立図書館。 館内に入ったことはないが、外観を見る限りビックリするほど立派な図書館。
| |
|
| 駅前に展示されている、かつて存在した東信貴ケーブル(近鉄旧東信貴鋼索線)の施設配置図。
| |
|
| 展示されているのは車両形式:コ9形と呼ばれている。
| |
|
| 東信貴ケーブルは1922年(大正11年)開業、1983年(昭和58年)廃線。 近鉄東信貴鋼索線 信貴山のケーブルカー
つづく。
| |
|
1月8日(月)06:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社27/27 |
|
|
| 熊野街道は方違神社の東側の道を南へ歩く。 左の奥に見える注連柱を潜ってここへ来た。
| |
|
| 閑静な住宅街の中を歩く。 犬の散歩をするご近所の方もおられた。
| |
|
| 右側(西)に反正天皇陵古墳がある。
反正(はんぜい)天皇陵古墳
時代: 5世紀中頃 古墳の形: 前方後円墳 古墳の規模: 墳丘長148m、後円部径76m、後円部高13m、前方部幅110m、前方部高14.8m
反正天皇陵古墳は田出井山(たでいやま)古墳とも呼ばれ、百舌鳥古墳群の北端に築かれた前方後円墳です。 造られた場所は大阪湾を望む台地の端にあたり、古墳の向きが海岸線に沿っていることから、古墳が海からよく見えるように築かれたと考えられています。 墳丘は3段に築かれており、西側のみに造り出しがあります。 かつては現在の濠の周囲に外濠が巡っていましたが、遅くとも14世紀には埋まったようです。 外濠からは埴輪や須恵器・勾玉が見つかっています。 東側には天王古墳と鈴山古墳があります。 堺市
| |
|
| 反正天皇陵古墳の東側に続く閑静な住宅地の一角は百舌鳥古墳群周遊路となっている。 この後、ゴールの南海高野線堺東駅へ向かう。
| |
|
| このお宅のサボテンは特大。 アガベ・ウィンテリアーナ(agave winteriana)かもしれない。 堺東駅はこのすぐ先。
おしまい。
| |
|
1月8日(月)06:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|