山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2013年6月16日を表示

富雄駅までウォーキング2

学園前駅北口から富雄駅まで、どの道を歩くか少し迷ったが、携帯で地図を見ると、近鉄線に沿って、北側の車道を歩くのが、最短距離だろうし、迷うこともないので、ここを歩くことにした。今日は歩かないが、この踏み切りを渡ると、学園中1丁目へと抜ける。クルマは通行出来ない。学園中1丁目は、旧名称では柚木谷で、学園前が現在のように発展する前は、この近辺には、柚木谷の集落しかなかった。(古地図による)


Salon de Peau 百楽園、これは、エステサロンみたい。


踏み切りの向こう側は、RCBA、ロシアクラシックバレエアカデミーとなっている。


やがて、センターラインのない車道歩きとなった。右側は百楽荘。近鉄直営の料亭だ。昔の呼び名は百楽園だったように思う。前方に富雄駅のプラットホームが見える。富雄駅到着は9時20分で、自宅から約45分かかった。


富雄駅から電車に乗る。このまま歩けば、到底、10時には生駒図書館には到着出来ない。線路沿いを歩いたのは、このことも考慮に入れていた。また、富雄駅から東生駒駅へ歩くルートが分かりにくい。この間、電車ではトンネルがある。電車に乗ったのは正解で、9時45分頃に、生駒市図書館に到着した。画像の茶色建物がそれ。尚、この日、道路沿いの花壇で、市民の方たちが、手入れをされていた。おしまい。


6月16日(日)23:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

富雄駅までウォーキング1

2013年6月16日(日)は、生駒民俗会の第333回例会(講演会)に参加することにした。講演時間は10時から約2時間、場所は生駒市図書館で最寄り駅は近鉄奈良線東生駒駅から徒歩約10分。尚、生駒民俗会の例会に参加するのはこれで2回目。今日のテーマは「中世末の生駒の供養塔-その建立事情を探る-」という内容、講師はS先生。デジメのみ紹介すると、
1.奈良県、生駒地方は石造遺品の宝庫 2.生駒の史的背景 3.中世後期に供養碑が集中 4.建立時代の世情 5.欠損、磨崖石仏はなぜ 6.供養塔には村落民の深い思いが凝結
講演は、私にとって興味のあるテーマで、参加して良かったと思っている。
尚、このブログでは、この講演に参加する為、自宅から近鉄奈良線富雄駅まで歩いたウォーキングの記録をアップすることにした。

8時35分頃に自宅を出発。画像は自宅付近、新しい道路の建設現場だ。この道路は菖蒲池駅方面から、第二阪奈道路方向へと抜ける車道だ。



これが奈良市のマンホールの蓋(汚水)。真ん中に奈良市の市章、鹿とサクラをデザインしている。


民家の玄関先に鉢植えされていたアジサイ。尚、この日、矢田寺へ紫陽花を見に行かれたN氏によると、満開とのことで、ここ数年、開花時季は遅かったが、今年はそうでもないようだ。


近鉄奈良線の陸橋を渡る。画像は陸橋から西方向を撮影。線路沿い左に見える建物は、長方形が奈良市西部会館、その左、円形の建物から左へと続く建物は帝塚山学園。これらの建物があるところの右が学園前駅だ。ちなみに、この陸橋から東を見ると、菖蒲池駅のプラットホームが見える。


陸橋を渡って、すぐに歩道を下る。その後は近鉄奈良線に沿って北側の車道を歩く。車道と云っても、住宅地なのでクルマはほとんど通らない。この日は一台も通らなかった。やがて学園前駅北口の改札前を通る。


6月16日(日)22:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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